荒岡保志の偏愛的漫画家論(番外編)後編・日野日出志試論

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日野日出志研究」刊行パーティ。2010.12.27

偏愛的漫画家論(番外編)
日野日出志試論
日野日出志先生について考える2、3の出来事、2011年」(後編)

漫画評論家 荒岡保志


●2011年1月8日、日野日出志版「東海道四谷怪談」を観る


我孫子市の事務所で一仕事終えてから、当社(広告代理店)の専務の運転で(度重なる飲酒運転の為、私の運転免許は2回取り消し処分となる)古書店回り、野田市まで足を運び、そのまま柏市へ。柏駅周辺まで送ってもらい、漫画同様、映画もこよなく愛する私は、古書店と同時にDVDショップを梯子する。
柏駅周辺で良く利用するのは、東口アーケード街のほぼ中央にある「新星堂」、東口デッキに面する「ビックカメラ」、南口、駅近くの「タワーレコード」。それと、やはり駅南口から歩く事4,、5分、柏神社にも近い、旧水戸街道沿いに面する「オーディオユニオン」。

「オーディオユニオン」でDVDを物色していると、懐かしい(と言っても、発売からまだ12年程度、日野日出志先生の作品としては新しい方に入るが)日野日出志版の「東海道四谷怪談」を発見、しかも新品。パッケージのクレジットを見ると、発行日が2010年6月23日とあるのと、発売元が「株式会社スバック」となっている。1999年に、ビデオコミックとして発行された発売元は「リーガル出版」であった事を考えると、販売権を譲渡したのか、その辺りの経緯は不明だ。「株式会社スバック」は、新宿区にあるCD、音楽の制作会社であるらしいが。

そんなこんなで夕方まで柏駅周辺で買い物をしていると、清水正教授から携帯電話にコールがあり、今から柏で飲む事に。
待ち合わせたのは、柏駅西口の、これも今はなきカテゴリーの「純喫茶」、柏市民なら誰もが知る老舗中の老舗喫茶店「うらら」である。この喫茶店は、3階がパーティルームになっており、以前、もう5年近く前になるが、柏市の文化団体の依頼で、清水教授が講演を行った事があるのだ。

そして、西口すぐの大手居酒屋へ。風が強く、あまりにも寒かったので、飲食街まで歩くのが面倒臭かったのだ。
乾杯を済ますと、私はおもむろに鞄から「東海道四谷怪談」のDVDを取り出し、清水教授に自慢気に見せ、話は、再び年末の「日野日出志研究」出版記念パーティを肴に盛り上がるのだ。
その時に、清水教授から、「そのDVDを観終わったら感想を書いてみたら」、と提案をされ、単発ではあるが、日野日出志先生の比較的近作について、随想的に認めようと思ったのが、この「日野日出志試論」である。

日野日出志版「東海道四谷怪談」は、多分発売当時だと思うが、レンタルビデオ店で借りて観てはいる。余り詳しい情報がないまま借りて観たので、日野日出志先生の、あの絵柄がアニメーションになったのか、動くのかと期待して観たが、言わば紙芝居のような構成で、ややがっかりした事だけは覚えている。
とは言え、全編が日野漫画となる訳で、単なるキャラクターデザインとは一線を引く、言わば日野日出志画集のようなDVDとなり、日野漫画フリークとしては、これはこれで価値があるのだ。何と言っても、描かれたイラストは全編で350枚に及ぶのである。

久しぶりにこのDVDを観て、少し感じたのは、私の印象にある「東海道四谷怪談」と誤差がある、と言う事である。言うまでもなく、「四谷怪談」は誰もが知っている怪談話の王道であり、原作は「四世鶴谷南北」、歌舞伎役者の家系で、四代目は狂言作者である。「三遊亭圓朝」の落語でも有名だ。何分、古典作品の為、映像化を繰り返しているうちに、どれがオリジナルか不明となっている節もあるが、「東海道四谷怪談」と銘打つのは、あのジャパニーズホラー映画の名作中の名作、1959年に、鬼才「中川信夫」に依って監督されたものであろう。「民谷伊右衛門」役を、「天知茂」が演じた、あのホラー映画である。日本では勿論だが、イギリスの由緒あるホラー専門誌で(確か「モンスター」だと思ったが)、「最も怖いホラー映画」に何年間も堂々1位に付けていたと聞いた事がある。「お岩」の怖さは万国共通なのだ。
そして、今回は日野日出志先生の、あの絵柄にして「東海道四谷怪談」である。何か、観る前に、その怖さが伝達されるのは私だけではあるまい。

ストーリーにやや誤差があると感じたのは、余りにも頻繁に登場するお岩の父、「四谷左門」の幽霊と、伊右衛門とお岩の間に生まれる赤子の存在だ。素直に、「あれ、二人の間に子供が居たんだっけ?」と言う違和感である。その為、現れる幽霊は、お岩を始めとして、左門、伊右衛門に諮られて殺される按摩の「宅悦」、そして赤子。エンディングは、「マイケル・ジャクソン」の「スリラー」よろしく、幽霊総動員である。これはちょっと遣り過ぎ感がある。お岩の怖さの本質は、逃げても逃げてもいつの間にか纏わり付くお岩の存在なのだ。逃げ切って安堵する伊右衛門の背中に潜むお岩の影なのだ。

これは怖い。幽霊屋敷ならば近寄らなければ良い。「吸血鬼ドラキュラ」も、撃退方法が研究され尽くし、今となってはオープンである。狼男も、フランケンシュタインも実体がある為、そのものの殺害、破壊が可能である。しかし、お岩はどうだ。実体はない、でも取り殺される。幾ら逃げても現れる。この形相だけでも恐ろしいのに、お岩は、神出鬼没の幽霊で、しかも強烈なストーカーなのだ。
こんなストーカーに取り憑かれるぐらいなら、いっそ死を選んだ方が幾らか増しであろう。

それはさて置き、日野日出志先生の絵はと言うと、これは久しぶりの力作ではないか。多少コンピューターに頼っている部分も見受けられるが、かなり丁寧に描かれている。同時期に描かれた作品は、1998年、「ぶんか社」の「ホラーM」3月号から、13回に渡って連載された「世紀末怪談」、1999年、同誌10月号から11回に渡って連載された「GO HOME」の頃である事を見ると、「東海道四谷怪談」が如何に真剣に描かれているかが分かるだろう。しかも、フルカラーで350枚である、これも大変なページ数だ。

きちっと描かれた背景にも、初期の日野漫画の名作の数々を彷彿とするものも多く、日野日出志ファンには価値の高い一作だと言える。正直、DVDではなく、敢えて絵本で出版して欲しいところである。

ただしだ。DVD、ビデオコミックとしての出来はどうかと言うと、これは少し首を傾げる。ずばり、一言で片付けるとすれば、演出が下手なのだ。このレベルの演出をするのであれば、前述した通り絵本で出版してくれれば良かったのだ。

まず、イントロダクションで、現代の四谷からスタートするところからドッチラケである。実話である事を強調したかったのだろうが、逆効果である(因みに、「四谷怪談」が実話であると勘違いしている方が多いようだが、モデルになったお岩こそ実在の人物であるが、このストーリー自体は全くのフィクションである)。ここは、タイトルから、日野日出志先生の、幽玄の世界へ引き摺り込んだ方が余程臨場感があったろう。

もう一つは、効果音、そして音楽の使い方だ。使い方、と言うのはやや御幣があるか。この紙芝居は、殆ど効果音、音楽を使用していないのだ。そのまま、絵本の棒読みである。要すれば、ビデオコミックと言うカテゴリーの特性が全く生かされていないのだ。少なくとも、「ビデオ」と称するのならば、もう少し映画的な手法を取り入れるべきではないか。わざわざ手間暇掛けてビデオ化した意味が不明だ。

最後に、声優が異質。見れば、伊右衛門に「京本政樹」、お岩に「戸川京子」など、一流の俳優を揃えている事は理解出来るが、どうも表現が大仰で、小学校の学芸会のようだ。効果音、音楽の使用を控えた為に、そうなってしまったのか。また、脚本も、「伊右衛門殿〜」の繰り返しばっかりで、これはウザい。数えた訳ではないが、左門の幽霊は、何回伊右衛門の名を呼んだのだろう。50回ぐらい呼んでいるのではないか。流石に大袈裟か。そして、最後の大団円(?)、幽霊軍団総登場の場面では、幽霊全員で「伊右衛門殿〜」のシュプレヒコール、一大コーラスである。食傷気味なのがお分かり頂けるだろう。

DVDに関しては、辛辣な内容になってしまったが、これは日野日出志先生の絵柄とは無関係な部分である為、ご容赦願いたい。繰り返すようであるが、絵本として出版した方が密度の濃いものになっていた事は間違いない。


日野日出志先生について考える2、3の出来事、2011年


拙作「偏愛的漫画家論」も、第1回の「日野日出志論」から始まり、「神田森莉論」、「山田花子論」、「華倫変論」、「山口貴由論」と、早い物で、現在連載にして36回を数える。「日野日出志論」については、前述した「日野日出志研究」に、「ホラー漫画家は終末地獄変の夢を見るか?」に全文が掲載されている。その評論は、「地獄の子守唄」、「地獄変」、「赤い蛇」を中心に、日野日出志先生の家族関係、血縁関係について書いた物であった。作品としては、一大ホラー漫画ブームが到来する以前の1983年までである。

「ホラー漫画家は終末地獄変の夢を見るか?」の追伸文で、「その後の流行ホラー漫画家日野日出志についても書きたい」と記したが、今年はそれを実現したいと思う。「漫画家論」ではなく、「作品論」として、毎月1作品ぐらいのペースで書いて行きたい。

1986年から1991年まで、「日本文芸社」の「漫画ゴラク」に、不定期で15回に分けて発表された「おどろんばあ」、1988年から1989年に「HELP」に、7回に渡って連載された「世紀末奇談」、1987年から1989年まで、「集英社」の「ベアーズクラブ」に8回に分けて発表された「サーカス奇譚」など、油の乗った日野漫画はまだまだ多い。

そして、前回評論出来なかった、1982年に「広済堂」から書き下ろし作品として発表された「地獄少女」についても、「地獄変」、「赤い蛇」と合わせて再考したいと考えている。「地獄の子守唄」、「地獄変」、「赤い蛇」を、日野漫画3部作と位置づける風潮があるが、日野日出志先生ご本人としては、この「地獄少女」こそ3部作の1部であるはずである(実は、この事は「日野日出志研究」の出版記念パーティで、日野日出志先生に直接尋ねた。日野先生も、「地獄少女」はその位置づけで描いたものだとおっしゃっていた)。その事は、「地獄変」、「地獄少女」、「赤い蛇」の冒頭に書かれる地獄詩人「シンイエ・アンツー」の詩集から抜粋した詩が物語っているのだ(種明かし?をすると、「シンイエ・アンツー」とは、「星野安司」を中国語読みしたものである。「星野安司」とは、日野日出志先生のご本名である)。

特に主題を持たず、今年度、2011年に入って日野日出志先生について思うところを認めた。評論ではなく、エッセイ、否、寧ろ日記のような内容になってしまい、かなりラフな雑文も多かったと思うが、ご容赦頂きたい。

それでは、日野日出志先生、清水正教授、今年も宜しくお願い申し上げます。

左近士諒(左) 荒岡保志 撮影・清水正
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。