どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載21)





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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載21)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正



すべての芸術は業を肯定している


 業の肯定は落語に限らない。詩、批評、劇作、小説、絵画、彫刻、漫画、映画、音楽などすべての芸術は業を肯定している。倫理、道徳、教育、宗教などが一義的絶対性(善・正義・真理)を前面に押し出してくれば、もはやそれは純粋芸術とは言えない。
 談志の言う〈業の肯定〉の次元で、わたしがすぐに想起したのは今村昌平の映画作品であった。今村昌平こそは人間の様々な欲望の諸相を生々しく描いた映画監督であった。『人間昆虫記』『赤い殺意』『神々の深き欲望』など、すべての今村作品は人間の欲望を肯定している。
 




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