荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載27)

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偏愛的漫画家論(連載27)
華倫変
 死に憑かれたカルト漫画家は極楽に辿り着けたのか (その⑦)

荒岡 保志漫画評論家

十二月二十七日。「日野日出志研究」刊行記念忘年会にて。撮影・清水正
●最後の作品集「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」に登場する破滅願望の少女たち


華倫変漫画には、破滅願望の女の子が多く登場する、否、多いと言う表現では生温い、もうのべつ幕なしに登場すると言っても過言ではない。破滅願望とまで言わなくとも、無気力、無目的、自分の人生に何の存在意義を感じない女の子も多い。それは、デビュー作「ピンクの液体」から「カリクラ」、「テレフォンドール」、「デッド・トリック」まで全作品に共通して登場している。
そして、破滅を目論む女の子たちは、必ずと言って良いほど風俗へ身を置く。勘違いしないで欲しいのだが、ここには、風俗に身を落とす的な流され感、悲壮感はない。一日何千円かのバイトが馬鹿馬鹿しくなった、程度の理由である。女の子が自分の肉体を売って何が悪いのか。彼女たちは、恋愛、否、もっと原初的な愛情そのものに絶望しているのだ。

華倫変の最後の漫画作品集となってしまった「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」は、2002年10月に、太田出版より発行される。
前回批評した多重人格3部作「あぜ道」、「下校中」、「木々」に、ネット配信型の新風俗業に登録する引き篭もりの少女をクローズアップした「ねむる部屋」、嵌め撮りのAVに出演する女子高生の本音が綴られる「コギャル 危ない放課後」、毎日浴びるほど酒を飲み、毎日手頃な男性を誘い、時には姦輪される自暴自棄な女の子を描く「酒とばらの日々」、セックス教団の洗礼を受ける元優等生が、セックス、ドラッグを通しながら現世の本質に迫り、徹底的に批判する「とかく現世はくだらなすぎる」、そして、華倫変の代表作の一つで、今までも拘り続けた「死」を、尤もリアルに捉えた傑作、最後の作品集のタイトルになる「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」の短編漫画8編に、これも前回ご紹介した、随分前に「ヤングマガジン」に描いた、華倫変のもう一つの主題、「せつなさ」を詩的に認めた「忘れる」が冒頭にカラーページで収録されている。これもまた、どの作品を取っても完成度が高い傑作揃いの短編集である。
初出は、2001年から2002年にかけて「マンガ・エロティクス」、「マンガ・エロティクスF」に発表された作品を中心に、「コギャル 危ない放課後」は2001年集英社ビジネスジャンプ」増刊・BJ魂に、「忘れる」は前述した通り2001年「ヤングマガジン」増刊・赤BUTAに発表された。

ここに登場する女の子たちは、直線的に破滅願望者である。断っておくが、破滅願望=自殺願望ではない。自分の肉体、内臓、脳を、極限まで破壊したい、ただし、死にたいかと言われれば、死にたい訳でもない。「酒とばらの日々」に登場する完全に壊れた女の子でも、「こわれた私でも生きたいの、私。私、ずっと生きたいよ〜」と泣く。自分を破滅させる事が、唯一の存在証明なのだ。彼女たちは、全てに絶望している。拠り所はセックスとドラッグぐらいのものである。言ってしまえば、彼女たちには死にたい理由すら存在しないのだ。


●遺作「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」に見るリアルな死


「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」は、ブログで100日後に自殺すると宣言した「光うさぎ」と言うネット名の女の子の、動画を含め、死に至るまでの100日間の記録で綴られた作品である。タイトルは、言うまでもなく、幻想作家の大家「フィリップ・K・ディック」の、「リドリー・スコット」監督、「ハリソン・フォード」主演により映像化されたSF映画の傑作「ブレードランナー」の原作でもある「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の捩りである。サブタイトルは、「光うさぎを、覚えていますか?」。

「私はあと100日後、自らによって死にます」とブログに発表する「光うさぎ」。特別、死にたい理由がある訳ではない。これと言って、訴えたいものがある訳でもない。かなり、気まぐれの部分が強い。「生まれたこと自体むかついてるから」とも言っている。華倫変漫画に登場する多くの破滅願望を持つ女の子と同じであるが、この光うさぎだけは、はっきりと死を意識している。それまでの100日間の記録をネットで配信する、ただし、光うさぎ本人も、「どうでもいい私の記録」と言い放ってはいるが。

そして、光うさぎの死に向かうカウントダウンは開始されるのだが、ブログに書き込まれる内容は、「死ぬまでに一回させて」とか、「セックスさせろ!! キチ害!!」とか、悪戯な書き込みばかりで、光うさぎは3日目で既に飽きてしまう。
5日目に、愛犬の「ネチケ」の映像を流し、ブログで紹介する。「この子はとてもノラで生きていけない!! 私が死ぬ前に殺すべきかな?」と書き込むも反応なし。
10日が過ぎ、早10日で、誰も光うさぎに注目しなくなる。
残り65日を迎える。「今日は特別な日です!!」、正装した光うさぎが言う、「ネチケを殺しました」と。ネチケが、ベランダに吊るされゆらゆらと揺れている映像を流す。
それでも誰からも返信がないまま、日にちだけは悪戯に過ぎていく。残り60日、50日、40日を迎え、光うさぎは、どんどん自暴自棄になって行く。

どうやら、自殺願望のブログは相当多いらしい。愛犬を殺してまで本気度を訴えた光うさぎであるが、返信は、「自殺スレの多さにうーんざり」程度に止まる。

この辺りから、光うさぎは壊れて行く。「マンコで〜す!!」と、自分の局部の映像を配信したり、以前私も批評した、24歳で自殺された漫画家「山田花子」の、死の直前に書かれた詩を朗読したりする。書き込みもかなり荒れて来る。「童貞野郎は死んでくれ!!」、「お前らバカだから逝ってくれ!!」、「臭い!!」、「うざい!!」、「IQ低い!!」と暴言が中心になる。
それでも、突然我に帰り、「どうすれば私のことみんな忘れないでいてくれるの?」と問う場面もある。本心はここにあるのだろう、自分を破滅させる事を存在証明とする華倫変漫画の女の子たちであるが、光うさぎにとっての存在証明はこのブログなのだ。

残り15日、10日となり、光うさぎの表情はかなり穏やかになる。「何だか今日は調子がいいみたい」、「今日もいい気分」、そして、「遠くに・・・音をかなでるような光がある気がする」と、それは死に逝く者の表情になる。
残り3日、2日とカウントダウンは続く。光うさぎの死を迎える真剣さが伝達したのだろう、返信も、「良かったね」、「すっきりしたかい?」と、光うさぎを思いやる内容が増えている。
そして残り1日。「また、会えるかな」と言う書き込みに、「そりゃ!! もちろん!!」と笑顔で答える光うさぎ。思いは駆け巡る。子供の頃の事、愛犬ネチケの事、好きだった歌、好きだった詩、ネットに配信を始めた100日間の事などが、光うさぎを包んで行く。

当日を迎える。光うさぎは、セーラー服を着てネットに立つ。「まだマトモだった頃に戻れるかな?」、光うさぎは言う、「やっと今日がきて、やっと私は全て許せるようになったのです」と。光うさぎ、最期のメッセージである。「こうすることが、私と世界とのギリギリの接点だっただけなのです」、そう言って、光うさぎは眩しい光の中に入って行く。
画面は消える。愛犬ネチケが鼻を鳴らし、去って行く。

何とも華倫変らしい作品であるが、この作品には、華倫変をインスパイアした原案が存在する。一つは、「南条あや」と言う女の子のホームページ、そしてもう一つは、100日後に死ぬと言う記述を淡々と残して消えて行った男性の日記であった。その取材過程に於いてもかなり騒動を起こした問題作でもあると言う。

この「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」は、華倫変が、初めて死を真剣に見つめた作品である。勿論、今まで批評して来た華倫変漫画は、どれを取っても死の匂いで充満している、それは間違いない。破滅願望でも溢れ返っている。ただ、それらの作品は死を目的とはしていないのだ。寧ろ、死は生と同居、リビングルームからベッドルームへ行くような存在で描かれている。医大生に、死ぬのは嫌だと言われた事を思い出すユカリ、桶の中に花がある事に安堵するサヨ、彼女らは眠るように逝く。
光うさぎも、ユカリ、サヨ同様、死を受け入れ、安心して死ぬ。ただし、光うさぎについては死ぬ事が大前提で、死に対面した現在の準備が描かれている。華倫変は、「あぜ道」執筆中に病に倒れた、と言っている。病名は不明だが、実は、これはかなり大病ではなかったのか。元々死に取り憑かれていた華倫変ではあるが、ここで臨死体験とまでは言わないが、リアルな死を自覚したのではないか。

そして、この作品にも、華倫変漫画独特のせつなさが残る。それは、死を介在した女の子の思いである。最後の日、「溢れる涙をとめれません」と返信がある。彼女のせつなさが、高速回線を通して伝達されている。

「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」を発行した翌年春、2003年3月19日、華倫変心不全により他界する。享年28歳の早過ぎる突然死である。この作品集が、事実上遺作となってしまったのだ。


華倫変論、最後に


華倫変の愛読者なら、彼の死を知ってまず思うだろう、事実は自殺ではないのかと。実際に、「華倫変自殺説」が、かなりの信憑性を持ってネットで配信されたりもしていた。彼の作品も、読めば読むほど、何処かに死に場所を探す華倫変の姿が浮かび上がる。死を覚悟していたような錯覚を受ける。
ただ、ご本人の名誉の為にここに記すが、華倫変の突然の死は、実家の家業の手伝い中の急死、心不全と判明されており、決して自殺ではない。この事実は揺ぎ無いのだ。

それにしても、早過ぎる死と言う事実も揺るがない。あまりにも早い。太田出版と出会い、漸く居場所を見出した矢先である。「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」で、一つの到達点に達成し、これから表現者としてその才能を開花させよう矢先の死である。「マンガ・エロティクス」で、看板漫画家として君臨した矢先の死なのだ。

華倫変は、漫画家としては決して有名ではなかった。「ヤングマガジン」と言うメジャー漫画誌に掲載されるも、その人気はどちらかと言えばカルトな人気と言えた。確かに、「ヤングサンデー」、「ヤングマガジン」の読者層では、華倫変の作品は素直に評価されづらかったかも知れない。「デッド・トリック」に於いては連載2週目にして打ち切り決定と言う理解の無さで、華倫変は執筆活動から遠ざかり、半ば引き篭もりになるまでに及ぶ。

華倫変は、その抑圧された表現力をネットで解放するようになる。そして、太田出版との出会いまで2年、ここで初めて、華倫変の表現力が100%解放される。紆余曲折したが、漸く辿り着いた華倫変の表現地場であった。これからである。華倫変は、漫画家として、これから本当の完成を向かえるはずだった。

華倫変が他界された今、何を言っても虚しいだけである。残念と申し上げるに尽きる。兎にも角にも、あの密度の濃い、完成度の高い漫画作品に触れる事はもう叶わない。

そして、せつなさだけは残るのだ。

十二月二十九日。柏「水郷」にて。「日野日出志研究」を手に笑顔の荒岡保志。撮影・清水正
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。