荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載21)

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偏愛的漫画家論(連載21)
華倫変
 死に憑かれたカルト漫画家は極楽に辿り着けたのか (その①)


初出。四年前の荒岡保志。撮影・清水正
荒岡 保志漫画評論家


華倫変論、はじめに


華倫変(かりんぺん)と言う、少し変わったペンネームを持つ漫画家が存在したことをご存知だろうか。前回、連載が終了した「偏愛的漫画家論 山田花子論」の「山田花子」同様、現役執筆中に夭折された漫画家である。

実は、華倫変については、2006年、D文学研究会発行の研究情報ミニコミ誌「D文学通信」1110号で一度批評している。それを、5年の歳月が過ぎた今、ここで書き直そうと思い立ったのは、単純に申し上げると、華倫変と言う大変才能に恵まれた特殊漫画家が存在したことをもう一度知らしめたかったからである。このまま消えてしまうには、余りにも惜しい才能だと考えたからだ。

現役執筆中に若くして夭折された漫画家と言うと、もう一人、これも同じく2006年、「D文学通信」1111号に掲載した「偏愛的漫画家論 ねこぢる論」の「ねこぢる」が居るが、「山田花子」にしろ「ねこぢる」にしろ、既に、戦後の日本漫画家、特殊漫画家として確固たる位置付けがされており、彼女らのワークが今後消えてなくなるとは思えない。その才能は永遠に語り継がれ、読み返されることだろう。

ここで、華倫変はどうか、と言うと、心不全により余儀なく他界された2003年3月にはネットを中心に大騒ぎになった経緯はある。華倫変への追悼、作品への賞賛は勿論、華倫変自殺説まで、各掲示板への書き込みは膨大なものであった。それも至極当然、現役執筆中は、売れっ子漫画家とは言えなかったが、根強い多くのファンを持つカルト漫画家の旗手であったからだ。

しかしながら、華倫変の突然の死から約8年経った今、華倫変人気は如何なものだろう。
ネットで検索して見ても、当時あれだけあった華倫変のファンサイトの殆どが閉鎖され、残っているものでもその殆どは更新がされていない現状である。勿論、その完成度の高い作品も一切再販もされておらず、単行本に未収録となっている秀作の数々も出版される気配すらない。このままでは、百凡の読み捨て漫画家同様、華倫変は消えてしまう。このまま消えてしまうには、余りにも惜しい才能なのだ、何としてもそれだけは阻止しなければならない、そう思い立ち、再びペンを執った訳だ。
死と向かい合い、死と対話をし過ぎた所以、死に取り憑かれ、引き込まれるように夭折された天才漫画家華倫変、そのせつなさが少しでも伝達出来れば本望である。


華倫変、プロフィール


華倫変。1974年10月13日、和歌山県生まれ。男性、血液型A型。本名未公開。その生い立ちも未公開の部分が多く、単行本の後書き、ネットでのプロフィールからここで書けることは、かなり裕福な家庭で育ったのだろうこと、その一族は事業家で、執筆活動の傍らでその事業を継いだこと、ぐらいのものか。事業を継ぐ前に、第4種危険物取り扱い主任資格を取得していると言うことから、一族の事業は石油関係かと想像するが。

漫画を描き始めたのは大学入学後と言う訳だから、これも随分遅い目覚め、と言えるだろう。そして1994年に、「ペントビタール酸」で、いきなり小学館ヤングサンデー賞」に入選する。漫画を描き始めて僅か一、二年の頃である。こんなところにも天性の才能は露見するのだ。
確か、この「ペントビタール酸」は雑誌にも掲載されず、勿論単行本に収録もされていない以上、今となっては触れることさえ困難を極めるが、そのタイトルは、後の1995年、講談社「週刊ヤングマガジン ちばてつや賞」で大賞を受賞する「ピンクの液体」を彷彿とさせる。

同年1994年、デビュー作品となるのは「南京錠」、同じく「ヤングサンデー」に発表される。これも残念ながら単行本化されておらず、その掲載誌も入手に至っていない為、ここでは作品を解説することが叶わない。ただし、この「南京錠」であるが、その直後に発表された「完全なる飼育」、国外でもリメイクが相次いでいるカルト映画と内容が酷似しているらしく、華倫変ご本人も、自らの先天性にご満悦の様子だったと言う。

ヤングサンデー」の掲載は、この「南京錠」一作のみで終了する。ご本人は、「ほされた」と表現しているが、仮にデビュー作品の人気投票が如何なる結果になるにせよ、掲載一作のみで「ほされた」りするものだろうか。ここは、寧ろ華倫変と編集者の行き違いと考えた方が自然だろう。

その為、華倫変は、講談社に投稿の場を求め始めるのだが、もはやタイトルさえ不明のお得意の変質性愛漫画が「月刊ヤングマガジン賞」の佳作に入賞、そして、前述した「ピンクの液体」が「週刊ヤングマガジン ちばてつや大賞」で見事に大賞に輝くのだ。これが漫画家、華倫変の本当のデビューであろう。


●「ピンクの液体」に蔓延する死、性、そして愛


主人公は「川村ユカリ」、今年で23歳になる。年齢を誤魔化して高校生時代の制服を着用し、違法風俗である「女子高生交際クラブ」に勤務する。単純に、フリーターとして一日数千円のアルバイトをするのが馬鹿馬鹿しくなった為である。
それでも、いくら制服を着ても年齢は誤魔化せず、指名はあまりなく、本当の高校生である同僚とは話も合わない。今では、「いったい何回留年したんですかー?」と同僚にからかわれる始末である。

そんなユカリを、ある日、大人しく無表情な医大生が指名する。そして、ユカリと医大生の、奇妙な交際は始まるのだ。

まるでスケッチで描いたかのようにラフなペンタッチで全編が構成された作品である。
コマ割りのラインまで、いい加減に定規を当てて引いた印象で、良く見ると所々にペンのインク漏れ、染みさえ伺え、背景がコマからはみ出している部分もあるが、敢えてそのまま発表されている。このラフなペンタッチは、このストーリーの主人公ユカリの「ラフ」であり、そのまま存在のあやふやさと直結しているのだ。

医大生と食事をするゆかりは、久しぶりの指名客へのサービス精神も手伝い、自分の生い立ちについて語り始める。中学2年の時、母と父の血液型が自分の血液型と合わないと気付いたこと、中学3年の時、母が再婚した義父に犯されたこと。それから何度も義父と関係を持つうちに性に対する嫌悪感が増幅し、常時気分が悪くなり、慢性的に拒食症になってしまったこと。授業さえまともに受けることも出来ず、ユカリは、ハサミで髪の毛をザクザクに切って、それ以来学校に行くのを止めてしまったこと。

ユカリの「ラフ」は、ここに起因している。「ラフ」とは、「無気力」、「無目的」、「脱力感」、もう一つ言えば、「どうでもいい」と言う感覚である。ユカリは、中学3年生にして、人生に絶望している。その当時、義父のことを母、また学校の先生に相談しようとしたことがあるが、それも叶わなかった。それは、義父との性行為を恥ずべきと思っただけではない、それ以上に、母を、そして先生を信頼していなかったからだ。
医大生は、無表情でユカリの話を聞く。華倫変の漫画に蔓延する「どうでもいい」感覚は、医大生にも反映される。

勿論、ユカリが今まで付き合っていた男性はいなくもない。何年か前に付き合っていた男性に殴られたことがあり、「あのときは耳の穴から血がダラダラと流れ出して、すごく怖かったなー」と、ユカリは思い出す。
まるで他人事だ。遠くにあるスクリーンに映るスプラッター映画でも観ているかのようだ。ユカリにとって、自分の過去なぞは「どうでもいい」ことなのだ。

医大生は、ユカリとの初めてのデートで、30万円入った財布を渡す。「そのお金を使って大検受けるなりなんなりすればいいさ」、医大生は相変わらず無表情である。「やさしいんだな」、ユカリは思う。そして、ユカリは、医大生のマンションに毎日のように通うようになるのだ。

だいたい毎日暇なユカリは、夜中の3時ぐらいに医大生のマンションに着き、翌朝10時ぐらいまで寝て帰る。「彼の家で寝ているときはあまりささいなことを気にしなくなるのでいいな」、ユカリは思う。
そんな奇妙な交際が始まったある日、医大生はユカリに、注射を打たせてくれないか、と言う。近く医科大で実習があり、その為に注射を打つ練習がしたいのだそうだ。別に断る理由もなく、その申し出を受け入れるユカリであるが、注射の中身が気になって聞くと、中身は塩水で、体液に一番近いものだ、と医大生は答える。
そして、医大生は、そのピンクの液体を、僅かに震える手でユカリに注射するのである。

その後6回ぐらい注射を繰り返し、ユカリは、途中気分が悪くなって8回ぐらい吐く。トイレに行って小用をたすと、赤い尿が出て少し驚く。それでも結局、医大生は、注射の中身が本当は何であったのかはユカリに教えてくれなかった。

それから暫くして、ユカリは不眠症になる。プロレスラーみたいに体格のいい男に指名され、その男の太い二の腕を無理矢理局部に入れられたからである。物凄く痛くて、怖くて、泣いて「やめて」と言ったが、なかなか止めてくれず、大声を上げると漸く抜いてくれたが、その手にはピンクの液体が付着していた。それからショックで、寝ようとしても心臓がドキドキして、怖くなって不安で眠れなくなったと言う。

「ふ〜ん、客商売も大変だね・・・」、いつもの無表情で聞き流す医大生は、ユカリに、自分が造った睡眠薬をあげると言う。「えー何それ、マヤク?」と、ユカリが冗談半分に聞くと、「そうだよ」と淡白に返す医大生である。そして、普段は無口な医大生が、初めて自分のことを話し始めるのだ。

今から一ヶ月ぐらい前、愛人バンクの女の人に実験台になってもらったが、注射したり、薬品を投与しているうちにその女の人は死んでしまった。不本意ではあったが、満月の夜に畳の下に埋めた。
その薬も、多分1/2ぐらいの確立で死ぬだろう、もし死ななくても、胃に穴が開くと思う。ユカリは飲んでも飲まなくてもいい、警察に通報したければそうすればいい。初めは、ユカリにいろいろな薬の実験台になってもらおうと思ったが、ユカリはお人よしですぐに体を壊すから、見ていて騙していると痛ましくなってしまう。だから正直に本当のことを話す、後はユカリの好きなようにすればいい、と。

暫くして、ユカリは再び医大生を訪ねる。朦朧としたユカリの表情。「薬、飲んだのか?」と医大生が聞くと、「うん、飲んだよ」とユカリは答える。あれから一週間ぐらい眠れなかった、辛くて仕方がなかった、あの薬を飲むと、体が痺れて胃が重くなって、体に力が入らなくなって、でも眠くなって気持ちがいい、と言う。

「やっぱり私死んじゃうのかな」と聞くユカリに、「さあな・・・」と無表情に答え、医大生は煙草に火を点ける。ユカリが、「私、死んだら嫌?」と聞くと、医大生はゆっくりと煙草の煙を吐き、答える、「嫌だなって思うよ、ものすごく嫌だと思う」と。
「そう、よかった、やったーって感じだね」、ユカリは空を見上げる。

そして、ユカリは思うのだ。本当にこのまま死ぬんじゃないかと思うとものすごく不安になったりしたけれども、大好きな映画や青い空とか、広い草原のイメージや死ぬのは嫌だと言われたことなどを思い出していると、だんだん気持ちよくなってきて幸せな気分になった、と。

この作品全体に蔓延する何とも言い難い脱力感はどうだ。ユカリだけではない、医大生にまで及ぶ「どうでもいい」感覚。

医大生は、「もし薬を作り出すことに成功したら、その筋に売れば莫大なお金が入る」と言う。自分自身の研究意欲や興味ではなく、女の子を実験台にして快楽を得る為でもなく、単なる営利目的、俗物的発想のみで薬を開発していると言っている訳だ。
それにしては、この医大生の行動は余りにも投げやりである。愛人バンクで買った女の人を実験台にして殺してしまったことをユカリにサラリと告白し、警察に通報したければすればいい、とまで言う。見方によっては、ユカリの「どうでもいい」感覚が伝染したのだろう、医大生は、ユカリが愛しく思えて来ていることは間違いない、その為に、薬を開発すること自体、本当にどうで良くなっていたのだろう。
「私死んだら嫌?」と聞くユカリに、「嫌だなって思うよ」と答える医大生。この淡白な会話であるが、医大生にとっては最大の愛情表現であったのだろう。「私のこと好き?」と聞かれ、「大好きだよ」と答えているのだ。

ユカリはと言うと、前述した通り、中学3年にして人生に絶望している。フリーターとして一日数千円のアルバイトをするのが馬鹿馬鹿しくなって風俗に入る。嫌悪感こそ残ってはいるが、セックスに対する抵抗はない、それも中学3年で絶望している。
それでも、付き合った男性はいる。ただ、男性と付き合うことにいい思い出はない。
何の為に生きているのかとさえ考える必要もない。そうかと言って死ぬ理由もない。「どうでもいい」ことなのだ。そんなこと、ユカリの過去も、現在も、そして未来も、ユカリにとって「どうでもいい」ことだったのだ。

そんなユカリに、少しだけどうでも良くないことが起こる。医大生との出会いである。恋愛、と言うところまで昇華はされてはいないが、やさしいんだな、と思う。毎日のように医大生のマンションに通うようになる。ユカリの居場所が出来る。医大生は、当初はユカリを実験台としか見ていなかったが、そんなことは些細なことである、ユカリは全てを受け入れる。
飲んだら死ぬかも知れない、と言う薬も飲む。やっぱり、私死んじゃうのかな、と思う。それでも、大好きな映画、青い空、広い草原、そして、医大生に、死ぬのは嫌だ、と言われた言葉を思い出し、幸せだと思う。ユカリが見せる、初めての安心感が露出する。

この思い。死に逝く者の思いである。
自殺願望者ではなくとも、誰でも一度ぐらいは自分自身の死を想像したことぐらいあるだろう。その本質は、永遠のテーマとしてあらゆる芸術、文学、哲学に君臨する。
華倫変の作品には、この死に逝く者が頻繁に登場する。ユカリ同様、決して円満な人生を送った者ではない彼らではあるが、死を実感する瞬間だけは幸せに満たされるのだ。これは真実であろう。ほんの1%あれば良い。99%が殺伐とした人生でも、ほんの1%の光があれば、人間は幸せに包まれて死を受け入れることが出来るのだ。ユカリも、死と向き合った時には、好きなもの、好きな人に思いを巡らせながら、「だんだん気持ちよくなってきて幸せな気分になった」、と思うのだ。

最後に、ユカリに注射をした「ピンクの液体」の正体は何であったのかと言うと、ストーリーの流れからは、単純に医大生の開発した麻薬、と言うことで間違いないが、この液体こそユカリに忍び込む死の象徴である。このストーリーに、「ピンクの液体」は、二度登場する。一つは、この注射器の中の液体、そしてもう一つは、プロレスラーのような大男の二の腕を局部に入れられた時である。この「ピンクの液体」は血の象徴であり、それはそのまま死の象徴になるのだ。

どんな漫画家でも、そのデビュー作には漫画家自身のエッセンスが凝縮している。この「ピンクの液体」は、かなり荒削りに描かれてはいるが、大変華倫変らしい傑作である。
ご本人も、この「ピンクの液体」はお気に入りらしく、単行本化された当時は、いずれCGでセルフリメイクしたいと書いていたが、それも今となっては叶わぬ夢となってしまった。残念極まりない。





荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。