荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載29)

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偏愛的漫画家論(連載29)
山口貴由
 「ビジュアル系ハードコア漫画道を覚悟して読め!」(その②)
●「覚悟のススメ」のススメ

山口貴由初期の代表作「覚悟のススメ」は、1994年、「週刊少年チャンピオン」13号から1996年、同誌18号まで、100週に渡って連載された大作である。その他に、連載終了後の1996年、「週刊少年チャンピオン」39号に、特別編として「絶頂天狗剣の巻」、同年同誌44号に「強化外骨恪・雫の巻」を発表している。
何と言っても悠に2100ページを超える大作である。更に特別編2話で70ページ強。ストーリーを全編に渡ってご紹介するには膨大過ぎる為、ここでは、その輪郭だけに止める事をご容赦頂きたい。また、同時に、是非手に取って読破して頂きたい一作である、と言っておこう。

舞台は近未来の日本。3年に及ぶ地球規模の地殻変動により、破壊された新東京04番地区。そこには、「戦術鬼」と呼ばれる異形の怪物が暗躍し、残り少ない人間を殺戮している。
その地区にある「私立逆十字学園」、そこに、一人の転校生が登校する。白い学ランを纏う丹精な顔立ちの高校生、この少年こそ本作「覚悟のススメ」の主人公「葉隠覚悟」である。前回批評した「平成武装正義団」の神風零を継承するも、その澄んだ瞳には、神風を遥かに越える覚悟が静かに燃える。


●「武士道とは死ぬことと見付けたり」、「覚悟」の覚悟

名は体を表す、と言う。この主人公の、葉隠覚悟と言う名前は、そのまま人格を表している。姓は葉隠、名は覚悟である。「葉隠」とは、勿論「山本常朝」が残した武士道の聖典であり、300年前に書かれた物であるが、今もなお読み継がれている思想書で、あの「三島由紀夫」の愛読書であった事は有名である。中でも、「武士道とは死ぬことと見付けたり」と言う教えを知らない者はいないだろう。己の我欲を一切捨て去り、死に身になる、全てを投げ捨て一念になる、それが真の武士道である、と言う事だ。また、ほぼ同義であるが、武士道とは「死狂い」とも言っている。死に物狂いになっている武士なら、それがたった一人であったとしても、数十人が寄って集ってもその一人を倒す事は難しい、と言う意味を指す。覚悟には、正にこの覚悟があるのだ。
余談になるが、山口貴由の最新作にして代表作、2003年、秋田書店チャンピオンRED」9月号から2010年9月号まで連載された「シグルイ」であるが、言うまでもなく「葉隠」の「死狂い」をそのままタイトルにした物である。

覚悟の祖父は、戦争犯罪者の「葉隠四郎」、第二次世界大戦中に、2000人以上の捕虜を人体実験で虐殺した軍人である。その人体実験こそ、最強の戦闘服、強化外骨格を纏う戦略人間兵器の開発の為であった。
そして、零式防衛術、これも四郎が編み出した最強の武術であり、第二次世界大戦に破れ去った後に、息子である「葉隠朧(おぼろ)」に、強化外骨格「震」と共に受け継がれるのだ。

朧には二人の息子があった。一人は、この「覚悟のススメ」の主人公、覚悟、そしてもう一人は、覚悟の美貌の兄、「散(はらら)」である。そして、この零式防衛術、強化外骨格は、漏れなく二人の息子に伝授される。
それは、まずは零式防衛術、防衛術と謳っているものの、一撃必殺の最強武術である。
そして零式鉄球、特殊素材の鉄球をリベットの様に身体に埋め、それは血小板と同化し血液中に溶解、防衛し切れない異物が迫った時に、その血液は表皮に分泌され、迅速に凝固すると言う物で、言わば即席の鎧の様なものである。
最後に、強化外骨格。これは、単なる強化服ではない。その強度もさる物ながら、繰り返される人体実験により完成された強化外骨格である、その恨み、苦しみ、悲しみ、それこそ死者の魂で構成されているのだ。その強化服を着用する者には、全てを受け入れる覚悟と、大義への一念、肉体だけではなく、同時に強い精神力が必要なのだ。今までも、この強化外骨格を着用しようと、幾人もの頑強な兵士が挑戦したが、敢え無く強化外骨格に惨殺されている。この強化外骨格は生きているのだ。
覚悟、散は、それこそ何度もの死の苦しみを乗り越え、強化外骨格を自分の友とする。覚悟は強化外骨格「零」、散は同じく「霞」と一心同体となる。

ところが、ここで散が乱心する。全てを伝授した散は、この力は人間を守る事ではなく、死滅させる事に使用する事を高らかに宣言し、父である朧を殺し、覚悟までも手に掛け、谷底に突き落とす。そして、白い学ランを脱ぎ捨てた散の身体は、その美しく膨れた胸、締まった括れを持つ、女性の身体となっていたのだ。霞と交わった散に、一体何が起こったのか。

ただし、覚悟は生きていた。何とか一命を取り止めた覚悟は、父の意思を継ぎ、人間を守る為、正義を貫くと言う大義の為、怪物、戦術鬼の出没する荒れ果てた新東京へと向かうのだ。この戦術鬼こそ、四郎が造り上げた戦闘用改造人間であり、人間を死滅させようと試みる散の手足である。

葉隠覚悟であるが、「平成武装正義団」の神風零を継承する、と書いたが、種明かしをすると、連載の打ち合わせ当時に、秋田書店の編集者の澤氏が、神風零の感じで描いて欲しいと申し出たらしい。成るほど、キャラクターの造形はかなり近い。ただし、前回にもお話した通り、戦闘意義には随分開きがある。神風は、所詮は自分を虐め続けた番長グループへの復讐に過ぎない。これは武士道ではない。覚悟の戦闘意義、これは深い。何と言っても、勿論、人間を守ると言う父の大義を背負い、葉隠家代々の暴挙を清算する為でもあり、そして何よりも、戦争と言う痛ましい出来事の中で死んで行った英霊たちの魂を救済する為の戦闘である。

目の前に立ち塞がる怪物、戦術鬼と戦闘を繰り返す覚悟。ただし、覚悟は、戦術鬼だからと言って、初めから戦いを挑む訳ではない。改造人間、戦術鬼とは言え、元は人間である。この発想は、「悪鬼御用ガラン」のガランから引き継がれる。そして覚悟は、その戦術鬼を破壊するしか選択肢がないと判断した時のみ、強化外骨格零を装着し、戦いの構えを取るのだ、「覚悟完了」と。覚悟をするのだ。一念、覚悟、それが出来る人間は滅多な事では負けないのだ。これは、現代社会でも同じである。
この、「覚悟完了」の場面は、漫画史に名場面として残っても良い、否、残さなければならないだろう。


●美貌の現人鬼、「散」の哀しみ

強化外骨格霞の装着により、散の身体は一度引き裂かれる。この強化外骨格を完成させる為に、1歳になったばかりの赤ん坊まで人体実験の犠牲にしている。そして、その母は、霞の前で恕死しているのだ。四郎への、そして人間への恨み、怒りの猛烈な力で、自らの肉体を破裂させ、壮絶な死を遂げたのだ。霞に憑依しているのは、この母の怒りである。霞と一体となった散には、この母の怒りのみが憑依したのだ。憎い憎い人間を抹殺しようと。
そして、その居た堪れない母性が、散の身体を女の身体にしてしまったのである。元々美貌の散である、更に美しい身体を持ち、その美貌は悪魔懸かるのだ。

散は、新東京13番地区のガラン城にアジトを持つ。散と共にこの城を守る側近は、天駆ける獅子、大老の「知久」、忠誠の為、散の為に霞に飲み込まれる老中の「影成」、散の専属医ながら、灼熱の炎と化し覚悟の前に立ち塞がる御典医の「腑露舞」(ブロブ)、覚悟も一目置く、老兵ながら真の武士、衛兵隊長「ボルト」、ガラン城の頭脳、二つの首と巨大な脳を持つ理系総支配「我理冷夫」(ガリレオ)、自分本位で変質的なサディストであるが、散に対する忠義は誰よりも厚い戦術鬼総支配「血髑髏」、そして、これも本物の武士で、私が思うに、山口貴由の分身であろう御側役の「ライ」、この者たちは皆、心から散を慕っている。ボルト、ライに於いては、元々は散を倒す為に戦った戦士であるが、散の強烈な能力、美貌に心臓を鷲掴みにされたのだ。散には、それぐらいのカリスマ性がある、否、正にカリスマなのだ。

この戦いは、零と霞の戦いである。第二次世界大戦で散った英霊たちから成り、神国日本の為に大義を果たそうとする零、そして、我が子を思う、たった一人の母の怨念との戦いなのだ。たった一人とは言え、母の、子への深い愛は地球をも食らおうとする。そして、世界大戦中に、四郎により人体実験が行われていた中国の「血涙島」で、覚悟と散、零と霞の最後の戦いは決するのである。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。