「畑中純の世界」展を観て(連載3)

畑中純の世界」展を観て

畑中純の世界」展を見て
小山雄也(文芸学専攻二年)


     

2015年7月24日金曜日。台風の影響により関東地方が猛暑に襲われたこの日、私は日本大学芸術学部芸術資料館にて開催されていた「畑中純の世界」展を訪れた。受付にて芳名帳に名前を記入し、世界展のポスターを受け取った。ポスター上段には大量の書籍が置かれた畑中純の仕事場の写真と、畑中純本人の写真が4枚散りばめられており、右端には「異才の漫画家」というキャッチコピーが大きく掲げられている。偉才ではなく異才の漫画家である。ポスター下段には「エロスとカオスとファンタジー曼荼羅宇宙『畑中純の世界』展」という展示の案内が書かれていた。私は「畑中純」の文字色だけが、カメレオンの体色のように赤・紫・緑・青・黒と様々な色が使われていることに不気味さを感じた。ポスターの右下には畑中純が描いた女性がシャボン玉を吹いている。吹き出ている数個の泡の色はどれもパステルカラーで落ち着きのある綺麗な色なのだが、「畑中純」に使われている文字色は歪で不安な気持にさせてくるのである。私は受け取ったポスターを1分程見つめていた。
順路に沿って歩き、はじめに日芸図書館長・清水正教授の「展示会に寄せて」を読み、次に畑中純のプロフィールを読む。1950年3月20日福岡県の生まれ。私との年の差は41歳である。東京にあった日本初の漫画の専門学校に在籍後、畑中純は建築関係の仕事に就いていた。1979年には実業之日本社が発行していた『漫画サンデー』(2013年休刊)にて、代表作『まんだら屋の良太』を10年間連載していた。数々の漫画作品と版画作品を生み出し、2007年には東京工芸大学芸術学部マンガ学科の教授を務められた。そして2012年6月13日、腹部大動脈瘤破裂のため、畑中純はこの世を去った。プロフィールの上段には猫を抱っこしている畑中純の写真が掲示されている。畑中純はしっかりとカメラ目線であるが、彼に抱えられた猫は不満そうに目線をそらしている。きっとこの猫は撮影時にカメラのフラッシュを嫌ったのかもしれないな、と写真1枚からたくさんの妄想が膨らんだ。写真の中で特に私は畑中純の左手に注目した。猫を抱えている手首はそれほど太くは見えないのだが、私には彼の左手が一般人よりも大きく見えたのである。大きな左手は猫の身体を優しく包み込み、落ちないようにしっかりと支えてくれる安心感が私には伝わってきた。この写真からでは手の甲だけしか見られないため、掌の様子を見ることが残念ながら出来なかった。畑中純の掌はまめが出来てゴツゴツとしていたのか、手相の線がクッキリとしていたのか。彼に抱かれていたこの猫は知っているに違いない。
 プロフィールの隣にはとても美しい女性を描いた作品が展示されており、その隣には「畑中純宮沢賢治」というコーナーが始まっていた。畑中純宮沢賢治の版画作品を手掛けており、今回の展示では『オッぺルと象』『どんぐりと山猫』など画集に掲載された多くの作品が出展されていた。その中に私の目を釘付けにした作品が展示されていた。それは『雨ニモマケズ』である。『雨ニモマケズ』は宮沢賢治が所持していた黒い手帳の中に記していた作品である。冒頭のページ右上には「11.3」と青色で日付らしき数字が記されている。11月3日は私がこの世に生まれた日である。『雨ニモマケズ』という作品も同じ日に生まれたということで、私は宮沢賢治の作品の中で『雨ニモマケズ』は特別な思い入れがあった。残念ながら畑中純の『雨ニモマケズ』には「11.3」という数字(日付)は記されていなかったが、木版画2枚に分けて作られた『雨ニモマケズ』は、2枚とも中央に本文が彫られており、その周りには宮沢賢治の作品に関連する絵が彫られていた。
墨一色だけの一版刷りで作られた2枚の木版画は、畑中純が思い描く宮沢賢治の世界観を現出させていた。特に私が注目したのは「雨ニモマケズ」から「小サナ萱ブキノ小屋ニイテ」まで彫られた1枚目の木版画だった。彫刻刀で彫られた文字を冒頭からゆっくりと読んで行く。文字は漢字とカタカナを使い大きさのバランスを巧みな技法で調整して、周辺の絵が映えるためのスペースを十分に確保していた。左から右へ読み進み、本文11行目「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」を読み終えたところで私は引っ掛かりを感じた。気持良いゆっくりとしたテンポで読んでいたのだが、ここで私は違和感を持ってしまい躓いてしまった。改めて11行目を読んでみた。原因は直ぐに分かった。畑中純が彫った「入レズニ」の「入」という文字が「人」となっていたのである。きっと畑中純は『雨ニモマケズ』の原文を忠実に再現しているのかもしれないと思い、私は宮沢賢治の黒い手帳に記された原文を確認した。しかし原文は「人」ではなく「入」と記されていた。畑中純が「入」の左にある飛び出た部分を彫り忘れたのか、それとも宮沢賢治のように作中に遊び心を加えてわざと彫らなかったのか。私は真相を畑中純本人に直接聞いてみたいと思った。
芸術資料館には畑中純の作品約90点が美しい姿で展示されていた。代表作『まんだら屋の良太』から『百八の恋』、『オバケ』、『愚か者の楽園』など、畑中純が生み出した数々の名作を閲覧することが出来た。畑中純という異才の漫画家をまだ知らない人が、展示会にて彼の作品を見たことにより、単行本を手に取って読んでみたいという衝動を掻き立てられる素晴らしい展示会だった。展示会を出た時、畑中純が「偉才」ではなく「異才」の漫画家である理由が少しだけ分かった気がした。(2015年7月24日金曜日)