大塚頼安   写真家熊谷元一展を観て 

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写真家熊谷元一展を観て 
大塚頼安

 小学生5年生まで私は先生に興味がなかった。それはマニュアルにのっとり、子供たちに教え、いけないことをすれば叱り、いいことをすれば褒め、いい生徒達をかわいがっていたからなのかもしれない。私は4歳時に病気かかって1年近く入院していた。親に甘えることが必要な時期に親から離されていたせいか、少々性格が捻じ曲がっていた。そのせいで、人と同じというのが好きではなかった。なのでマニュアル通りの世間で言ういい先生が好きではなかった。小学3になり塾に通いだしたので、小学校の授業もますますつまらなくなり先生への興味はますますなくなっていった。小学5年生になる頃には、学校は友達会いに行く場所になっていた。
 6年生になった時新任の先生が学校にやってきた。その先生は、なんとも爽やかで、いかにも小学生が好みそうな物事をよく知っており、元気な人だった。私が嫌いそうな人物だった。その先生は私のクラスの担当になった。初めてクラスにきた時のことは今も覚えている。
「僕のことは先生と呼ばずにあだ名でよでくれ」
男子はすぐに打ち解けていた。しかし女子の数人は冷ややかな目で先生を見ていた。その中には男子だが、私もいた。しかし、日が経つにつれ冷ややかな目は先生への興味の目に変わっていた。先生は今までの先生と違っていた。それに気がついたのが桜の木が緑に変わった頃だった。生徒同士がクラス中でケンカをしていた。男子達はやれやれと盛り上がり、女子はため息をつきながらそれを眺めていた。そのケンカ中に先生は教室に入ってきた。男子はケンカが止められると思い、ため息をついたが先生はケンカを止めずその光景を見ていた。一通りケンカし終えた二人は、片方が謝りおさまった。それを見て先生はよし、と一声発して授業をはじめた。今までの先生ならかならず止めていたのに何で止め なかったんだろうと疑問に思った。そこから先生に興味を示すようになった。次に先生のとった行動は、生徒一人一人に通り名をつけ出した。たとえば優しい何君、絵がうまい何さん、歌がうまい何ちゃんなどだ。私の通り名は比喩表現であった。先生は個性をとても大切にしていたのだ。そしてその個性を出しているときを一番に褒めていた。そんな先生を生徒は男女問わず大好きになっていた。私もそのうちの一人だった。
大学生になった時、母校にい行き、その先生と話す機会ができたので、色々と聞いてみると、なるほどと思った。先生は行けなかったのだが日藝の映画学科を目指していたそうだ。妙に私は納得した。個性を大事にするわけだと。
今回、熊谷元一先生の作品を見てそんな小学校の頃の先生を思い出した。しかし、熊谷先生は私の先生よりもっと、個性を大切にしていたと思う。黒板が先生の聖域である時に黒板を解放し、授業中にやりたいことをやらせ、子供達に自由に学ばせた。黒板に自由に書かせたのはその生徒が何に興味を示しているのかを知るためだと私は、考えている。文章を書いている子は、文章に興味を持っていて、政治家を書いてる子は、政治に興味を持っていいる。名前を書かしたのも知るためだと私は、考える。興味がある事柄を聞くのは簡単なことだが、先生はそれを表現の中から見つけ出し、その子の個性を伸ばしていく。これは、純粋にすごいと思った。その他に先生は、子供達の動きや言葉を全部ノートに書 いている、という事もしていた。これは、生徒というものに純粋に興味があったからだと、考える。やはり興味があるというのは、とても大切なことだ。先生は、怒ることはないと元生徒さん達は言っていたが、静かに真剣に生徒とぶつかり合っていたと思う。怒りとは、別の何かで。私の小5までの先生たちは生徒に興味がなく純粋に教師は仕事としてやっていたのかもしれない。上っ面は良い顔をしていたが、やはり距離を感じた。やはり生徒に真剣にぶつかり、近くなくては小学校の先生はだめだと私は思う。ウィリアム・アーサー・ウォードの有名な言葉がある。「普通の教師は、言わなければならないことを喋る。良い教師は、生徒に分かるように解説する。優れた教師は、自らやってみせる。そして、本当に偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける」熊谷先生は偉大な教師だと思う。「写真を撮られていたことをあまりよく覚えていない」これは元生徒さんから聞いた言葉だ。なにげなくいっているが、これはすごいことだと思う。普通カメラを向けられると自然とポーズをとってしまったり、顔を作ってしまったりする。小学生ならなおさらだと思う。しかし先生の写真には偽りのない笑顔やぼーっとしてる顔など、自然体なのだ、その当時の生の感じが直に伝わってくる。これは生徒達と先生が打ち解けているからだと考える。先生は生徒の心の中まで入っているのだ。
今回作品展を見て感じたことは、「興味」の大切さだ。熊谷先生のまねを今の小学校教育でマネしようとしても絶対できない。しかし、生徒に興味を持つことは、できると思う。興味を持った上で生徒と真剣にぶつかりあう先生が増えてほしいと思う。