動物で読み解く『罪と罰』の深層 連載2

江古田文学97号(2018年3月)に掲載したドストエフスキー論を何回かに分けて紹介しておきます。第2回目。



動物で読み解く『罪と罰』の深層
清水正


■〈豚〉(свинья)

 青年は犯行前の瀬踏みのためにアリョーナ婆さん宅を訪れた帰り、地下の居酒屋に立ち寄る。そこで青年に声をかけてきたのが酔漢マルメラードフである。彼は、自分の娘ソーニャが淫売婦にならざるをえなくなった理由を道化的口調に乗せて雄弁に語る。マルメラードフはソーニャが十五歳の時に幼い子供三人を抱えた未亡人カチェリーナと再婚する。結婚後マルメラードフは人員整理の対象となって役所を解雇される。以後、彼は酒に溺れるようになり、仕事についても酒が原因で失職がちになる。さんざん苦労してペテルブルクの安アパートに一家六人で住むようになるが、家主のアマリヤがカチェリーナに三回にわたって誘惑の声をかけてくる。年頃になったソーニャの身売りの話である。貧しくても誇り高い貴族女学校出のカチェリーナはきっぱりと断っていたが、ついに三回目の誘惑の声に屈してしまう。ソーニャは五時半過ぎに黙って部屋を出て行き、八時過ぎに帰ってくる。彼女は〈処女〉を〈銀貨三十ルーブリ〉に代えて戻ってきたのである。この描かれざる三時間がソーニャにおける〈踏み越え〉(преступление)である。マルメラードフは翌日、ソーニャの処女を買ったイワン閣下を訪問して自らの就職を決めてくる。彼は一ヶ月まじめに勤務し、給料二十三ルーブリ四十カペイカを手にする。ところが、その日の夜、彼は給料の残金を盗み出し、すべて酒代に代えてしまう。素寒貧になった彼は、淫売稼業をしているソーニャを訪ねて酒代をせびる。ソーニャはなけなしの金三十カペイカを文句ひとつ言わず父親に差し出す。彼はその金で今酒を飲んでいるのだと言う。
 この誰が見てもろくでなしのマルメラードフが青年に向かって言うのだ、「今このわたしを見ながら、わたしが豚ではないと断言なさる勇気がありますか」(взирая в сей час на меня,сказать утвердительно,Что я не свинья?)と。ユダヤキリスト教圏内において〈豚〉呼ばわりされることは、日本語の〈ろくでなし〉をはるかに越えて軽蔑、排斥の意味が込められている。いわば神から見捨てられたろくでなし、卑劣漢である。従ってここでマルメラードフが青年に向けて発した言葉は実に挑発的である。世界中の誰もが彼を〈豚〉と見なすであろうことをよく承知した上で「わたしが豚でない」と、青年から見れば「あなたは豚でない」と断言できるかと問うているのであるから。この挑発的なマルメラードフの問いに青年はひと言も答えていない。酒場の観衆はひひひ笑いで対応し、マルメラードフも敢えてこの問題にこだわらず、話題を横滑りさせていく。そのことで読者の大半もまた、マルメラードフの提起した問題を忘れ去ってしまう。しかし、マルメラードフの問いにこそ重要なことが秘められている。
 作品の中でマルメラードフを「豚でない」と断言している者は一人もいない。が、口には出さないが、マルメラードフが「豚でない」と確信している人物がいる。酒代をせびられてなけなしの金三十カペイカを黙って差し出したソーニャである。ソーニャは知っている。実の娘を閣下に身売りさせ、結果として淫売稼業に追いやったマルメラードフが、どんなに苦しみ、どんなに悲しんでいるかを。マルメラードフ自身が言うように、彼は酒に快楽など求めてはいない、彼は酒瓶の底に苦しみを悲しみを求めているのだ。青年は、沈黙を守ったが、ソーニャの気持ちを理解していたはずである。青年は、マルメラードフの告白を通して一家の犠牲となって〈踏み越え〉ざるをえなかったソーニャと決定的な出会いをはたしたのである。

清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=wpI9aKzrDHk

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。
https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208
日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。