清水正の『浮雲』放浪記(連載15)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載15)
平成△年5月10日
 富岡は亭主の短い腕首に、オメガの時計がにぶく光っているのを眼にする。富岡が、今までどんなことがあっても手ばなそうとしなかった高級腕時計で、いわば富岡のダンディズムの象徴であった。その時計が、身分不相応に亭主の短い腕首に収まっている。なんでこんな短い腕首におさまっていなければならないのだという不満が腕時計から聞こえてきそうな場面である。亭主の短い腕首でにぶく光った時計の〈声〉に反応する代わりに、富岡は〈とりのぼせたような上ずった声〉で「ああ、これもめぐりあいだね。こんな記念すべき正月はない」と言う。富岡の亭主に向けた精一杯の皮肉だが、加野的善人である向井清吉にその皮肉の玉は届かない。向井は一万円で富岡のオメガを買って得意になっているが、若妻のおせいを魂ごと富岡に奪われてしまうことになる。
 富岡は男と女の関係においていっさい遠慮がない。富岡は伊香保についてすぐに、ゆき子に「とても、いいところね。あなた、どうして、こんな処を知っているの。昔、来たことあるの?」と聞かれて「学生のころ、来たンだ」と口ごもりながら答えていた。林芙美子は詳しいことは何も書かなかったが、もし富岡と、親友の小泉と、そして小泉と結婚した邦子と三人で来ていたら、その場面は、今この場面と重なるであろう。富岡はたとえ女が親友の女であっても、その女にその気が少しでもあれば図々しく、挑発的に仕掛けていくのである。
 富岡の向井清吉をバカにする態度は半端ではない。いったい向井はおせいの何を知っていたのだろうか。おせいは、父親のような歳の向井と一緒に暮らしながら、いつも東京へ逃げ出すことを考えている女である。こういった若い女を富岡のような男の傍らに坐らせてはいけないし、ましてや富岡を泊まらせてはならない。向井は自分の分をわきまえていない。太い腕首にオメガの時計が不釣り合いだったように、親子ほど歳の違う女と一緒に暮らしているのも不釣り合いなのである。しかし、向井はそのことに全く気づいていない。向井は「娘みてえに若い」おせいと一緒になったことをはじめ、「何事も因縁」で「めぐりあい」だと口にしていた。富岡は、おせいのねっとりした手を握り締めながら、これもめぐりあいだと皮肉な微笑を浮かべていたに違いない。不用意に、悟ったような言葉を口にするとそのしっぺ返しは半端ではない。
 富岡の眼差しは冷酷である。「スタヴローギンはあらゆる地を巡礼してまわり、心の糧はどこにも得られないままでただ憑かれた人として故郷へ戻って来たのだが、富岡は遠い仏印から戻って、人生に醒めた人間として、自分みずからの命を絶とうとしている。富岡にとっては、この世は、おもしろくもおかしくもなかったのだ」(277〈二十九〉)と林芙美子は書いていた。

 富岡兼吾は和製ニコライ・スタヴローギン
である。富岡はべつに世界を経巡って来たわけではないし、唯一絶対の神に対する反逆も不信も、その神に成り代わってどこまで沈黙を保持できるかという実験も試みることもなかった。ただ富岡は〈人生に醒めた人間〉として、解決不可能な虚無のただ中に置かれた魂の抜けた空っぽ人間であることだけは確かである。ただし、富岡は死の妄想に遊ぶことはあっても、死ねない人間であることも確かであった。また、富岡兼吾も作者の林芙美子も『悪霊』のニコライ・スタヴローギンが自殺したことをうたがっていないようだが、政治力学的に考えれば、彼は自殺よりもピョートル・ヴェルホヴェーンスキーおよびその一派によって殺された可能性もある。

 『悪霊』の最後の場面を見てみよう。

  ワルワーラ夫人がいきなり階段を駆けのぼりはじめた。ダーリヤがあとにつづいた。しかし、屋根裏部屋に入るなり、声高く叫んで、そのまま気を失って倒れた。
  ウリイ州の市民は、ドアのすぐ後ろに
ぶらさがっていた。小卓の上には小さな紙片が置いてあり、鉛筆で次のように書かれていた、ーー『だれをも咎むることなかれ、われみずからなり』。同じその小卓の上に、金槌と、石鹸のかけらと、予備に用意したものらしい大きな釘とが載っていた。
  ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、も一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていたみ。
  町の医師たちは、遺体を解剖したうえで、精神錯乱説を完全に、そして強く否定した。
江川卓訳)