どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載50)
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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載50)
オンリーの時代からの解放
古今亭志ん生の落語を聞いて彼のファンになった者は、ほかの落語家の咄に心の底から魅せられることはなくなってしまうのではなかろうか。
わたしの十代後半から二十代はまさにドストエフスキー文学の虜になっていたから、ドストエフスキー以外の小説家など歯牙にもかけなかった。夏目漱石の『心』など読んでいてもばかばかしくてしようがなかった。二十歳前後の若者が志賀直哉など読んでいるのがふしぎだったし、三島由紀夫などそもそも文学と認めていなかった。トルストイも何度か『戦争と平和』に挑戦したが、満足に一ページも読めなかった。ドストエフスキー以外の文学で初めてこれはすごいと思ったのが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、これは本当に無条件にすごいと思った。
わたしがドストエフスキー以外の作品も読めるようになったのは三十歳を過ぎてからで、それは同時にドストエフスキーの魔力からの解放とも関連している。日本の名だたる近・現代の詩人・小説家・文芸評論家でドストエフスキーに魅せられなかった者はいない。まさに「ドストエフスキーを読まずして文学を語るなかれ」で、ドストエフスキーを読んでいない者で小説を書いている者など一人もいなかった。
今、わたしはドストエフスキーの影響を受けた作家の中で最も注目しているのが林芙美子である。坂口安吾や小林秀雄などは決定的な影響をドストエフスキーから受けているが、しかし彼らはドストエフスキーを越えることはできなかった。が、林芙美子は『浮雲』においてドストエフスキーの『悪霊』のニコライ・スタヴローギンの抱えていた問題を初めて血肉化した。このすごさは、いくら強調しても強調しすぎたことにはならない。
トルストイも読める、チェーホフも読めるようになると、志賀直哉も読めるようになった。ドストエフスキーオンリーの時代は過ぎた。ドストエフスキー文学をわが世界の中に再構築する時代への突入である。
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