小林リズムの紙のむだづかい(連載229)

小林リズムの紙のむだづかい(連載229)
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小林リズムの紙のむだづかい(連載229)
小林リズム
 【漣波〜満たされない女たち〜】


   
 私にとつては、人生といふものは、まるで、帆を張つた船のやうなものでした。何處へでも、風のむくまゝに彷徨うて行くしかありませんでした。 ―漣波

 フリーターを始めて半年が経過した。大学を卒業して会社をすぐに辞め、自由気ままなフリーター…なんていう最近のダメな若者の典型コースを、まさか自分がたどるとは思っていなかった。成り行きであちこちを放浪し、足場をつくらないわたしは心許なく、常に目の前にあるものしか見えない。だからなのか。久子の視点から見る初めてのパリは、今の自分とリンクして、重ねてしまっていた。

 母を亡くし、学校を辞めようか辞めまいか迷っていた十七歳の久子は、運よくお金持ちの奥様の世話役として雇われ、フランスへ行くことになる。はじめてのパリを前にうずうずする彼女とは対照的の、泣き腫らした赤い目の奥様。のちにどうやら吉岡さんと奥様の間には何かがあるのだと久子は察する。旅行中も体調が優れず、いつも不満げな奥様を見ながら、久子は不思議に思う。「なぜ、こんなにお金持ちで容貌にも恵まれているのに、幸せじゃなさそうなのかしら…」。優しい旦那さんと、久子を雇えるくらい余裕のある財産を持ち、誇れるほどの美貌なのに奥様はいつも悲しみに暮れた様子で「淋しい」としきりに言うのだった。久子には奥様の繰り返す「淋しい」の理由がまったくわからず、腑に落ちなかった。

 パリへの旅は久子にとってはじめてのこと尽くしだった。久子ははじめてのキスをする。それは曽根さんという日本人の男性で、久子の手を握り、手袋をくれた人だった。最初のうちは紳士的にみえ好印象だったものの、部屋に入ったときの彼の荒々しさと余裕のなさに戸惑い、嫌悪するようになる。けれど、異国の地という心細い場所にいるせいか、ほとんど嫌いな曽根さんのことでさえ恋しくなる夜があるのだった。十七歳の久子は無意識のうちに男性を強く求めていた。

 久子が体験したのはキスだけではない。久子はパリで女になった。相手はギヨームという左手の指のない、貧しい男の子だった。久子は生まれて初めて男の人と寝て、ギヨームに夢中になり、四六時中彼のことを考えた。それは奥様と旦那様の間がうまくいかず、日本に帰国するという話が出たとき「ギヨームといるためにわたしはパリに残りたい」と真剣に相談するくらいの熱の入れようだった。久子はそこで奥様の言う「淋しい」という感情を自身も体験したのだと思う。それはひとりで異国の地へ冒険をすることよりもずっと深くせつないものだった。ひとりきりでいることよりも、会いたい人がいるときのほうが淋しいのだと、久子は知ったのだ。

 はじめの頃は、どちらかといえば温厚な旦那様の味方だった久子も、恋をしたことで奥様の気持ちを少しずつ理解していく。旦那様がひどく退屈な人に思えて、奥様が吉岡さんを求めてしまうことも仕方がないなと考えるようになる。久子は自分の気持ちが抑えられなくなって、何度もギヨームに会いに行く。けれど彼はいない。ギヨームのためにプレゼントを買う。けれど彼はいない。思いとは反比例して会えない日々を重ねるなか、次第に久子は「私はもうギヨームにとって必要な女ではないのだ」と気づくのだった。そして、久子は奥様と日本に帰ることにする。

 満たされることってなんだろう。久子はお金持ちの奥さんが「淋しい」ということが理解できなかったように、わたしも正社員で何の心配もなく働いている人たちが「虚しい」というのがわからなかった。わたしが羨む環境や物を手に入れているのに、彼らは満足していない。自分以外の人が見ているものなんて、当の本人でないとわからないのだ。人間に感情がある限り、つねに何かを求め、満たされない状態でいることがふつうなのかもしれない。それは、煌びやかな表舞台に立つ芸能人もそうだし、日本の未来を考える政治家や、資産家でなんの心配もないお嬢様だって同じなのだ。人を満たすのは人であり、お金や美貌ではない。そう思ったら、がっかりしたようなふっと気がゆるむような、不思議な気持ちになった。

 
 

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