〈必然と自由〉の世界—清水正による松原寛論を読んで



「日藝ライブラリー」三号所収の清水正「松原寛との運命的な邂逅」「苦悶の哲人・松原寛」を読んだ感想

〈必然と自由〉の世界—清水正による松原寛論を読んで

伊藤景

 清水先生による松原寛論を読んで、世界には偶然なんて存在しないのだ、と再認識することができた。世の中は、偶然なんて自由で不確かな意思ではなく、計算され尽くした必然によって成り立っているだけなのである。この解答は、私にとっては世界に対する絶望感を覚えるとともに、今までの過去に対しては絶対的なまでの安心感を得られるものであった。
 過去における様々な選択という名の分岐路において、どのような選択を行なおうと結論は一つしかなく、人間は選択をしたような気になっているだけで、ただ誘導されているだけなのだろう。人間には、一寸たりとも自由な意思など存在していないのではないかと考えてしまう。しかし、清水先生は世界とは必然によって支配されているものであると同時に、世界は必然によって成立していることを知ることによって自由にもなれるのだと教えてくれた。
 

  〈地下室人〉の言う〈気まぐれ〉は彼に言わせれば必然の網の目から逃れ得ているようにも書かれているが、必然者のわたしからすれば、とうぜん〈地下室人〉の〈気まぐれ〉もまた必然となる。必然は偶然の反対語を意味しない。必然と自由の一致、これが体感されないと世界の秘密に参入することはできない。(『日藝ライブラリー No.3』174頁)


 私はこの文章を読んだとき、どうにかして理解しようと反芻するように何度も言葉を噛み砕いてみたがどうしても〝必然と自由の一致〟が言葉としては理解できても体感的に理解することができなかった。この言葉を清水先生から初めて聞いたのは、大学院の講義のときであった。先生の声で、この言葉を聞いたときには(そういうことなのか)と理解した気になっていたのだが、〝必然〟について自分なりに考えた上で先生の言葉を改めて噛み締めてみると、どうしても私には分からなかった。しかし、それは仕方ないことなのだと〝今のところ〟は理解をすることは諦めることにした。なぜなら、私は清水先生が経験したような〝必然と自由の一致〟を未だに体感するような経験をできていないからだ。
 この世界を〝必然〟が支配していることは体感的にも経験的にも理解することができた。しかし、私にはまだ〝自由〟が〝必然〟と一致する瞬間を経験したことがないのだ。無理に知ったかぶりをすることは諦めて、私はまだ〝分からない〟ということをしっかりと受け止めなければならない。
 今の私には《世界の秘密》に参入できる人間ではないのだと、どこか背伸びをしたがってしまう幼い自分の姿を見つめることができた。松原寛も《必然と自由の一致》を悟りきることができなかったからこそ、生涯をかけて煩悶し続けたのではないだろうか。私の場合、答え自体はもう分かっているからこそ、後は自分が答えを理解するために悩み続ければいいのが、松原寛の場合は明確な〝解答〟が用意されない状態で答えを求めて藻掻き続けたのだ。その苦しみを思うと、ぞっとするような恐怖を覚えた。彼の〝苦しみ〟は、簡単に言葉にして共有できるような苦しみではなかっただろうと、少しだけ松原寛が内包し続けた〝煩悶〟の姿を見られたような気がした。

 この世界を管理する必然性は、人の記憶にさえ作用しているのだろう。人間は必然によって形作られ、必然によって生かされている。人間は生まれてから、今この瞬間までに過ごしてきたすべての記憶を有しているわけではない。一瞬前に起きたことでさえも、いつの間にか、普段は思い出しもしないようにと記憶の奥底に押しやったり、忘れ去ったりしてしまう。この〝記憶〟さえも人間の自由にままならないのではないかと清水先生の松原寛論を読んで思い至った。人は、忘れたいことこそ記憶にこびりついていたり、忘れたくないことほど簡単に忘れ去ってしまったりする。自分の意思で記憶を留めることができないのではないか。
 私にとって記憶さえも管理されていると感じた現象として、身近なものに夢がある。寝ているときに無自覚に見ているとされる夢のことである。どれだけ面白い夢を見ても、目が覚めた瞬間から砂時計の砂のように、サラサラと頭の中から夢の映像がこぼれ落ちていく。どうにかして、掴み取ろうと、夢の内容を反復しているうちに夢は跡形もなく消滅してしまう。たまに、欠片をすくい上げることに成功しても、それは最早ただの道端に転がる小石と同じであり、夢の中の光り輝く宝石とは程遠い。確かに、誰かの横顔を見ていたはずなのに、必然性に支配された自我が夢からの覚醒とともに姿を現した瞬間、それらの像は霧散していく。どれだけ記憶に留めようとしても無駄なのだ。こんなもの、覚えておかなくていいということなのか、それとも夢という世界が〝必然〟の管理外の範疇であるからこそ忘れさせられてしまうのか。夢という現象に対する存在の意味は未だに分からないが、夢の続きを永遠に見ることができないことだけは確かである。覚醒した必然の支配下による世界においては、夢を見ることさえも許されない。
 そう考えたときに、ふと清水先生は〝必然〟の管理外に存在しているのではないだろうかと思えた。先生はすべて必然が世界を支配していることを理解した上で、必然さえも内包した大いなる世界を生きているのでないかと考えてしまう。


  わたしが物心ついた二、三歳の頃から、夜、寝る前に目を閉じると、無限の闇の中に無数の光の粒子が流れていく光景を見ていた。無限宇宙の闇の世界を光の無限の粒子が左から右の方向へ絶え間なく流れていった。この光景を何年にわたって見続けたのか。正確な記憶はないが、いつの間にか消えた。ただし、その光景は今も鮮やかに蘇らせることができる。(『日藝ライブラリー No.3』40頁)


 まず、二、三歳の記憶を未だに鮮明に持ち続けている人がどれだけ存在するだろうか。断片的であれば、記憶しているかもしれないが、それは本当に自身の記憶なのだろうか。それは、自分でねつ造した記憶なのではないか。
 私はそれなりに記憶力が良い方だと自分で思っているが、過去を振り返るときに再生される映像には必ず自分の姿が登場している。こんなことはあり得ないはずである。自分に起きた事実を俯瞰的に眺めるといった構図であり、本来ならば自分の目で見た構図でしか思い出されるはずはないのだ。これは、真実の記憶だとはいえないだろう。自分で記憶として留めるために再構成しているのだと認識しているが、これは一寸たりともねつ造の含まれない過去であるとはいえない。しかし、大まかな出来事としては嘘偽りのない事実である。このことに気がついたときから、私は自分のことを信用できなくなった。しかし、清水先生の記憶は〝自分〟が見た光景を映像として自由に再生することができるのだ。必然のみに支配された世界に生きる私と《必然と自由の一致》した世界に生きる先生との違いである。
 松原寛の本は『芸術の門』しか読んだことがないが、彼もまた私と同様に〝必然に支配された世界〟に生きる人間だっただろうと感じた。彼は清水先生が指摘するように〝今〟を誰よりも懸命に生き抜いた人間であったのだろう。だからこそ、一つの軸を持たずに多くの思想に触れ続けた。それは、自分の中だけでは答えを見出すことができないからこそ、他者の思想に自分の正当性の拠り所を求めたのではないだろうか。 そして、《必然と自由の一致》した世界を求めたのではないかと考えてしまう。松原寛の言葉は強く、激しい。しかし、どこかに空虚さを私は感じた。それは、未だに自分の求める解に出会えていなかったからではないだろうかと思ってしまう。
 《自分だけ行い済ましている人達には青年の煩悩は分かる道理がない。彼らは概念的の思想はあるかも知れない。ただし思想を生活している人ではない。深い精神生活があるのでもない。》これは清水先生が『日藝ライブラリー No.3』の163頁において引用した松原寛著『宗教の門』の言葉であるが、私はこの言葉に深い納得とともに、深い反省をした。《ただし思想を生活しているのではない。深い精神生活があるのでもない。》この言葉は今の日本に生きる若者すべてにいえる言葉であり、若者たちが噛み締めなければならない言葉である。そして、この言葉を発した松原寛のように真剣に問いと向き合い、解を求めるために生きなければならないのではないだろうか。


  何度でも言うが〈謎〉は解こうとすれば言葉が迷うのである。一流の天才的な言語学者はそれでもこの魔の誘惑に落ちて、言葉によって言葉の秘密を明かそうとして狂気のひととなるのである。(『日藝ライブラリー No.3』160頁)


 私にとって幸いであったことは、松原寛の言葉と出会う前に清水先生の言葉に出会っていたことだろう。思考の渦に捕らわれたとき、私は清水先生の上記の言葉を思い出す。この言葉を松原寛も師からいってもらえていたら、あんなにも苦悩し煩悶し、苦しむことはなかったのではないだろうか。松原寛が解こうともがいていた〈謎〉は、言葉では解決することができないものだったのだ。それが分かっていたら、彼は哲学や宗教をありのままに受け止めることができたのではないだろうか、なんておこがましいことを考えてしまう。
 松原寛は日本大学で信頼すべき上司と出会ったとは思うが、生涯〝良き師〟には出会うことのできなかった人間なのではないだろうか。彼は、清水先生が引用した『松原寛』の部分だけを読んでみても一人で生きていけるタイプの人間ではなく、良き師に導かれることによって成長するタイプの人間だったのだろうと思う。私は尊敬する〝師〟に出会うことができたからこそ、求めるべき答え自体は見えている。後は、私がどれだけその〝答え〟に近付いていけるのかが問題だ。
 松原寛も、誰か一人だけでも心の底から尊敬できる人物に出会うことができていたら、彼の思想も彼自身も変わっていたのではないだろうか。それも、より良い方向へと。なぜなら、私自身が松原寛のような〝良き師によって導かれて成長する〟タイプの人間だからだ。自分だけの力では到達できる世界が限られている。しかし、〝良き師〟からの〝ヒント〟によって、私は自分の力では到達することのできなかった世界を見ることができている。
 簡単に松原寛の気持ちが共感できるなどとは言えないが、彼の悩みの解は、もう彼だけの力では導きだせないものであり、誰かのふとした〝ヒント〟を待ち望んでいたのではないのだろうか。だからこそ、彼は多くの哲学者の思想を追いかけ続けたのではないか。しかし、結局は求める解答には辿り着けなかったように見られる。それさえも必然なのだとしたら、やはり世界は残酷な必然に支配されたものだというしかないだろう。