写真家熊谷元一展を訪れた人々

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写真家熊谷元一展を訪れた人々

下原敏彦さんと姉の栄子さん 6-11

下原敏彦さんと日大農獣医学部拓殖学科同級生長畑美成さん。

日芸図書館課長補佐の山崎さんと課員の斉藤さん

写真家熊谷元一展

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写真家熊谷元一展を訪れた人々

写真家・熊谷元一展 開催中の日芸アートギャラリー

「黒板絵は残った」編纂者・下原敏彦さんと日大農獣医学部拓殖学科の同級生たち。中に私と下原さんの奥様、長畑美成さんの奥様がいます。

日芸経理長佐藤一哉さん(右)は長野県出身。

大塚頼安   写真家熊谷元一展を観て 

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写真家熊谷元一展を観て 
大塚頼安

 小学生5年生まで私は先生に興味がなかった。それはマニュアルにのっとり、子供たちに教え、いけないことをすれば叱り、いいことをすれば褒め、いい生徒達をかわいがっていたからなのかもしれない。私は4歳時に病気かかって1年近く入院していた。親に甘えることが必要な時期に親から離されていたせいか、少々性格が捻じ曲がっていた。そのせいで、人と同じというのが好きではなかった。なのでマニュアル通りの世間で言ういい先生が好きではなかった。小学3になり塾に通いだしたので、小学校の授業もますますつまらなくなり先生への興味はますますなくなっていった。小学5年生になる頃には、学校は友達会いに行く場所になっていた。
 6年生になった時新任の先生が学校にやってきた。その先生は、なんとも爽やかで、いかにも小学生が好みそうな物事をよく知っており、元気な人だった。私が嫌いそうな人物だった。その先生は私のクラスの担当になった。初めてクラスにきた時のことは今も覚えている。
「僕のことは先生と呼ばずにあだ名でよでくれ」
男子はすぐに打ち解けていた。しかし女子の数人は冷ややかな目で先生を見ていた。その中には男子だが、私もいた。しかし、日が経つにつれ冷ややかな目は先生への興味の目に変わっていた。先生は今までの先生と違っていた。それに気がついたのが桜の木が緑に変わった頃だった。生徒同士がクラス中でケンカをしていた。男子達はやれやれと盛り上がり、女子はため息をつきながらそれを眺めていた。そのケンカ中に先生は教室に入ってきた。男子はケンカが止められると思い、ため息をついたが先生はケンカを止めずその光景を見ていた。一通りケンカし終えた二人は、片方が謝りおさまった。それを見て先生はよし、と一声発して授業をはじめた。今までの先生ならかならず止めていたのに何で止め なかったんだろうと疑問に思った。そこから先生に興味を示すようになった。次に先生のとった行動は、生徒一人一人に通り名をつけ出した。たとえば優しい何君、絵がうまい何さん、歌がうまい何ちゃんなどだ。私の通り名は比喩表現であった。先生は個性をとても大切にしていたのだ。そしてその個性を出しているときを一番に褒めていた。そんな先生を生徒は男女問わず大好きになっていた。私もそのうちの一人だった。
大学生になった時、母校にい行き、その先生と話す機会ができたので、色々と聞いてみると、なるほどと思った。先生は行けなかったのだが日藝の映画学科を目指していたそうだ。妙に私は納得した。個性を大事にするわけだと。
今回、熊谷元一先生の作品を見てそんな小学校の頃の先生を思い出した。しかし、熊谷先生は私の先生よりもっと、個性を大切にしていたと思う。黒板が先生の聖域である時に黒板を解放し、授業中にやりたいことをやらせ、子供達に自由に学ばせた。黒板に自由に書かせたのはその生徒が何に興味を示しているのかを知るためだと私は、考えている。文章を書いている子は、文章に興味を持っていて、政治家を書いてる子は、政治に興味を持っていいる。名前を書かしたのも知るためだと私は、考える。興味がある事柄を聞くのは簡単なことだが、先生はそれを表現の中から見つけ出し、その子の個性を伸ばしていく。これは、純粋にすごいと思った。その他に先生は、子供達の動きや言葉を全部ノートに書 いている、という事もしていた。これは、生徒というものに純粋に興味があったからだと、考える。やはり興味があるというのは、とても大切なことだ。先生は、怒ることはないと元生徒さん達は言っていたが、静かに真剣に生徒とぶつかり合っていたと思う。怒りとは、別の何かで。私の小5までの先生たちは生徒に興味がなく純粋に教師は仕事としてやっていたのかもしれない。上っ面は良い顔をしていたが、やはり距離を感じた。やはり生徒に真剣にぶつかり、近くなくては小学校の先生はだめだと私は思う。ウィリアム・アーサー・ウォードの有名な言葉がある。「普通の教師は、言わなければならないことを喋る。良い教師は、生徒に分かるように解説する。優れた教師は、自らやってみせる。そして、本当に偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける」熊谷先生は偉大な教師だと思う。「写真を撮られていたことをあまりよく覚えていない」これは元生徒さんから聞いた言葉だ。なにげなくいっているが、これはすごいことだと思う。普通カメラを向けられると自然とポーズをとってしまったり、顔を作ってしまったりする。小学生ならなおさらだと思う。しかし先生の写真には偽りのない笑顔やぼーっとしてる顔など、自然体なのだ、その当時の生の感じが直に伝わってくる。これは生徒達と先生が打ち解けているからだと考える。先生は生徒の心の中まで入っているのだ。
今回作品展を見て感じたことは、「興味」の大切さだ。熊谷先生のまねを今の小学校教育でマネしようとしても絶対できない。しかし、生徒に興味を持つことは、できると思う。興味を持った上で生徒と真剣にぶつかりあう先生が増えてほしいと思う。

中嶋悠理『熊谷元一 感想』

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『熊谷元一 感想』
中嶋悠理

 正直なところ、はじめ熊谷元一の取り組みのすごさというものが、いまいちピンとこなかった。私たちの時代、黒板に落書きをするくらい当たり前のことだし、それを写真に収めることは多少珍しいかもしれないが、手の込んだ黒板の落書きを写真に撮ったものならネット上に案外ありふれている。しかしよくよく考えてみると、本当はすごいことだったのに、現代の私たちにすごくないと思わせること自体、とんでもなくすごいことなのだ。
 つまりそれほど時代の方が変化してしまったというわけである。先生が生徒を殴ることはしなくなったし、写真だってもう白黒ではない。見たところ写真の男の子はだいたいみんな坊主頭だったようだが、今ではそんな髪型の子の方が珍しいくらいだろう。それほどまでに変わってしまった現在の、変わる前を知らない私のような人間が見て「普通だな」と思うということは、当時の熊谷の試みは数十年時代の先を行っていたということだ。
 そんな写真の内容だが、そこに描かれている絵そのものはさほど特異なものではない。遠近法を使わない平べったい絵など、どんなに絵の上手い人でも幼い頃一度は通った道であり、これには世代を超越した親しみを覚える。初めて見た時には白黒で描かれた正体不明の化け物のイラストに出くわして度肝を抜かれたが、怪獣への憧れもまた男の子のお約束である。注目するべきなのは、絵を描いた子供の名前がひとつの絵につき複数書かれていることが多い点だろう。子供たちの黒板へのお絵かきは、時として共同作業の性質を帯びた。黒板があくまで教室にひとつしかないことと、描いた作品が写真に残されることなど考えれば共作が出てくることは当然なのかもしれないが、教育という面ではきっと素晴らしい効果があったのではないだろうか。国数理社など基本の科目の中で、子供たちが共同作業をする機会は限られている。熊谷が教壇に立っていた時代であれば、なおのこと少なかったのではないだろうか。それを授業外で、しかも子供たちにとって何らやらされているという意識を与えない方法で実践したという意味ではただただ驚くばかりだ。
 熊谷によって解放された黒板はこうして共同作業の場と化した。それはただ協調性を学ばせるためにだけ機能しただろうか。おそらくそうではない。私はこの黒板が持つシステムに、現代のインターネットにも通じる性質さえ感じる。ツイッターフェイスブックなど、昨今のメディアは多様化し、双方向化した。インターネットでは誰かが作ったコンテンツを提供するばかりではなく、ユーザー同士の交流のための広場を提供する、そんなようなサービスが主流だ。熊谷の黒板には、まさにそうした広場的性質が宿っている。
 誰かが描き始めた絵を、後からやってきた別の生徒が書き足す。あるいは最初から二人で書き始めて、ひとつの黒板の中にそれぞれが望むものを競うように描いていったのだろうか。作業がいかなる経過をたどったのか、そこまでは写真の中から読み取ることはできないが、結果としてできあがった混沌とした作品の数々を見ていると、そこに創造的なコミュニケーションが生じていたことが容易に察せられる。言葉ではなく、互いが描いたものが黒板というフィールドの中で対話する。しかもそうして絵として具体化した対話の記録が、教師熊谷の手によって写真の中に納められるのだ。当時の子供たちの対話、彼らが欲していたもの、憧れたものの内容が、今でも写真の中に息づいている。通常、写真の中に会話を収めることはできない。会話とは瞬間のできごとではないからだ。しかし熊谷の写真の中には、瞬間化された会話の軌跡が確かに見て取れるのである。
 熊谷の黒板解放が先駆的であったことについては疑いはない。しかし熊谷の教育が現代教育と比べてどのように優れ、あるいは劣っているのか、私にはよく分からない。詰め込み型の教育が創造性という面では発展性がない一方、知識なくして創造することができないのもまた事実だ。それとも熊谷のように教師が授業外で子供と向き合ってくれるような状況が成立しづらくなったことこそ問題の本質であろうか。子供には同年代の友人が必要であることはもちろん、年長者との深い交流もまた不可欠である。カメラという一枚のガラスを隔てて、しかし確実に傍にいるという距離感は、果たして熊谷が当初から予定していたものなのだろうか、私には教育者として絶妙の位置取りであるように思われる。
 熊谷の取り組みは確かに広く世に知られるべきだ。これは昨今の教育の在り方に対して重要な問いかけとなるだろう。だが、私はこの問いかけを教育者である大人たちにだけ投げかければ良いとは思わない。教育における本当の主人公、子供たちにこそ熊谷の取り組みを知ってもらい、これに魅力を感じるか否か、素直に答えてもらうのが何よりの近道だと思う。教育を施す側と受け取る側、双方で問題を共有してこそ、新しい教育の道が探し出せるのではないか。

坂下 将人 熊谷元一写真集『黒板絵は残った』―星となったピカソの絵―

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熊谷元一写真集『黒板絵は残った』
―星となったピカソの絵―

坂下 将人藝術学研究科博士前期課程1年文藝学専攻 

熊谷元一の写真の中には「ピカソの絵」が収められている。
ピカソの絵」―熊谷元一の写真の中に収められた、子供達によって黒板に描かれた絵をみて抱いた率直な第一印象だった。
団塊の世代を父に持つ筆者にとって、熊谷元一の写真は個人的にも貴重な写真だった。子供は親が子供だった時をみることはできない。子供にとって親ははじめから親として、大人として存在している。我々はずっと昔から親が大人のままの姿で誕生したと思い込んでいる。しかし熊谷の写真をみると、当たり前のことではあるが、親もはじめから親ではなかったことがわかる。子供は普段、子供の時の親の姿、親の子供時代を考えることはないし、また想像することもない。
子供が子供をみる。子供が子供の時の親をみる。大人になった子供が子供の時の親をみる。熊谷の撮影した写真は、団塊世代の方々に在りし日の自分の姿をみせていたのかもしれないが、「息子」である筆者には子供の「実存」をみせていた。子供はいつの時代においても子供である、と。よって熊谷の撮影した写真は、団塊の世代を親に持つ筆者を不思議な感覚にさせてくれる写真でもあった。これは団塊の世代を親に持つ全ての人に言えることだろう。
熊谷元一のすごさは、子供達の黒板絵を「作品化」したことにある。すなわち、子供達によって作品化された黒板絵を、写真として再度「作品化」したことに熊谷元一のすごさがある。藝術作品の中にまた藝術作品が存在する。例えるなら、写真の中に「写真」がある。撮影された写真を撮影したような、写真の中にある「写真」をみているような感覚を覚えた。黒板絵はそのどれもが「ピカソの絵」だった。子供はみな、うまれながらにして藝術家なのか。藝術と藝術家の本質、人間の神秘を子供達の黒板絵に強く感じることができた。
 誰に教わるでもなく、子供達は自分の描きたいものを描きたいように描いていた。自分の描きたいものを描くからこそ、作品は藝術になる。描きたいという強い想いが作品を創造させ、創造した作品を藝術にする。子供達は黒板に表現された自身の絵が教師にどう評価されるか、気にも留めていなかった。表現したいことをそのまま表現していた。そして、ただひたすら「無心」で描いていた。描いた絵が「ピカソの絵」であるとも気づかずに…。
子供達によって黒板に描かれた絵は、「ピカソの絵」に通じるものがある。よって、ピカソは子供の頃の「純粋性」を大人になってからも失わずに保ち続けていた、あるいは、ピカソは子供のような描き方で意図的に作品を描いていたと判断することができる。どちらにせよ、ピカソは子供の描く絵に藝術性と藝術の本質を感じ取っていたことだけは確かであろう。「ピカソの絵」は「黒板絵」に通じるものがある。
 熊谷元一の撮影した写真は生徒が大切にしている思い出と寸分違わずに重なっている。熊谷は生徒の思い出が一生の思い出に「変わる瞬間」を前もって「予期」しているかのように撮影している。
 被写体である子供達の視線は「未来」にある。そして撮影者である熊谷元一の視点もまた「未来」に向けられている。従って、作品は「未来」を志向している。熊谷の視点が「未来」に向けられているからこそ、熊谷は生徒が一番大切にする瞬間の思い出を「予め」撮影することができた。「教育にこそ未来がある」という確信が熊谷の視点を「未来」に向けさせた。
熊谷の撮影した写真には、「教育にこそ未来がある」と確信した熊谷の眼差しも同時に「描かれている」。常に「未来」を志向する熊谷元一と子供達の眼差しは写真へと反映され、清水正が述べるように、黒板絵と写真を通して「教師と生徒のあり方」を我々に投げかける。
黒板絵に対する熊谷の透徹な眼差しと黒板に向けられた子供達の純粋な眼差しとが重なりあい、その光を黒板が「反射」することで、熊谷の眼差しと子供達の眼差しは写真を通して着実に鑑賞者の心を暖かく「照らし出す」。鑑賞者は、光を照らし出す熊谷の写真と光に照らし出された自身の内面、その両方を同時にみる「観照者」へと変容する。
教師と生徒がともに、「未来」を志向する眼差しを黒板に「照射」し、照射された光を黒板が「反射」する。写真はその反射された一瞬の光を撮影したものである。反射された光は、写真を通して、そして時空をこえて、「教育の原点」を鑑賞者1人1人の心の中に「映し出す」。
熊谷元一の写真から解放された光は、「星」となって我々のまだみぬ未来をも照射している。星は子供達が描いた黒板絵の数だけ存在する。「黒板絵」の形をした星々は、熊谷の撮影した写真を通して、未来でも光り輝き続けている。

古沢将太「熊谷元一写真展を見て」

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熊谷元一写真展を見て
古沢将太

 
 熊谷元一氏の写真には命が記録されている、私はまずそう感じた。子供達の表情の瑞々しさ、いきいきとした動き、黒板を前に思案する姿、その一瞬を、カラーとかモノクロとか、デジタルとかアナログとかそんなものとは関係のないところに、その時、その場所の空間を保存している。優れた芸術が、時代や状況を超えて、現代につながるとするならば、氏の写真は、時代を超える共通の芸術的言語として十全に、役目を果たしているのではないか。私は、写真に関しては門外漢なので、写真の技法であったり、そういうところではなく、写真が語る芸術としての共通の言語を、映像芸術を学ぶものとして氏の作品から読み取っていきたい。

 子ども達の黒板絵を見ていると本当に、その時、その場の声が聞こえてくるようだった。それは、「絵」以外にも、黒板の端に書かれた「みつよ・けいこ」といった日直の女の子の名前、写真の撮られた日付、構図の節々に現実感として、ある種のリアリティーとして配置されている。
 この写真は黒板絵を撮影した写真に写る被写体として残っているだけであって、彼らが黒板にチョークで描いた黒板絵を、我々はもう二度と見ることができない。彼らが描いているものは、確実に複製や保存のできないものである。しかし、写真を通すことによって質感や色は再現できないが、少なくとも、絵の形姿やその行程、書き直しの跡を見ることができる。黒板絵の「一回性」という特性を写真によって覆している。
 また、絵そのものは複製や保存ができないが、黒板にチョークで書く絵ということは「やりなおし」が可能である。そこに黒板絵の魅力があるのではないか。覚えたての文字と絵の混在に、がまた興味深かった。1年生の頃は、文字をデザインとして、または、ただ最近取得した新たな技能を披露したいが為に文字を書いていたのではないか、というものに対し、学年が上がるに連れ、絵を補足するような、文字、または文章を絵と同じフレームに配置していた。このような、成長に比例する変化も随所に見られた。まず、単純に絵が奇麗に上手になったことである。学年が上の子ども達の描いた絵には、遠近法の走りのような技法も見られるようになった。かたや、1年生の絵を見ると、夢に出てきたような怪物や想像上の生き物など、デフォルメされた動物や、家族の絵などが多かった、本当に自由に書いていたのだろう。
 このように、1年生から4年生まで4年間撮り続けたことによって、ドキュメンタリー性、物語性というような、映像的な側面も生まれた。映画が、1秒間24枚の写真を連続することにより動きを作っていると考えれば、この作品群も写真というメディアとしての意味合いだけでなく、もう一歩進んだところで、何かを表現しているのではないか、と考えることもできる。4年という時間を一緒に過ごしたことで、1年生のときの子ども達の表情と、4年生になったときの表情には明らかに違うものがあった。同じ被写体を撮り続ける、その中で被写体との関係性が親密になり、レンズの存在をだんだんと子ども達の意識から遠ざけていくことができたのではないか、これは、他の写真家ではなく、教師として子ども達に接していた氏だからこそ、撮れた写真である。

 この作品が撮影された時代背景を考えると、黒板を解放するということには、当時、国家間総力戦となった大戦を経て、国家という全体性からの解放(=創造性の解放)、個の尊重、思想の自由といったことを、意図的でないにしろ暗喩しているのではないか、と考えてしまう。それまで、「個」としての自我を抑圧されていた日本人にとって、これから自分達の幸福を得る為には、個人がそれぞれ自由に考え、生きる道を選択することは難しい。それは、今までの画一的な教育では、担保できない領域の能力を求められることになる。自分で考え、自分で表現する能力を、この黒板絵で養おうとしたのではないかと、私は、1946年からフィルムという芸術的言語を自分なりに読み解こうとした結果、そう感じた。

日芸図書館企画の展示「写真家 熊谷元一」は六月二日より十六日まで日芸アートギャラリーで開催されています。詳しくは日芸図書館(℡03-5995-8306)にお問い合わせください。


熊谷元一写真集『黒板絵は残った』(D文学研究会発行・星雲社発売)は五月三十日に刊行されました。

定価は1800円+消費税

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四月三十日の読売新聞夕刊15面に芥川喜好氏の「時の余白」で紹介、また五月二十一日に長野朝日放送で十分ほど特集番組として放映されました。

宮野江里加「教育者としての熊谷元一」

教育者としての熊谷元一
宮野江里加

「ピカピカの一年生」、熊谷元一の写真集展を見てふと思い浮かんだ言葉である。
毎年、春が近づくと聞こえてくるフレーズだが、此れと言って意識する人は少ないのではないだろうか。私はというと、五歳のときに来年は自分の番だと憧れを抱き、その時が来たときにはとても誇らしげに思った記憶があるが、それ以降は自分には関係ないように感じている。なぜだろう?中学・高校一年生だって立派な一年生だし、社会人一年生という言葉もある。しかし一般的にイメージされるのは、小学校一年生であろう。思うにそれは、誰もが強く印象づけられる体験だからではないだろうか?
 このことは、いつの時代も同じことだと思う。卒園式の別れの悲しみは一日で吹っ飛び、おじいちゃんおばあちゃんに買って貰った大きなランドセルを手に、私はこれから過ごしていく新しい世界への希望に胸を弾ませていた。小学校ってどんなところだろう?お友達はできるだろうか?担任の先生はどんな人だろうか?誰しもが経験するであろう期待と不安が入り混じった不思議な感覚がそこにはある。
 今年、小学一年生になった子供たちを何人か知っているが、私は、他の学年とは違う特別な想いを持っている。まだ6月、入学以前のあどけなさは残っているし、友達とのふざけ方も変わらない。しかし、何かが違うのである。ハッキリとした理由はないが、入学する前の彼らを知っている私から言わせたら、その子たちはまさに輝いているのである。それと同じ輝きが、彼の写真からも鮮明に伝わってきた。
 また、小学校に上がりたてのときは何もかもが新鮮で、何がして良いことなのが、悪いことなのかよく分からない。本当に未知の世界なのである。そして、黒板というものはまさに、その象徴でもあるだろう。「教師の聖域」と言われてみればその通りである。黒板に落書きをすることはきっと悪いことだと、言われなくとも誰しもなんとなく持っている感覚である。それを開放し、児童たちにのびのび、自由に書かせた教師、熊谷元一のやったことは明らかに常軌を逸している。だが、時代は違えども学習指導要領の総則で謳われている「個性を生かす教育」 を十分に果たしていると感じた。日本の民主主義教育は、子供の個性を尊重していないと常日頃から思っているため、彼のような教育方法には感銘を受けた。
教職という職業は、教室という閉ざされた空間の中ではある種、法律であり神である。先生が良いと言えばよく、ダメと言えばダメ。であるからに、教師は児童にとって大きな影響を及ぼすのである。
しかし、熊谷の場合はそうではないように感じる。写真の子供たちはカメラを全く意識せず、彼は自然のまなざしで子供たちを見ていたと表現されていた。そのことから、彼の教育方法は何か影響を与えようとするのではなく、児童たちの姿をそのまま受け入れるものだったのだと感じた。それは、親にも言えることで、子供の好きにさせようと思っていても、自分の子となると実際には上手くいかない。どんなに出来の悪い子供でも、ありのままに認めてくれる親が欲しいものだ。
 この黒板絵を見てみると、一年生のころは、自分の身近なものや、夢といったものが描かれている。それはまるで絵日記の絵のようである。そして二年、三年生に上がると、徐々に黒板絵は迫力を増していき、授業で習ったことや、そのイメージを絵にしているように思う。だが、順序通りに見ていくと一年生のほうが個性的で魅力があるように感じた。つまりは、一年生の頃は、自分の好きなように思ったことを描いていたが、学年が上がるにつれて自分の内側ではなく外側からの刺激に対し、ただ反応しているといった感じであまり面白くないのである。そしてこのことは、写真展で貰った新聞の一節を読むと合点がいくのである。
「構想は描く先から生まれていきました。つまり無心、無意識の世界です。(省略)やがて人に見せる意識が生まれ、上手下手の別もはっきりして、無心は無心でなくなり、黒板絵は終わりに近づいていった。」
要するに、子供たちの絵は自然に生み出されるものから、アートという人工的なものへと変化していったのだ。
 それにしても、なぜ彼は三足のわらじを履いた人生を送ったのだろうか。資料では写真家、童画家として著名であるが、教育者としての顔はあまり知られていなかったと書かれている。けれども、こうして日の目を見るようになったのは、彼が継続して写真を撮り続けたからだろう。その上、写真をただ撮るだけではなく名前と日付を書いて記録したのだから、ここに彼の児童に対する深い愛情を感じ取ることができる。きっと彼は子供が好きだったのであろう。そして、けんかをしている写真から分かるように、愛を持って時に厳しく子供たちを見ていたのである。熊谷の写真からは、教師としてのまなざしではなく、父親のような愛に溢れたまなざしを感じとることができる。子供の無邪気さが至極表れているのはそのせいなのだろう。

日芸図書館企画の展示「写真家 熊谷元一」は六月二日より十六日まで日芸アートギャラリーで開催されています。詳しくは日芸図書館(℡03-5995-8306)にお問い合わせください。


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