荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載23)


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偏愛的漫画家論(連載23)
華倫変
 死に憑かれたカルト漫画家は極楽に辿り着けたのか (その③)

荒岡 保志漫画評論家

●「カリクラ」に見るバイオレンス、サスペンス、そしてエロティシズム


処女作品集「カリクラ」であるが、前回書いた通り、大変密度の濃い、完成度の高い作品集であることは間違いない。ただし、デビューしたばかりの読み切り短編作品の中には、随分試行錯誤したのだろうと見受けられるものもある。試行錯誤、と言うよりは挑戦、と言った方がしっくり行くかも知れない。華倫変の、読者を意識したサービス精神か、お気に入りの映画を準えたか、それらの作品は角度を変えて発表される。

「張り込み」に見るサスペンス

舞台は、飛び降り自殺の相次ぐ団地。そこに住む主婦の部屋を、刑事が訪ねる。その刑事は、団地の向かいの部屋に潜伏する爆弾魔を監視する為に、ベランダを貸して欲しい、と申し出る、と言うストーリーの「張り込み」。
じりじりと照り付ける太陽、滴る汗。言葉を選びながら、静かに話しを進める刑事、少しずつ核心に迫られる主婦。この主婦は、不倫相手の車のセールスマンを、飛び降り自殺に見せかけて殺しているのだ。刑事の「張り込み」と言うのは口実で、実はその証拠を探りに来たのである。「あなたは・・・本当は誰を見張ってるんですか?」と、追い詰められる主婦に、「さあ・・・?私は一体誰を見張ってるんでしょうね」と淡々と答える刑事。刑事は、「それにしても・・・暑いなー」と空を仰ぐ。

「いろいろ挑戦しようと思い、初めて描いたミステリーモノ」と言う華倫変のコメントであるが、そのストーリーはどうあれ、この主婦と刑事のやり取り、ネームの出来は優れている。暑さも手伝い、刑事が、昔、団地の屋上でセックスしたと主婦に話し、逆に、主婦から、もう一回警察手帳を見せてくれるように迫られる場面もあるが、その会話が進むに連れ、主婦の犯罪のエビデンスがどんどん明かされて行く。この間合、この緊張感は流石である。
因みに、この作品は、2001年に、江角マキコ主演の「命」、玉木宏主演の「真夏のオリオン」を監督した篠原哲雄監督により映画化されている。

「電車がこない」に見るエロティシズム

「電車がこない」は、廃線になる鉄道の無人駅で、一時間に一本程度の電車を待つ女子中学生と中年サラリーマンの会話で進められる。廃線になる前に電車を見に来た女子中学生、ちょっと用事があって来たと言うサラリーマンであるが、華倫変の匠なネームは、その淡白な会話の中にも少しずつ狂気を忍ばせる。
綺麗な滝を見つけ、近くまで行こうとして藪に踏み込み、擦り剥いたと言う女子中学生の膝の傷口を治癒してあげると、サラリーマンは女子中学生のスカートの中に手を入れ、どんな感じがするかと聞いたりする。そして、いいものを見せてあげると、アタッシュケースの中から拳銃を取り出す。どうやら、その人の良さそうな風貌のサラリーマンは知人女性を殺害し、その死体を埋めに来たらしいのだ。
サラリーマンは、一時間ぐらいで戻れるから、これから花を摘みに行かないかと女子中学生を誘う。一時間くらいなら、とそれを受け入れる女子中学生であったが、サラリーマンは次の電車が終電であることに気付き、無理矢理女子中学生を帰してしまうのだ。

華倫変ご本人は「駄作」と切り捨てているが、どうしてなかなかの力作である。確かに、情景先行で強引な設定ではあるが、ここで表現されるのは、ミステリーよりも、女子中学生の性への目覚めであろう。廃線になる前に電車を見に行こうとクラスメイトを誘う女子中学生は、そんなの一人で見に行け、と言われ、已む無く一人で見に来ている。「明日も学校だと思うと、少し憂鬱な気分になる」、終電に乗った女子中学生は思う。学校には、彼女の居場所はないのだ。実は、彼女はこの廃線無人駅に、自分の居場所を探しに来たのである。
これから花を摘みに行かないか、とサラリーマンに誘われる。拳銃を持つ殺人犯のサラリーマンにである。自分のスカートに手を入れ、悪戯をするサラリーマンにである。女子中学生は、サラリーマンに、自分は頭が悪い、と紹介しているが、少々頭が悪くても、一緒に花を摘みに行くと言うことがどう言うことかは理解出来るだろう。感じるだろう。それでも、女子中学生はサラリーマンの申し出を受けようとする。彼女は、家に帰る、学校に戻ると言う選択肢から少しでも遠ざかりたいのだ。スカートの中に手を入れられる。どんな感じがする?と聞かれ、よく分からない、と顔を赤らめる。これも、同義である。彼女は、今現在自分が置かれているあらゆる環境から逃避したい欲求に駆られている。それには、性への逃避も含まれるのだ。
サラリーマンは、次の電車が終電であることを理由に女子中学生を帰してしまう。彼は、この女子中学生が痛ましく思えて来るのだ。人を疑う余地のない、素直な女子中学生を自分の手に掛けることを躊躇したのである。この感情は、「ピンクの液体」の医大生と同じ感情である。

「殺しのナンバー669」に見るバイオレンス

連作短変作品「カリクラ」から、第6話に当たる「殺しのナンバー669」は、訳ありの億単位の大金を持ち逃げしたコンビニの店長が、その組織から追われ、二人のアルバイトと共にコンビニに軟禁される、と言うストーリーである。
自分の生い立ちや若者批判など、関西弁で喋り続ける殺し屋は、確かに華倫変が意識したと言うクエンティン・タランティーノの映画を彷彿とさせてはいる。アルバイトの少年が、自分はアルバイトで関係ないからと命乞いをすると、その矢先に「ガウン」と銃声は鳴り、アルバイトは頭から血を噴出し、倒れる。この演出もタランティーノである。インスパイアされたのは「パルプ・フィクション」だろう、組織の金を盗んだ若者の隠れ家に、ジョン・トラボルタ、サミュエル・ジャクソン扮する殺し屋が乗り込むエピソードがあるが、その名場面を連想させる。
殺し屋は、弾丸が一発だけ抜いてある拳銃の銃口を店長に向け、弾丸が出なかったら許す、と言い引き金を引く。同時に、店長の頭は吹き飛ぶ。殺し屋は、「出ましたな」と笑う。
それから、最後の目撃者であるもう一人のアルバイト、少女に、更に自分の人生観、恋愛観などを一通り語ると、殺し屋は、店長と同じ条件で少女に銃口を向ける。しかしながら、今回は、「カチン」と乾いた音がするのみである。殺し屋は、少女を讃え、約束通りコンビにから退散するのだ、「ほな!」と言い残して。

「最も反応のなかった作品」と華倫変ご本人も書いている。確かに、華倫変漫画として特筆するものは見当たらないかも知れない。単純に、クエンティン・タランティーノの映画にインスパイアされただけの発想で描かれたものなのかも知れない。その中でも、この関西弁で喋り捲くる殺し屋のネームは感慨深い。店長に銃口を向け、「ほら、これトカレフ、しかも中国製、安物でっせ!一番安いやつ。もう性能も悪い悪い!でもな、こんなもんで撃ってもやっぱり人は死ぬんですわ」と脅し、また、命乞いをするアルバイトの少年の頭を撃った後で、「あいつ流されてるだけですわ、ハラ立ちますなー、シレッと中流、ポワンと普通、ヘタな上品装う前に、やらないかんことあんのとちゃいますのん?」と若者批判をする。この辺りのネーム、時間の流れ方は華倫変独特である。

上記3作品は、どちらかと言えば華倫変らしくないものを選んでご紹介した。「電車がこない」は、華倫変らしくないこともないが、ややミステリー色が強かった為にこのカテゴリーに加えて見た。このカテゴリー、強いて言えば娯楽色が強い漫画作品と言えるだろうか。ミステリーを描こう、と思い立った「張り込み」、「電車がこない」、タランティーノの映画に準えた「殺しのナンバー669」、これらの作品からは華倫変の本質が見えて来ない。ただ、読み切り短編漫画作品としての出来は決して悪くはない。ストーリー、テーマこそ華倫変漫画から外れているものの、そのキャラクター、そのネームは華倫変のエッセンスで充満し、コアな華倫変ファンでも充分に楽しめる作品として完成しているのだ。

我孫子「なごみ」にて。中央・荒岡保志。2010-11-19
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。