レポート採点

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「文芸批評論」「雑誌研究」「マンガ論」のレポート課題は「つげ義春のマンガを一つ選んで批評すること」。百篇以上のレポートがメールで送られて来た。今年は日芸図書館企画で「世界に発信する日本の漫画」を考えている。日野日出志つげ義春などを中心にした展示、カタログ刊行に向けて動いている。「学生が読む日野日出志」「学生が読むつげ義春」の刊行も予定している。当ブログでも学生のレポートを紹介していきたいと思っている。

「腹話術師」を読んで                 
文芸学科2年 西村 夢音

 はじめてつげ義春の作品を読んだとき、意味があまりわからず煮え切らないといった風でもなく、正直本当に「よくわからなかった」という感想を持った。そのときの作品は授業ではじめて取り扱った『チーコ』であり、鳥を題材とした男女の話と簡単に説明付けてもいまいちピンとくるものではなかった。しかしその次の週に舞台式でチーコの解説を聞き、もしチーコが鳥ではなく赤子だったらという清水先生の発想に衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。以来『海辺の叙景』や『ねじ式』等の作品を通して、最初はよくわからなくても、一コマ一コマ全てに意味が込めてあり、隠されている表現などを探しながら読んでいくと段々と意味がわかってきて、『紅い花』を読む頃には自分なりの解釈ができるようになってきた。今まで私が読んできた現代のマンガは、只描いてある文章や絵だけをそのまま読んで解釈していたが、つげ義春のように暗喩が沢山含まれているマンガを読むことでマンガの読み方にも色々あるということを感じ、作者がどこかに隠したメッセージを探す楽しさを知った。
 しかし私が今回読んだ『腹話術師』に関してはあまりそういった感じではなく、比較的わかりやすい作品だったと思われる。もちろん暗喩も込められているだろうと感じたがミステリー要素が強く頭の中がクエスチョンマークだらけにならないような読みやすい作品であった。それは、この作品が初期つげ義春の作品であった為に、まだそこまで遠回しな表現がされていなかったのかもしれない。それでも彼の初期代表作と呼ばれる所以だけあって、いくつかの隠された意味やメッセージは当然込められているはずであるのでそれら読み取っていきたいと思う。
 まず全体の印象としては、前述した通り読みやすくわかりやすいものであった。深読みせずに絵と言葉から直接読み取れるものだけでも充分理解ができ、且つホラー要素もあり楽しめる内容だと感じた。ステージに上がる腹話術師が人形で、操られているように見える人形が実は腹話術師本人であるということが明らかにされており、それは初見ではもちろんわからなく読み進めていくうちに読者にわかるようにされている。もしこれが初期つげ義春の作品ではなかったら、彼はこの事実ですらも描写せずに謎にしたままにしていたのではないかと思った。それくらいこの事実を明らかにしたことは『腹話術師』という作品が、今まで私が読んできた彼の作品とはかけ離れたものに感じた理由であろう。
 人形と折り合いが付かずに殺した腹話術師の話である訳だが、私が最初に読んだときの感想は、腹話術師が殺したのは本当に人形だったのか、というものであった。人形を殺した割にはあまりにもリアルで、最後に座長にその事実を伝えたときのラスト一コマの座長の驚いた表情が何かを意味しているのではないかと私は考えた。ホテルで人形と口論しているときも、一人二役を演じているようには見えずそこには二人の人間が普通に話しているように感じた。そうすると、もしかしたら人形だと思われていたものは、本当は普通の人間だったのではないか、という疑問が私の中に浮かんだ。ステージに上がる際も、人形と腹話術師に見せかけて実はどちらも生身の人間で、只の人間が普通に話しているだけであり二人は商売のパートナーだったのかもしれないと私は考えた。しかしそうすると、なぜ人形(に見せかけた人間)は轢かれたときに出血がなかったのか、という謎が生まれる。文章でしっかりと、人形が列車に轢かれただけ、と警官が言っているために、私の脳裏に浮かんだこの仮定には矛盾が生まれてしまう。では何が真実なのか。いっそのこと殺されたのは腹話術師本人で、殺したのは人間なのではないかとファンタジー的な考えにまで及んでしまおうかとも思ったが、それ以上行き着く先も見えなかったのでこの仮定も想像し難くなる。
 行き詰まったところで清水先生の『腹話術師』の解釈に手を出した。そこには、人形は父なる存在(座長)であり、腹話術師は父を憎んでいた為に人形を殺した、と書いてあった。母なる存在であるスーツケースの中にしまっていた人形(父)を殺すことで母胎回帰に行き着こうとした。
 一連の解釈を踏まえた上で再び読んでみると、この腹話術師がとても淋しい少年に思えた。天才故に狂気染みた行動をしてしまい、結局空っぽになってしまった彼には何も残るものはなかったのだろうと考えてしまう。唯一残ったものと言えば天才的な腹話術の技術だけであって、彼が持っているものは全てそこに傾倒してしまった為に、他のものを手に入れられなかったのだろう。ずば抜けたなにかの才能一つだけと、ありふれた小さな幸せを沢山持つこと、どちらが人間にとって幸せなのだろうか。どちらも手に入れることは不可能だと私は思う。多大な財産や地位よりも、細かくても当たり前でもいいから、傍にいる誰かと笑い合えるだけの幸せを選びたい。当たり前ほど難しいものはない。一見わかりやすいミステリーものに見えるこの作品もやはりつげ義春の描くマンガであって、深読みをすればするほど新しいストーリーが見えてくる。むしろ読みやすいように見えるからこそ、隠されたメッセージが見えなくなり難しいのかもしれない。
 普段読んでいた作品とはひと味違ってまた新しい彼の魅力を発見できたような気がし、とても興味深い作品であった。一年前はちんぷんかんぷんであったつげ義春が今では深読みの面白さに気付いてしまい、在学中にもっと彼の作品を読んでみたいと思った。
 
 ちなみに授業中に演じたものでは、白いダアリヤと鳥をやらせていただきました。この授業では新しいマンガの読み方を教えてもらい、本当に実りあった一年間だったと思います。ありがとうございました。家で眠っているドストエフスキーも読了したいと思います。