荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載59)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載59)
山松ゆうきち
誰も書けなかった山松ゆうきち
だがないや〜初期山松漫画に見る敗者の哲学(その③)


●草川隆原作「いっぽん伊平太」〜実話に基づく大日本帝国悲話

山松ゆうきち初の長編漫画となる「いっぽん伊平太」は、「青春編」、「雄飛編」と銘打った上巻、下巻2巻に分かれて、1975年、少年画報社から発行された約660ページに及ぶ大作である。後にも先にも、山松ゆうきちの長編漫画作品は、この「いっぽん伊平太」と1978年に双葉社から発行された約540ページの「天元坊」の2作品しかない。

これも山松漫画としてはお初であるが、 この「いっぽん伊平太」は、原作付である。原作者は、草川隆、「アポロは月に行かなかった」、「まぼろしの支配者」など、デビュー間もない頃はSF作家であったようだが、比較的近作を見ると、「信州伊勢谷殺人事件」、「上越新幹線信濃川殺人事件」、「東北新幹線奥の細道殺人事件」、「特急あさま殺意の信越本線」、「寝台特急出雲殺意の山陰路」など、西村京太郎とダブるタイトルが目白押しのミステリー作家となっている。

草川隆の漫画の原作としては、代表作に、1973年、小学館の「週刊ポスト」に連載された、薬師やくの壮絶なストーリー、「やく」がある。真崎守が作画を担当した作品であるが、飛騨山脈の隠里を舞台にした、宿業の赤子やくの、生、死、そして愛を描いた力強いストーリーで、草川隆とはなかなか骨太な作家である、という印象を持った。少なくとも、近作の鉄道ミステリー作家という器に収まるような作家ではないと思うのだが。

余談になる。草川隆の作品の中に、1997年に祥伝社から発行された「永井荷風 秘本の殺人」というミステリーがある。書店のネット販売サイトで表紙を拝見しただけであるが、この装丁は原孝夫先生の作品で間違いないであろう。もしこれが原先生の作品ではないとしたら、原先生に相当インスパイアされた装丁家の作品である。


●「いっぽん伊平太」青春編〜伊平太、海へ!

舞台は江戸末期、この漫画の主人公山岡伊平太の父で、勝海舟と共に「威臨丸」に乗船し、サンフランシスコへ渡るメンバーだった山岡十三の生い立ちから始まる。
そのメンバーの中でも勤勉で語学力に長けていた十三であったが、肺病を病み、病に伏せっているうちに「威臨丸」は出航してしまう。
無念でやり切れぬ思いのまま、十三は生まれ故郷の天草に戻るが、大儀の為、家族も恋人も捨てた十三を、天草は決して歓迎しない。悪化した肺病の為、そのまま死を迎える十三であるが、最後に、今では家庭を持ち幸に生活をしている元恋人を犯し、果てる。
そうして生まれて来たのが伊平太である。

「オイは死なんぞ!!」と血を吐きながら元恋人を犯す十三。ざかざんざかざんと、外は強い雨が降る。
生まれからにして、因業である。ここから始まる伊平太の波乱万丈な人生は、前世から引きずったものなのだ。

十三に犯されて産み落とされた伊平太は、母と共に、家族の中で虐げられるようになる。ろくな食事を与えられずに、重労働を強いられる伊平太、腹に悪性の腫瘍が出来、納屋に隔離される母。その母の死を期に、伊平太は、婆を風呂桶に静めて殺害し、海辺の岩場に潜んで暮らす。

そんな時に、外国に売られた十三の妹モトが、天草に凱旋する。アメリカで身体を売った金を持って、家族で暮らそうと生まれ故郷に戻ったモトであったが、兄十三を含め、縁故者は既に他界した後だった。
モトは、十三の子、伊平太の存在を知り、潜伏していた伊平太を探し出し、面倒を見ることになる。

ところが、母親代わりとなったモトは、毎日のように伊平太にセックスを強要する。長い間、毎日男の相手をして来たモトは、男なしでは一日たりとも過ごせない身体になっていたのだ。
そんな事情から、伊平太は早熟に育ち、村中の女たちとまぐわうようになり、いつしか村人たちから疎外されるようになる。

ここで、伊平太にとっての転機がいきなり訪れる。天草に、人買いがやって来たのだ。人買いは、毎年天草を訪れ、年頃になった娘たちを買って行く。今年も、何人もの娘たちが買われて行くのだが、その中に春がいた。春は、伊平太の幼馴染で、村中の女とまぐわう伊平太であったが、春への思いだけは別格だった。また、春は、伊平太を心憎からずと思いながらも、誰とでもまぐわう伊平太を拒絶していた。気高い娘であったのだ。

伊平太は、モトを捨て、春を助ける為、単身で人買いの船に乗り込むのだ。

江戸末期から文明開化を迎えたばかりの時代である。天草とは言え、地方の生活はままならない時期であろう。貧しい農家は間引き、人買いに娘を売る。女たちは、伊平太の差し出す握り飯一つで股を開く。十三の、叶わぬ大儀への未練、生きることへの執念が生ませた伊平太。業が業を呼ぶ。

この壮絶なストーリーに、山松ゆうきちの画風は正に打って付けである。人間の業を描かせては、山松ゆうきちの右に出る者は皆無だ。真崎守は大変な画力を持つ漫画家であり、「やく」も、人間の業を、これでもかと掘り下げて表現していた。これはこれで力作であったが、もし、「やく」を山松ゆうきちが描いていたらどうなったであろう。それは、深淵に眠る深い深い悲しみ、人間の原罪を掘り起こすやり切れない作品となっていただろう。この「いっぽん伊平太」のように。



●「いっぽん伊平太」雄飛編〜伊平太、春との決別!

天草から長崎へ、長崎で外国船に乗り換え、娘たちは外国に売られる。もちろん密航である。伊平太も、春を追い、外国船に忍び込む。

ところが、その外国船内で、人買いと船長の間に揉め事が起きる。船長、そして乗組員が、娘たちを犯そうと企んだことが原因である。高い金で買った娘たちを、ここで傷つける訳には行かない、人買いは、船長と戦い、何とか外国船を鎮圧する。潜伏していた伊平太が加勢したことも勝因の一つであった。

外国船が上海に寄航し、人買いは、娘たち、伊平太を引き連れ「日本茶館」へ逃げ込む。「日本茶館」とは、外国人を相手にする日本人娼婦、からゆきさんの売春宿である。
そこで、伊平太は、娼婦として従事を強要される春を救おうとするが、逆に袋叩きに合い、地下室に監禁される。また、全く言う事を聞かない春は、日々執拗な拷問を受ける。

そこに、事件は勃発する。外国船の船長が、上海の秘密結社を使い、「日本茶館」へ攻撃を仕掛けたのだ。
日本茶館」は焼かれ、地下室に隠れた人買い、館長、そしてたまたま監禁されていた伊平太は、何とか逃げ切るが、春は、船長に連れ去られてしまう。実は、船長は、外国船の中で、気高い春に一目惚れしてしまったのだ。

伊平太は、春を取り戻す為、船長の滞在する館を襲う。命からがら、春の救出に成功した伊平太は、小船に乗り込み海へ逃げるが、その小船も破壊され、小さな木箱に、春と二人でしがみ付く。さすがの伊平太も死を覚悟する。遠ざかる意識の中で、伊平太は思う、「春と一緒じゃけん、おりゃ死んでも本望じゃ、春・・・」と。

伊平太が春の手を握ると、朦朧とした春は声を絞り出すのだ、「しょうた・・・」と。それは、やはり春の幼馴染の男の名であった。伊平太に、言いようのない怒りが込み上げる。「おりゃ死なんとじゃ、おりゃ死なんとじゃ」、伊平太は、最後の力を振り絞って陸に向かうのだ。

母親代わりとなったモトに、毎晩のようにセックスを強要された伊平太。握り飯一つで、村中の女子と関係を持った伊平太。それでも、初めて海辺で出会い、一緒に海草を取った春、伊平太が海辺の岩場に潜伏したいた時に、握り飯の差し入れをしてくれた春に対する気持ちだけは、本気の純愛だった。だから、伊平太は命を懸けた。春の為に、惜しむものは何も無かった。伊平太の怒り、そして悲しみの深さは推して知るべきである。

ここで、伊平太は変貌を遂げる。人買いの右腕となる。連れ戻した春の歯を全て抜き、薬漬けにして娼婦に仕立てる。以前の伊平太ではない、伊平太を知る娼婦も、伊平太のあまりの変貌に戸惑う。「おりゃもう女子は信用せんことにしたんじゃけん」、伊平太は言いのける。

しかし、船長もそう簡単に引き下がらない。秘密結社を従えた船長は、再び伊平太の居る娼館を襲うのだ。意地もあったろうが、船長の春への思いも、また本気の純愛だったのだ。
船長は、再び娼館を焼き尽くし、これも再び春を奪還する。そして、ここで、焼け落ちた木材に埋まった人買いが火に包まれ死を遂げるのだ。

人買いは、死ぬ間際に、伊平太に人買いの哲学を語る。自分は、極悪非道の人買いだと呼ばれた。だが、子供を売る親がいなければ、人買いは出来ない。自分は、売りたいという親の子を買っているに過ぎない。もし人買いがなければ、大勢の貧乏人が困る。自分は人買いに誇りを持っている。貧しい人間にとって、自分は救いの神だ。人買いは、そう言って事切れる。

必要悪である。人買い、というビジネスモデルは、今の世の中では通用しないかも知れないが、多かれ、少なかれ、それに似た行為は平然と行われているではないか。

伊平太に、人買いの末期の言葉が響く。伊平太は、そのまま人買いとなる。人買いと同じ帽子、同じ眼鏡を掛け、人買い伊平太、女衒伊平太が誕生するのだ。

一緒に死んでも本望だと思っていた春との決別により、伊平太は一回り大きくなる。春だけが心の拠り所だった。春の為なら命を捨てることさえ躊躇しなかった。
これから伊平太は、女衒として功を為すが、その拠り所を、何と大日本帝国に求めるのだ。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。