インドネシア訪問(7)

九月五日、南ジャカルタ国際交流基金ジャカルタ日本文化センターでの国際シンポジウム「文学とマンガ」第二日目、四番手の講演者は文芸評論家の山崎行太郎先生。テーマは「近代日本語論」。
マンガ、林芙美子、演劇などの話に続き、今回のシンポジウムの最後を飾ったのは、近代日本語がどのようにして成立したのか、という実にお堅い話。山崎先生は成田空港、機内、どこにいても愛用のアイフォーンでブログ記事を更新したり、本を読んでいる。今回、彼がいっときも離さず熱心に読み進めていたのは岩波現代文庫『「国語」という思想─近代日本の言語認識』(イ・ヨンスク)で、わたしも興味を持ったのですぐに買い求めて読んだ。先刻読み終えたのだが、この本は実にスリリングで面白かった。イ・オリョンの『「縮み」志向の日本人』を読んだ時と同じ知的興奮を覚えた。この本についてここで詳しく語ることはできないが、多くの日本人に読んでもらいたい本で、特に学生には推薦したい。どの章も面白かったが、特に上田万年とその弟子保科孝一の業績を丹念に追っている章が興味深かった。今や日本人の大半が忘れ去ってしまっている言語学者を発掘し現代によみがえらせたその学的労力と斬新な切り口に感動を覚えた。
インドネシアには三百以上の民族が存在している。ということは単純に考えても三百以上の独自の言語が存在していることになる。『「国語」という思想』から一か所だけそれに関連するところを引用しておく。


 保科は、国語問題といわれるものには二つの種類があるという。ひとつは標準語の制定、文体の統一、国字の改良、仮名遣いの決定などの問題に代表される「人文的国語問題」である。これらは一国内のひとつの言語についての問題であるから、「その結果において政治上になんらの影響をも及ぼさない」。それにたいして「政治的国語問題」というものがある。保科によれば、多民族多言語で構成される国家では、各民族がみずからの民族語の権利を主張して譲らないことが多いので、「国語問題」が必然的に「政治的」な色彩を帯びてくるのである。「いったい異民族が相集まって一つの国家を構成するか、あるいは民族としては同種であっても、それぞれ固有の言語を有するとき、それらの国家がいずれの言語によって国務を執行するかは、かならずや重要な問題としてあらわれて来るのである。」つまり、「政治的国際語」は、「国家語(Staatssprache)」制定の問題に帰着するのである。(319〜318)

山崎先生の講演にインドネシア大学の学生さんたちが、熱い関心を示したのは当然で、何人もの学生がかなり突っ込んだ質問をしていた。近代日本語の成立過程とインドネシアにおける「国語」としてのインドネシア語の成立過程の違いと共通性の問題に関しては、とうてい一時間や二時間では議論できない。
いずれにしても、今回のシンポジウムに日本側から文芸批評家、文芸研究家、マンガ家、演劇人が参加し、それぞれの専門分野で発表できたことはよかった。インドネシアの若い学生さんたちの目が輝いていたことが、何よりもうれしかった。文化交流が今後も深まることを願っている。