どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載51)
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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載51)
談志の口からドストエフスキー
談志は福田和也との対談(『談志 名跡問答』 2012年4月 扶桑社)の中で、ドストエフスキーの名前を出している。談志がとつぜんドストエフスキーなど持ち出したので意外な感じがしたが、相手の福田が何の反応も示さない。絶好の球が投げられたというのに、福田はこの球をど素人なみに見逃している。ドストエフスキーのどの作品を読んだのか、いつ読んだのか、どのように思ったのか、それぐらい訊くのは当たり前なのに、バットを振らないのだからどうしようもない。
談志がゴーゴリやドストエフスキーの作品を読み込んでいたら、落語を考える上でも相当のヒントを得られたはずだが、彼の話や本を読む限り、談志が十九世紀ロシア文学とは無縁な落語家と思っていたし、この対談でドストエフスキーの名前だけを出してもこの感想は変わらない。読んでいたとしても、作品の内容に触れていないのだから読んでいないも同然ということになる。
文芸評論家の福田がドストエフスキーを口にした談志と、そのことで話ができないというのではお話にならない。この対談本の後書きで、福田は立川談志とドストエフスキーを同じ次元でその名前を列挙しているが、この大ざっぱさには呆れた。
それにしても、談志がドストエフスキーを持ち出していることは、注目すべきことで、このことについては改めて取り上げることにする。
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