坂下 将人 熊谷元一写真集『黒板絵は残った』―星となったピカソの絵―

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熊谷元一写真集『黒板絵は残った』
―星となったピカソの絵―

坂下 将人藝術学研究科博士前期課程1年文藝学専攻 

熊谷元一の写真の中には「ピカソの絵」が収められている。
ピカソの絵」―熊谷元一の写真の中に収められた、子供達によって黒板に描かれた絵をみて抱いた率直な第一印象だった。
団塊の世代を父に持つ筆者にとって、熊谷元一の写真は個人的にも貴重な写真だった。子供は親が子供だった時をみることはできない。子供にとって親ははじめから親として、大人として存在している。我々はずっと昔から親が大人のままの姿で誕生したと思い込んでいる。しかし熊谷の写真をみると、当たり前のことではあるが、親もはじめから親ではなかったことがわかる。子供は普段、子供の時の親の姿、親の子供時代を考えることはないし、また想像することもない。
子供が子供をみる。子供が子供の時の親をみる。大人になった子供が子供の時の親をみる。熊谷の撮影した写真は、団塊世代の方々に在りし日の自分の姿をみせていたのかもしれないが、「息子」である筆者には子供の「実存」をみせていた。子供はいつの時代においても子供である、と。よって熊谷の撮影した写真は、団塊の世代を親に持つ筆者を不思議な感覚にさせてくれる写真でもあった。これは団塊の世代を親に持つ全ての人に言えることだろう。
熊谷元一のすごさは、子供達の黒板絵を「作品化」したことにある。すなわち、子供達によって作品化された黒板絵を、写真として再度「作品化」したことに熊谷元一のすごさがある。藝術作品の中にまた藝術作品が存在する。例えるなら、写真の中に「写真」がある。撮影された写真を撮影したような、写真の中にある「写真」をみているような感覚を覚えた。黒板絵はそのどれもが「ピカソの絵」だった。子供はみな、うまれながらにして藝術家なのか。藝術と藝術家の本質、人間の神秘を子供達の黒板絵に強く感じることができた。
 誰に教わるでもなく、子供達は自分の描きたいものを描きたいように描いていた。自分の描きたいものを描くからこそ、作品は藝術になる。描きたいという強い想いが作品を創造させ、創造した作品を藝術にする。子供達は黒板に表現された自身の絵が教師にどう評価されるか、気にも留めていなかった。表現したいことをそのまま表現していた。そして、ただひたすら「無心」で描いていた。描いた絵が「ピカソの絵」であるとも気づかずに…。
子供達によって黒板に描かれた絵は、「ピカソの絵」に通じるものがある。よって、ピカソは子供の頃の「純粋性」を大人になってからも失わずに保ち続けていた、あるいは、ピカソは子供のような描き方で意図的に作品を描いていたと判断することができる。どちらにせよ、ピカソは子供の描く絵に藝術性と藝術の本質を感じ取っていたことだけは確かであろう。「ピカソの絵」は「黒板絵」に通じるものがある。
 熊谷元一の撮影した写真は生徒が大切にしている思い出と寸分違わずに重なっている。熊谷は生徒の思い出が一生の思い出に「変わる瞬間」を前もって「予期」しているかのように撮影している。
 被写体である子供達の視線は「未来」にある。そして撮影者である熊谷元一の視点もまた「未来」に向けられている。従って、作品は「未来」を志向している。熊谷の視点が「未来」に向けられているからこそ、熊谷は生徒が一番大切にする瞬間の思い出を「予め」撮影することができた。「教育にこそ未来がある」という確信が熊谷の視点を「未来」に向けさせた。
熊谷の撮影した写真には、「教育にこそ未来がある」と確信した熊谷の眼差しも同時に「描かれている」。常に「未来」を志向する熊谷元一と子供達の眼差しは写真へと反映され、清水正が述べるように、黒板絵と写真を通して「教師と生徒のあり方」を我々に投げかける。
黒板絵に対する熊谷の透徹な眼差しと黒板に向けられた子供達の純粋な眼差しとが重なりあい、その光を黒板が「反射」することで、熊谷の眼差しと子供達の眼差しは写真を通して着実に鑑賞者の心を暖かく「照らし出す」。鑑賞者は、光を照らし出す熊谷の写真と光に照らし出された自身の内面、その両方を同時にみる「観照者」へと変容する。
教師と生徒がともに、「未来」を志向する眼差しを黒板に「照射」し、照射された光を黒板が「反射」する。写真はその反射された一瞬の光を撮影したものである。反射された光は、写真を通して、そして時空をこえて、「教育の原点」を鑑賞者1人1人の心の中に「映し出す」。
熊谷元一の写真から解放された光は、「星」となって我々のまだみぬ未来をも照射している。星は子供達が描いた黒板絵の数だけ存在する。「黒板絵」の形をした星々は、熊谷の撮影した写真を通して、未来でも光り輝き続けている。