「畑中純の世界」展を観て(連載13)

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畑中純の世界」展を見て
畑中純という人 山田靖乃


 畑中先生の漫画を初めて見たとき、第一印象は“強烈だな”ということだった。生々しい描写にストーリー、見方によったら官能漫画だと言われてしまうかもしれない作風だ。失礼なことに、私はこれまで畑中先生を存じ上げておらず、このような印象を受けたのが率直な思いだ。
 そして先日、奥様の眞由美さんの講演を聞くことができた。とても穏やかで笑顔の素敵な方だと思った。娘さん二人も美人さんで、息子さんもしっかりしている。私の中の畑中純像からは少し違った、幸せそうなご家族。学生の頃から数十年間、純さん一筋ということはにわかには信じがたかったが、眞由美さんが昔を懐かしみながら純さんを語る姿を見たとき、納得した。そして同時に己を恥じた。好きな人と一緒にいればずっと共に生きたいと思うのが普通なのだ。周りから攻撃されたり、決定的な要因がない限りその人と別れるだとか、別の人を選ぶという選択肢は浮かばないはずだ。私達は見栄を張るように恋愛遍歴を語るが、裏を返せばそれは“自分は飽き性で乗り換えが早く、簡単に股を広げます”と公表しているようではないか。世の中には、眞由美さんのような人をつまらない人生だと揶揄する人間はいるかもしれないが、私は羨ましいと思った。出会った人が最初で最後の人なんて、素敵だ。それから、眞由美さんと畑中先生の間には愛情以上の繋がりがあるように感じた。そしてそれが決して一方的なものではないことも。漫画家という職業は完全に個人の仕事なので、もしかしたら眞由美さんが寂しい思いをしたことも一度はあるかもしれない。(私と原稿、どっちが大事なの。)それでも四十年以上連れ添ったのだから、眞由美さんは心から“漫画家・畑中純”を尊敬し尊重し、きっと彼の一番のファンだったのだと思う。眞由美さんが畑中先生のことをお話する口ぶりや表情が本当に優しく、愛に溢れていて、野暮な質問をしてしまったことを後悔している。また、娘さんが涙ながらに思い出話をしてくださった。畑中先生は父親としても偉大な方だったのだろう。私もいまのうちに思い出をたくさん作って、親孝行しなければなと、名古屋にいる父のことを思った。
 畑中先生の作風は、どこかシュールで色使いが鮮やかなものが多い、そう思いきやモノクロで繊細な絵や版画も描いている。『まんだら屋の良太』の絵柄と比較したら、版画などは同一人物が描いたとは思えない。それから、独特の世界感を持っている。そしてその世界感を大事にしている。頭の中に浮かんだものをそのまま書き写したような、縛られていない絵だと思った。自分が描きたいものを描く、その信念と情熱が彼の絵からはビシビシと伝わってきた。良い意味で自由奔放。頭から何かが生えていたり、くちばしが生えていたり、全裸で踊っていたり、意味不明な世界感がとても良いと思った。
 数々の展示のなかでも、特に目を惹いたのは『畑中眞由美 像』だ。他の作品のタッチとは全く違う、本格的な油絵。何を思って彼はこの絵を描いたのだろう。描いてと頼まれたのだろうか。少し俯いているところから、ひっそり描いたのだろうか。畑中先生が何よりも愛してやまない絵という手段で、自分の肖像画を描いてもらった眞由美さんはさぞ嬉しかっただろうし、幸せだろうと思う。
 畑中先生のことをお話する方々を見ていると、畑中純という人がどれほど愛され、大きな存在だったかが伝わってきた。そして畑中先生の死去は多くの人に惜しまれたのだろう。まるでその場に彼がいるようにお話する眞由美さんの横顔が忘れられない。畑中先生のことは何も知らなかったが、確かにあの講演会で、彼の自分のやり方に対する信念と、情熱を感じた。ほんの少しでも、畑中純の世界を知れただろうか。