『熊谷元一〜一年生〜』齋藤響 

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日芸図書館企画の展示「写真家 熊谷元一」は六月二日より十六日まで日芸アートギャラリーで開催されています。詳しくは日芸図書館(℡03-5995-8306)にお問い合わせください。


熊谷元一写真集『黒板絵は残った』(D文学研究会発行・星雲社発売)は五月三十日に刊行されました。

定価は1800円+消費税

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四月三十日の読売新聞夕刊15面に芥川喜好氏の「時の余白」で紹介、また五月二十一日に長野朝日放送で十分ほど特集番組として放映されました。

『熊谷元一〜一年生〜』
 齋藤響 映画学科3年 

 自分が初めて描いた絵を、果たして覚えているだろうか?
 日芸のアートギャラリーにおいて『黒板絵は残った』と題して、展示された熊谷元一の写真を眺めながら、その疑問が頭に飛び込んできた。写真には熊谷元一が自分の小学校で撮影した、生徒たちの絵が写っていた。それは生徒たちが自由に、何の制約もなく描いたものだ。
 子供たちの絵は、多種多様だ。誰も絵に関して特別な知識を持っているわけではない。だからこそ生まれる自由な発想、それが詰まった黒板となっていた。ある子どもは、おそらく自分の家であろう日常を描き、またある子どもは、ファンタジーのように現実から逸脱した絵を描く。絵の隣に日記のように字を添えたり、平面の中で奥行きを描こうとした痕跡もあったりした。今、大人になった私たちが絵を描いたなら、こうも十人十色な黒板は生まれないだろう。私たちは年を重ねる過程で、正確に物を描写する技術、対象に奥行きや陰影をつける知識を得てしまっている。その結果、描かれる絵は一つの方向に向かい、同化する。
 子供だけが持つことを許された自由な発想の土壌、これを耕すのが子供の仕事だとしたら、その土壌を塀で囲い、死守するのが大人の仕事になるだろう。その点、熊谷元一の仕事は偉業と言える。
 当時この黒板に絵を描いた子供たちが、大人になってから集まったインタビュー映像がある。その中で、一人の女性が「自分の描いた絵が不安で人に見られるのも嫌だった。しかし、熊谷先生はその絵を気に入ったと言い、とても褒めてくれた」と語っている。絵の上手さという誘惑から子供たちを守るには、自信や賛美を与えなければならない。そうでなければ、子供たちは忽ち筆をおいてしまう。
 また写真の中には子供たちが実際に絵を描いている時の様子も収められていた。子供たちはカメラには目も向けず、一心不乱に黒板と対峙していた。この一枚を撮影するだけでも、数多くの苦労と時間を有したはずだ。なぜなら人は自然とカメラを意識してしまうからだ。江戸時代、映画のカメラが発明されたばかりの頃、日本の風景を映像に撮った西洋人がいる。その映像には、人々がもの珍しそうにカメラを見て通り過ぎる姿が残っている。あまりに露骨なため、滑稽ですらある。熊谷元一が撮ったのは、ましてや子供である。カメラを意識の外へと運ぶには、より多くの知恵や工夫が必要になる。
 さて、ここで本文冒頭の問いに戻る。正直に告白すれば、私は自分が初めて描いた絵など思い出せない。いや、幼稚園の頃ですら記憶にない。だが、熊谷元一が撮影した『一年生』の写真を見ながら、自分がどんな思いで絵を描いていたか、それだけは少しだけ思い出せた気がする。子供の絵というものは、描いた本人以外には到底理解できないもので、それ故、親たちの笑いの種になってしまうのが常である。しかし、そこには当時の現状が、悩みが、想いが必ず反映されており、私は、今となっては欠落してしまったその記憶が呼び起される瞬間を、その写真の内部に見つけ出したのだ。