岩本憲児先生より原稿が送られてくる

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岩本憲児先生より原稿が送られてくる
日芸図書館は今年「林芙美子の芸術」を刊行する。日芸らしいカタログ雑誌を作ろうというコンセプトで、文芸、演劇、写真、美術、デザイン、放送、映画学科の先生に原稿を依頼した。六月末が原稿締め切りであるが、今回、岩本憲児先生より「地底のマグマ―― 『浮雲』の映画と小説」が届いた。前半の部分を紹介しておきたい。
 かつて銀座の並木通りに「並木座」という小さな映画館があった。日本映画専門の名画座であり、私は学生時代にここで数多くの古い映画、見逃した映画を見ることができた。その一つに成瀬巳喜男監督の『浮雲』があった。この映画は昭和三〇年(一九五五)に封切られているので、私が見たときは一般公開から一〇年ほど経っており、私は二〇歳を過ぎていたと思う。
映画を観終わった私は衝撃を受けた。映画館を出ても深い情念が心の奥に渦巻いていた。それがなぜなのか自分には説明できなかった。いま思い返しても、あのときの衝撃が何だったのか、明確に説明することはできない。『浮雲』の物語と私にはまるで接点がなかったからである。戦争体験はむろんなく、熊本市の南、八代という小都市で育った私には、戦後の混乱や厳しい生活の光景さえほとんど記憶になかった。高峰秀子森雅之が演じたあの二人の役、俗にくされ縁とでもいうような男と女の経験もなかった。しいて言えば、小説『浮雲』より先にカミュの『異邦人』を読んでいた私は、当時の学生を感染させていた不条理や実存主義、『異邦人』やサルトルの『嘔吐』などと通底するものを映画に感じたのかもしれない。『異邦人』のムルソーは母の死にも、情事の相手にも、殺人にも非情であり、そして自分を裁く裁判にさえ、無関心である。殺人の動機を問われても、「太陽のせい」としか答えない。私にとっては、不条理な生と仏教的無常観とが混合して、運命的で虚無的なものが胸を打ったように思われた。くされ縁という、男女の生々しい肉体を通した存在ではなく、より抽象化された男女の業、理性を超えた人間の業を、まだ人生経験の浅い青年なりに受け止めたのだろう。


図書館長室で。左から戸田課長。岩本教授。清水館長。高橋福館長。
岩本先生に「林芙美子と映画」に関するエッセイを依頼したのは五月十一日であった。突然のお願いにもかかわらず御快諾いただいた。この日、図書館長室で記念撮影した。撮影者は山崎主任。


岩本憲児教授。日芸大学院で「映像特論」を担当されている。