意識空間内分裂者が読むドストエフスキー(連載7)

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意識空間内分裂者が読むドストエフスキー(連載7)
山城むつみの『ドストエフスキー』から思いつくままに
清水 正

「文芸GG放談」。清水正山崎行太郎。熱海「ラ ビスタ」にて。2010-12-26

 『罪と罰』に登場する女性の中でソーニャやドゥーニャに次いで重要な位置を占めているのがカチェリーナの長女ポーレンカである。ポーレンカの正式名アポリナーリヤは、陵辱を拒んで自死した聖女の名前に由来する。カチェリーナは継子のソーニャには〈身売り〉を強要したが、我が子ポーレンカには、もしそのような事態になれば、我が身を滅ぼす途を選ぶことを願っていたことになる。ソーニャはアル中のマルメラードフ、結核患者のカチェリーナとその幼い連れ子たちのことを思って身投げする途を閉ざされている。もはや、良いとか悪いとかの次元を超えた話である。

今、わたしが注目したいのはポーレンカである。カチェリーナとソーニャのやりとり、マルメラードフが酒に酔ってソファに横になっている姿を一番背後から眺めていたのはポーレンカだ、と言いたいのである。マルメラードフは、告白話の中で子供たちの眼差しには触れていないので、よほど注意深い読者でないとそのことを気にもとめない。十歳にもなった女の子は、大人が思っている以上に家庭の事情が分かっている。ソーニャが口にした〈そんなこと〉がどんなことかを、このポーレンカですら知っていた可能性があるのだ。

ソーニャが三時間の〈踏み越え〉のドラマを演ずることになったその前後の場面を、十歳のポーレンカこそが凝視していたとすれば、読者はこの一家の場面をポーレンカの眼差しに重ねて眺めてみる必要もあろう。腹をすかした幼い二人の子供たち、レーニャとコーリャ、彼らは泣き疲れて寝ていたのか、それともカチェリーナの罵声に恐怖を感じて姉のポーレンカにかじりついていたのか。黙って家を出ていくソーニャの姿を、興奮にかられて激しく身もだえているカチェリーナを、いつまでも酔いつぶれた振りをして汚れた黄色い壁におでこをつけて身じろぎもしないマルメラードフを、悲しみいっぱいの胸で凝視していたのがポーレンカだったのではないか。

銀貨三十ルーブリをテーブルに置いて、大きな緑色のショールを頭からかぶり、からだ中をふるわせ続けていたソーニャ、そのソーニャの足元にひざまずき、娘の足に接吻し、しまいには二人ともに抱き合って眠ってしまったという、その一部始終を見ていたのはマルメラードフだけではなかったということ、わたしはこの告白話の場面を読むたびにポーレンカの余りにも悲しく、余りに寛容な眼差しを感じて戦慄を覚える。

マルメラードフはソーニャの〈踏み越え〉話の最後を「で、私はといえば・・・酔っぱらって寝ころがっておった」で終える。が、このマルメラードフの〈酔っぱらって寝ころがっておった〉その姿をもポーレンカの眼差しはとらえていたということである。はいはい、もちろん『罪と罰』のどこにもこんなことは書いてありません。書いていない、描いていない、そんな場面をも見てしまうのがわたしの批評ということです。

さて、高位高官の漁色家で〈善良な人〉と讃えられたイヴァン閣下にもどりましょう(この際、語り口調もですます調に変えてしまいますが、しかしそれで終始一貫するつもりもないので、要するに文体はその時の気分で変わります。あらかじめご了承ください)。この閣下の名前と父称はイヴァン・アファナーシィエヴィチですが、さて、この漁色家の父称を名前にした人物がいることを覚えていますか。あまり照明の与えられなかった人物ですので記憶にない読者が大半でしょう。実はロジオンの母親の異常に長ったらしい手紙の中に出てきます。以下、江川卓訳で引用しますが、名前の表記に関してはわたしなりのものにします。これは好みの次元のことで他意ははありません。米川正夫訳でドストエフスキーを長いこと親しんできたわたしにとってイヴァン(Иван)をイワンと表記されることに何かピッタリこないところがある、そんな程度のことです。

『私がおまえをどんなに愛しているかはご存知のとおりです。おまえはうちのひとり息子、私とドゥーニャにとってのすべて、私たちの希望の星なのですから。おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、私の驚きはいかほどだったでしょう! でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助がすできましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イヴァーノヴィチ・ヴァフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。』

 アファナーシイ・イヴァーノヴィチ・ヴァフルーシン(Афанасий Иванович Вахрушин)は、母のプリヘーリヤによれば〈いい方〉(добрый человек)で、その上、ロジオンの父親の〈お友達〉(приятель)だった。プリヘーリヤの手紙の文体は、マルメラードフの道化た話体にも通じて、深く屈折している。マルメラードフは自分の娘ソーニャのからだと引き替えに銀貨三十ルーブリを報酬として与えてくれた閣下、イヴァン・アファナーシィエヴィチ(Иван Афанасьевич)を〈善良な人〉(божий человек)と呼んでいた。〈善良な人〉がペテルブルク中で知らない者が誰一人としていないほどの〈漁色家〉であったことを見過ごしてはいけない。

プリヘーリヤがここで〈アファナーシイ・イヴァーノヴィチ〉(この男の名前はイヴァン閣下の名前と父称をひっくり返しただけのもので、名前自体がイヴァン閣下を戯画的になぞっている)のことを〈いい方〉(добрый человек)などと書いていること自体があやしいと思わなければいけない。さらに、プリヘーリヤは〈いい方〉だけでは気がすまなかったのか、わざわざ「お父様のお友達でもあった方です」とつけ加えている。つまりプリヘーリヤが伝えたいことは、〈いい方〉で夫(息子ロジオンの父)の〈お友達〉であったアファナーシイは、年金百二十ルーブリの金でなんとかやりくりして、息子に満足に仕送りもできない哀れな未亡人に、その年金を抵当にしなければ金を貸してくれなかった、まったく同情心のかけらもない〈商売人〉だということである。

マルメラードフは告白話の中で新思想の信奉者レベジャートニコフの「同情などというものは、今日では学問上でさえ禁じられておる」という言葉を紹介していた。どうやらこういった新思想は首都ペテルブルクにだけ蔓延していたのではなく、リャザン県ザライスクの片田舎にまで浸透していたのであろうか。イヴァンの息子アファナーシイという名前の、プリヘーリヤの夫の〈お友達〉も、もしかしたらザライスクで知らない者がいないほどの漁色家であったかも知れない。

この観点からすれば、また途方もないラスコーリニコフ一家の闇が見え隠れしてくる。ドゥーニャは海千山千の五十年輩の淫蕩家スヴィドリガイロフの魂を奪ってメロメロにしてしまった魔性の美女であったことを忘れなければ、プリヘーリヤの夫の親友であったアファナーシイの淫蕩心をもそそっていたことは明白ではなかろうか。つまり、ドゥーニャはスヴィドリガイロフ家で色恋沙汰のスキャンダルを起こす前にも、すでに故郷ザライスクでも同じような事件を起こしていた可能性があったということ、だからこそプリヘーリヤの家の塀に黒いタールを塗られたりしたのだということ、そしてそういった事件に、〈いい方〉で〈商売人〉のアファナーシイも深く関与していたのではないかということ、そんなこんなが考えられるということである。

注意すべきは、ここでドゥーニャの色恋沙汰だけが問題になっているのではなく、未亡人プリヘーリヤもまたその問題の当事者として関与していたのではないかということである。