清水正  村上玄一を読む(連載3)

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村上玄一を読む(連載3)

清水正

 

 この小説のいたるところに、主人公〈ぼく〉の嘆き、愚痴、非難がまき散らされている 。スナックから帰って寝床にもぐっても、なかなか寝つかれないのは「世の中が、ぼくの 周辺の人間が、ぼくに冷酷だからだ。自分が情ないからだ」。〈ぼく〉は幼いころ草野球 に夢中だったが「晴々とした舞台は、一度も用意されたことがなかった。振り逃げで、た またま出塁できると、張り切りすぎて牽制球で刺され、当りぞこないの球が珍しく外野に 飛んだと喜べばライトゴロ、アウト」。「精神的ゆとりはないし、経済力もない」「学業 のほうで、どういうわけでか、人よりも劣っていたのだから、せめて遊びの世界で幸運に 恵まれてもよさそうなものだけれど、いつも、みじめな思いばかり」「傷つくことだけに 慣れてしまった」「ぼくは生まれつき不運の相をおびた顔つきなのかもしれない」「世の 中は一度だって、ぼくの思い通りに動いたことはなかった」「ぼくのように貧相で怪し気 で、その存在に価値のないような人間」「ぼくは無用、あるいは代用」「ぼくの目は細く 、鼻はすわっているし、唇は厚い。背は高くないくせに猫背で足も短い」。〈ぼく〉は電 車のガラスに映った自分に向かって言葉を発する「口が大きすぎる、とくに上唇、猥褻な 感じだねえ」「醜い、お前の顔は醜い!」「好色さが露骨にあらわれている、ボロボロに なった人間の救われない顔だ」。「毎週土曜日の午後一時、経理担当兼タイプ打ちのオバ サンから二万七千円を貰うために、ぼくは、いかなる屈辱にも甘んじている」「何かを見 る、何かを聴く、何かを考える、それらすべてが自分のみじめさにつながり、つくづく愚 劣な人間だと思ってしまう」「楽しくなろうと努めればそれだけ、ぼくは深く傷ついてゆ く。どうすれば、このピントのボケたような状態を脱することができるのだろう」……

   そ の他〈ぼく〉は四人組の不良少年達に殴られて金を巻き上げられたり、大学を卒業した年 に十一万円もの金(預金通帳)を盗まれた話などを披露する。要するに〈ぼく〉はこれで もかこれでもかといった畳みかける調子で自分の情けない状態を晒け出していく。まるで 自分の傷口を引っかき回すことに自虐的な快感を覚えているかのようだ。

〈ぼく〉の自虐 的な打ち明け話は、スナック「なぎさ」では〈有難くない客〉であること、大学を卒業し て田舎の九州に帰るとオヤジから「そんなくだらん人間になって」と罵られ勘当されたこ と、オフクロはその半年後に車に轢かれて死に、兄は葬式を終えたという簡略な手紙しか くれなかったことなど……執拗に続く。

 こんなうだつのあがらない情けない三十男の〈ぼく〉ではあるが、一年前に知り合った 昭子という女がいる。昭子は〈ぼく〉より数歳年上で五十を越えた製本屋の社長の妾で、 荻窪のマンションに住んでいる。

〈ぼく〉はたまたま新宿西口の「ぼるが」で昭子と知り合い、ときたま泊まっては肉体関 係を持っている。別に愛しているわけではない。単なるセックスフレンドである。しかし ここ二、三か月はその気にもならず、もう別れ時だと思っている。そんな女のところに〈 ぼく〉はただ風呂に入れてもらうためにわざわざ電話までして出掛けていく。昭子に関し て〈ぼく〉は「気が利くようでいて、実際には無神経、屁をしても、人ごとのように平然 とし、恥じらうことがない」「彼女の生活には、いささかの緊張感もみられない」「昭子 は、すでに自分の生活の夢を捨て去ってしまったのかもしれない」と書いている。

 〈ぼく〉は三年前に付き合っていた静江という女を想いだす。〈ぼく〉は静江に対して は「自分の夢ばかり追いかけている女」「己れの能力が奈辺にあるのか、少しも考えない 女」「誰よりもズボラな女」「絶対に自分自身を顧みることはせず、暇さえあれば、ぼく に不平不満を並べたてていた」と書いている。要するに〈ぼく〉はろくな女と係わってい ない。

 〈ぼく〉は一時間半もかけて風呂に入り、出てくると三面鏡の前に坐る。そこで〈ぼく 〉は〈目の前のぼく〉に女言葉で呼びかける。電車のなかで一回、「なぎさ」のトイレで 一回、これで三回目である。これはいったいどうしたことだ。〈ぼく〉は「鏡のなかの自 分を覗くという行為は、ぼくには耐えられないことだった。ぼく自身の救いようのない後 ろめたさを再確認させられる感じがイヤだった。それなのに、なぜ、そんな自分に、あえ て語りかけてしまうのだろう。それも、女言葉をつかって……。/ぼく自身の、もっとも 醜い部分を直視したいのか、それにしても、なんともいいようのない不可思議な陶酔感を 覚えるのは、どういうことなのだ。これは徹底して究明してみる必要があるのではないか 」と書いている。

 〈ぼく〉は昭子のマンションを飛び出ると「何か発見できそうな喜びの実感」が湧いて 心が弾む。自分のアパートに戻った〈ぼく〉は学生時代、女子便所から盗み出した大鏡の 前に立って、恐る恐る鏡のなかの顔を覗き込む。「いったい、お前は何をしてるんだ? どうして、そこにいるんだ? お前は、なぜ、そんなに己れのことを見つめるんだ。真面 目くさった顔して、お前は、本当は誰だ? わからない、何も判らないから、いま、ここ に立ちつくしている以外にないのだ。まったく、どうしたらいいのだろう」〈ぼく〉の独 り言は続く。やがて言葉は男言葉から自然に女言葉へと移行する。〈ぼく〉は鏡のなかの もうひとりの〈ぼく〉に語りかけながら、ふと素に戻って考える「やはり、女の言葉でな くては、あの何ものかに憑かれたような感覚がでてこない。少しずつ、身体が温まってく るようだ。しかし、こんなことを長時間つづけていても、その果てには、みじめな自分を 自覚した、ぼく自身の哀れな姿があるだけではないだろうか。だが、夕方から三回も鏡に 語りかけ、かつて味わったことのない昂揚のなかで、正体不明の、もうひとりのぼくと対 峙したという、この謎は解明しなければならない。ぼくが、鏡のなかに求めているものは 何なのかを」と。

   続いて〈ぼく〉は「それとも、ぼくは狂っているのか? しかし、人は 、こんなにも冷徹な状態で狂うものとは思えない。狂人にも、醒めた自分を見つめる時が あるのだろうか……」と考える。と、「どうだっていいじゃないの、そんなこと。あなた の悩んでいる顔って、吹きだしたくなるわ」云々と鏡のなかの〈ぼく〉が語りはじめる。

    もし鏡のなかの〈ぼく〉が女言葉で果てしなく語り続ければ、確かに狂気は〈ぼく〉の内 部を犯し始めたと言えよう。が、〈ぼく〉は鏡のなかのもうひとりの〈ぼく〉に支配され きってしまうことはない。〈ぼく〉は再び素に戻って次のように考える「もう、このくら いでいいだろう、ぼくの醜悪と猥雑の原点。ぼくの理性は、際限もなく低下しつづけはし ない。だけど、どうして、こんなにも女性にこだわらなくてはならないのだろう。そんな にも、ぼくは女を意識して生きてきただろうか。ぼくとは、あまりにもかけ離れて異質な 存在だからなのか。ぼくには判ることのない世界を生きているからだろうか……。/しか し、それはもういい。ぼくは、これまでに考えようともしなかった本当のぼく自身の意識 を、鏡の中に模索するのだ。女性言葉は、そのための導火線。そうなのだ、ただ、それだ けのことだ。/ぼくの生き方に、百八十度、いや、九十度でもかまわない、変化をあたえ てくれるような、そんな言葉を、鏡のなかの自分に発したい。いままで、ぼくの知ってい た自分は、偽りの姿だったのではないのか。いま、ぼくは、自分の真正の心、誰にも見せ ることのなかった正体、自分にも気づかなかった本当のぼく自身を掴まなくてはならない 。/いや、それほど深刻なことでなくともよい。ただただ日常を意味なく遣り過ごす生活 、もう、うんざりしているのだ。こんなぼくを発奮させるような言葉、一言でいい、その 声を発してみたい」と。