清水正講師担当科目に関するお知らせ・第4回目

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第4回目

今回は「雑誌研究」課題テキスト「どんぐりと山猫」の読みに関して簡単に触れます。

簡単に触れる理由は、まず第一に受講生一人一人が自分の頭で考えてもらうことを大事にしているからです。テキストをいかに読み込んでいくか。たとえばタイトルの中の「どんぐり」とは何か、「山猫」とは何を意味しているのか、といったことに疑問を抱くことです。さらになぜ「どんぐり」はひらがな表記で「山猫」は漢字表記なのかと考えます。宮沢賢治の童話テキストは様々あり、タイトルからして違います。それを知るには入手し得る限りのテキストを実際に見る必要があります。そしてなぜそのように様々なテキストがあるのかを考えれば、一つのテキストが世の中に出てくるうえで、著者ばかりでなく、担当編集者や編纂者、出版社側の考えが大いに影響していることも分かってきます。一つの童話テキストに様々な角度から疑問の矢を放ち続けることによって、テキストは大きく変容していきます。こういった批評方法は、単に作品批評に限らず、現実の諸問題に関しても適用できます。とりあえず、自分でテキストに様々な疑問を投げかけ、謎ときに挑戦してください。

 

 

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第3回目

「文芸特殊研究Ⅱ」の受講者は引き続き指定したテキスト「銀河鉄道の夜」と「カラマーゾフの兄弟」を読みすすめてください。読むだけで一か月以上かかると思いますのであせらずじっくり味わいながら読書してください。

夏目漱石門下の一人であった芥川龍之介は「カラマーゾフの兄弟」を三日で読んでいます。それも英訳のテキストでです。同じく漱石門下でドストエフスキーの愛読者であった森田草平は芥川に向かって「「カラマーゾフの兄弟」は一か月はかけて読まなければならない」と言ったそうですが、わたしはその草平に向かって「「カラマーゾフの兄弟」は一か月ばかりで読んではいけない。この作品は一生をかけて読まなければならない」と言いたい。それほどこの作品は巨大な作品です。若い時に偉大な作品に立ち向かうことが大事です。ドストエフスキーの深遠な世界でのたうちまわってください。

「マンガ論」の受講生も引き続き「罪と罰」を読み続けてください。

 

◎「罪と罰」のテキストは原則として江川卓岩波文庫を指定していますが、別の訳者のものを購入したひとはそれで読んでください。

 

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第2回目

「文芸批評論」の受講生はまず「罪と罰」のテキストを入手し、読み始めてください。ひとによって読む速度は異なりますが、最低一か月はかけてじっくり読み進めてください。ロシア人の名前は名・父称・姓からなっており、「罪と罰」の主人公の名前はロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフとなります。作品の中ではロジオンとかロジオン・ロマーノヴィチとか単にラスコーリニコフなどと表記されています。また愛称でロージャとも呼ばれています。ラスコーリニコフは23歳の青年ですが、母親のプリヘーリヤからは愛称で呼ばれています。名前の表記が複雑で、これが原因でロシア文学を敬遠するひともおりますが、慣れてくれば、名前一つの呼び方でその人間関係がわかって、面白く読みすすめることができます。

罪と罰」のような長編小説を読むためには、まず登場人物をきちんと把握する必要があります。面倒がらずにノートをとってしっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要です。次に筋や人物関係をしっかりと認識する必要があります。この作品はわたしと江川卓氏は全13日説をとっていますが、未だ確定的な事実とは言えない点もあります。ひとの意見に左右されることなく、自分で確かめることが大事です。ぜひ試みてください。

わたしは「罪と罰」を50年以上にわたって読み続け、今も批評しております。「罪と罰」は過去の異国の文学というよりは、永遠に「現代文学」なのです。今、世界的に新型コロナが話題になっていますが、こういった人類を危機的状況に追いやる感染症の問題に関しては、アルベール・カミュが「ペスト」という作品で徹底的に追及しています。カミュが最も影響を受けた作家がドストエフスキーであり、「罪と罰」の中には、ラスコーリニコフの悪夢として「理性と意志を賦与された施毛虫」によって人類が破滅することが描かれています。

地上メディアでは連日新型コロナのことが取り上げられていますが、残念ながらドストエフスキーカミュの文学の次元には達していません。ドストエフスキーの文学は政治・経済・社会・心理・精神病理・哲学・宗教の問題がすべて含まれていると言っても過言ではない。青春期にドストエフスキーカミュの文学に触れることは、一過性ではない永遠の次元で「人間とは何か」を深く考える一契機、否、決定的な契機となるでしょう。ドストエフスキーは17歳の時に兄ミハイル宛の手紙で「人間は謎である。この謎を解くために一生を費やしても悔いはない」といった趣旨のことを書いています。

文芸学科に入学してきた者たちの使命は、言葉を通して人間の、世界の神秘に立ち向かっていくことです。神秘とは謂わば神が秘め隠したということで、単なる被造物である人間に神秘の謎が解けるものではありません。謎という言葉は、それを解こうとすれば言葉が迷うということで、時に天才的な数学者や芸術家を狂気の淵へと連れ込んでしまいます。しかし、わたしはいつも言っています。永遠に解けぬ「神秘」を眼前にして一歩も退かず、言葉によって表現し続ける者、それが文学者・詩人・作家である、と。

こういった厳しい、孤独な道を死ぬまで歩み続けること、それが文学者の使命である。

 

下記の動画は2016年の5月31日の「文芸批評論」の授業です。わたしは2015年の暮れに日大病院に入院、難病指定の水疱性類天疱瘡と診断され三か月ほど入院生活を余儀なくされました。治療中に帯状疱疹にかかり、今も帯状疱疹後神経痛に襲われ続けています。左腹部に電流のような痛みが数秒ごとに襲ってくるという実に厄介なものです。動画でもわかると思いますが、講義中ずっと痛みに襲われているので、声もよく出ず、思うような授業展開にはなっていません。聞きづらい点も多々あると思いますが、ご容赦のほどお願いします。「罪と罰」を読み終えた段階で観てもらってもいいし、途中の段階で観てもらってもけっこうです。興味のあるひとは「「罪と罰」の出だしを読む

」の2も観てください。

「「罪と罰」の出だしを読む」1

https://www.youtube.com/watch?v=GDoxSjWewt4&list=UUPjKs2BsVoPWC1qWghus1Ug&index=48

 

 

清水正の著作の購読申込、課題レポート、問い合わせなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com 

日芸文芸学科・

令和二年度は当分の間オンライン授業の形式で行うということで、担当科目の課題指示および当ブログの見方を簡単に案内しておきます。

まず清水正のプロフィールや著作等に関しては当ブログ画面右のプロフィールやカテゴリー内の「著作」の項を開いてください。

また授業や講演などを動画で観る場合は下記のわたしの肖像写真の箇所をクリックしてください。

 

www.youtube.com

「文芸批評論」と「マンガ論」の受講生はまず第一に「罪と罰」を読み通してください。テキストはできるだけ江川卓岩波文庫を選んでください。一か月か二か月かけてじっくり味わいながら読んむこと、筋や人物名、足取りなどきちんとノートしながら読むのがよい。読み終えたら自分でテーマを探して感想や批評を書くこと。自分なりの考えをまとめたうえで、次に内外の思想家、小説家、批評家などが「罪と罰」をどのように読んだのかを確かめるのがよい。こういった読みと批評の作業は長い年月を要するのが当たり前で、二、三か月でできるものではない。文芸学科に入ったからには徹底して本を読み、その深遠なる世界に参入しなければならない。

「文芸批評論」は「罪と罰」の他に林芙美子の「浮雲」を読んでもらいますが、この作品は「罪と罰」を読んでからにしてください。やる気のある学生はさらにドストエフスキーの「悪霊」を読んでください。林芙美子の「浮雲」は「悪霊」の影響を受けています。

「マンガ論」は例年、つげ義春の「チーコ」から講義を開始しますが、本年はドストエフスキーの「罪と罰」と手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に絞ります。とりあえずこの二作品を読了してください。課題に関しては後に指示します。

「雑誌研究」宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」から始めます。まずこの作品を読んで20ほど疑問点を見つけ、そのうちの3点に関して自分なりの意見を各々2000字でまとめてください。提出日や場所はいずれ指示しますのでそれに従ってください。

「文芸特殊研究Ⅱ」宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでください。テキストは特にこだわりません。読むだけでそうとう時間がかかりますが、とにかく挑戦してください。

わたしの著作で読んでもらいたいのは「文芸批評論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、「マンガ論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、第4巻、第5巻、「文芸特殊研究Ⅱ」は「清水正ドストエフスキー論全集」第10巻です。

第3巻4巻5巻は「罪と罰」論、特に第4巻は手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に関して徹底して検証してあります。ただしこの巻は品切れ状態にあり、アマゾンなどでは高額になっていますので、定価3500円前後のものを入手するようにしてください。余談ですがこの第4巻はアマゾンで百万円で出品されたこともあります。

 

 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

f:id:shimizumasashi:20181228105251j:plain

 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

(人気ブログランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします)

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第3回目

 

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第3回目

「文芸特殊研究Ⅱ」の受講者は引き続き指定したテキスト「銀河鉄道の夜」と「カラマーゾフの兄弟」を読みすすめてください。読むだけで一か月以上かかると思いますのであせらずじっくり味わいながら読書してください。

夏目漱石門下の一人であった芥川龍之介は「カラマーゾフの兄弟」を三日で読んでいます。それも英訳のテキストでです。同じく漱石門下でドストエフスキーの愛読者であった森田草平は芥川に向かって「「カラマーゾフの兄弟」は一か月はかけて読まなければならない」と言ったそうですが、わたしはその草平に向かって「「カラマーゾフの兄弟」は一か月ばかりで読んではいけない。この作品は一生をかけて読まなければならない」と言いたい。それほどこの作品は巨大な作品です。若い時に偉大な作品に立ち向かうことが大事です。ドストエフスキーの深遠な世界でのたうちまわってください。

「マンガ論」の受講生も引き続き「罪と罰」を読み続けてください。

 

◎「罪と罰」のテキストは原則として江川卓岩波文庫を指定していますが、別の訳者のものを購入したひとはそれで読んでください。

 

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第2回目

「文芸批評論」の受講生はまず「罪と罰」のテキストを入手し、読み始めてください。ひとによって読む速度は異なりますが、最低一か月はかけてじっくり読み進めてください。ロシア人の名前は名・父称・姓からなっており、「罪と罰」の主人公の名前はロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフとなります。作品の中ではロジオンとかロジオン・ロマーノヴィチとか単にラスコーリニコフなどと表記されています。また愛称でロージャとも呼ばれています。ラスコーリニコフは23歳の青年ですが、母親のプリヘーリヤからは愛称で呼ばれています。名前の表記が複雑で、これが原因でロシア文学を敬遠するひともおりますが、慣れてくれば、名前一つの呼び方でその人間関係がわかって、面白く読みすすめることができます。

罪と罰」のような長編小説を読むためには、まず登場人物をきちんと把握する必要があります。面倒がらずにノートをとってしっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要です。次に筋や人物関係をしっかりと認識する必要があります。この作品はわたしと江川卓氏は全13日説をとっていますが、未だ確定的な事実とは言えない点もあります。ひとの意見に左右されることなく、自分で確かめることが大事です。ぜひ試みてください。

わたしは「罪と罰」を50年以上にわたって読み続け、今も批評しております。「罪と罰」は過去の異国の文学というよりは、永遠に「現代文学」なのです。今、世界的に新型コロナが話題になっていますが、こういった人類を危機的状況に追いやる感染症の問題に関しては、アルベール・カミュが「ペスト」という作品で徹底的に追及しています。カミュが最も影響を受けた作家がドストエフスキーであり、「罪と罰」の中には、ラスコーリニコフの悪夢として「理性と意志を賦与された施毛虫」によって人類が破滅することが描かれています。

地上メディアでは連日新型コロナのことが取り上げられていますが、残念ながらドストエフスキーカミュの文学の次元には達していません。ドストエフスキーの文学は政治・経済・社会・心理・精神病理・哲学・宗教の問題がすべて含まれていると言っても過言ではない。青春期にドストエフスキーカミュの文学に触れることは、一過性ではない永遠の次元で「人間とは何か」を深く考える一契機、否、決定的な契機となるでしょう。ドストエフスキーは17歳の時に兄ミハイル宛の手紙で「人間は謎である。この謎を解くために一生を費やしても悔いはない」といった趣旨のことを書いています。

文芸学科に入学してきた者たちの使命は、言葉を通して人間の、世界の神秘に立ち向かっていくことです。神秘とは謂わば神が秘め隠したということで、単なる被造物である人間に神秘の謎が解けるものではありません。謎という言葉は、それを解こうとすれば言葉が迷うということで、時に天才的な数学者や芸術家を狂気の淵へと連れ込んでしまいます。しかし、わたしはいつも言っています。永遠に解けぬ「神秘」を眼前にして一歩も退かず、言葉によって表現し続ける者、それが文学者・詩人・作家である、と。

こういった厳しい、孤独な道を死ぬまで歩み続けること、それが文学者の使命である。

 

下記の動画は2016年の5月31日の「文芸批評論」の授業です。わたしは2015年の暮れに日大病院に入院、難病指定の水疱性類天疱瘡と診断され三か月ほど入院生活を余儀なくされました。治療中に帯状疱疹にかかり、今も帯状疱疹後神経痛に襲われ続けています。左腹部に電流のような痛みが数秒ごとに襲ってくるという実に厄介なものです。動画でもわかると思いますが、講義中ずっと痛みに襲われているので、声もよく出ず、思うような授業展開にはなっていません。聞きづらい点も多々あると思いますが、ご容赦のほどお願いします。「罪と罰」を読み終えた段階で観てもらってもいいし、途中の段階で観てもらってもけっこうです。興味のあるひとは「「罪と罰」の出だしを読む

」の2も観てください。

「「罪と罰」の出だしを読む」1

https://www.youtube.com/watch?v=GDoxSjWewt4&list=UUPjKs2BsVoPWC1qWghus1Ug&index=48

 

 

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また授業や講演などを動画で観る場合は下記のわたしの肖像写真の箇所をクリックしてください。

 

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「文芸批評論」と「マンガ論」の受講生はまず第一に「罪と罰」を読み通してください。テキストはできるだけ江川卓岩波文庫を選んでください。一か月か二か月かけてじっくり味わいながら読んむこと、筋や人物名、足取りなどきちんとノートしながら読むのがよい。読み終えたら自分でテーマを探して感想や批評を書くこと。自分なりの考えをまとめたうえで、次に内外の思想家、小説家、批評家などが「罪と罰」をどのように読んだのかを確かめるのがよい。こういった読みと批評の作業は長い年月を要するのが当たり前で、二、三か月でできるものではない。文芸学科に入ったからには徹底して本を読み、その深遠なる世界に参入しなければならない。

「文芸批評論」は「罪と罰」の他に林芙美子の「浮雲」を読んでもらいますが、この作品は「罪と罰」を読んでからにしてください。やる気のある学生はさらにドストエフスキーの「悪霊」を読んでください。林芙美子の「浮雲」は「悪霊」の影響を受けています。

「マンガ論」は例年、つげ義春の「チーコ」から講義を開始しますが、本年はドストエフスキーの「罪と罰」と手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に絞ります。とりあえずこの二作品を読了してください。課題に関しては後に指示します。

「雑誌研究」宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」から始めます。まずこの作品を読んで20ほど疑問点を見つけ、そのうちの3点に関して自分なりの意見を各々2000字でまとめてください。提出日や場所はいずれ指示しますのでそれに従ってください。

「文芸特殊研究Ⅱ」宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでください。テキストは特にこだわりません。読むだけでそうとう時間がかかりますが、とにかく挑戦してください。

わたしの著作で読んでもらいたいのは「文芸批評論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、「マンガ論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、第4巻、第5巻、「文芸特殊研究Ⅱ」は「清水正ドストエフスキー論全集」第10巻です。

第3巻4巻5巻は「罪と罰」論、特に第4巻は手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に関して徹底して検証してあります。ただしこの巻は品切れ状態にあり、アマゾンなどでは高額になっていますので、定価3500円前後のものを入手するようにしてください。余談ですがこの第4巻はアマゾンで百万円で出品されたこともあります。

 

 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

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清水正講師担当科目に関するお知らせ・第2回目

◎「罪と罰」のテキストは原則として江川卓岩波文庫を指定していますが、別の訳者のものを購入したひとはそれで読んでください。

 

清水正講師担当科目に関するお知らせ・第2回目

「文芸批評論」の受講生はまず「罪と罰」のテキストを入手し、読み始めてください。ひとによって読む速度は異なりますが、最低一か月はかけてじっくり読み進めてください。ロシア人の名前は名・父称・姓からなっており、「罪と罰」の主人公の名前はロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフとなります。作品の中ではロジオンとかロジオン・ロマーノヴィチとか単にラスコーリニコフなどと表記されています。また愛称でロージャとも呼ばれています。ラスコーリニコフは23歳の青年ですが、母親のプリヘーリヤからは愛称で呼ばれています。名前の表記が複雑で、これが原因でロシア文学を敬遠するひともおりますが、慣れてくれば、名前一つの呼び方でその人間関係がわかって、面白く読みすすめることができます。

罪と罰」のような長編小説を読むためには、まず登場人物をきちんと把握する必要があります。面倒がらずにノートをとってしっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要です。次に筋や人物関係をしっかりと認識する必要があります。この作品はわたしと江川卓氏は全13日説をとっていますが、未だ確定的な事実とは言えない点もあります。ひとの意見に左右されることなく、自分で確かめることが大事です。ぜひ試みてください。

わたしは「罪と罰」を50年以上にわたって読み続け、今も批評しております。「罪と罰」は過去の異国の文学というよりは、永遠に「現代文学」なのです。今、世界的に新型コロナが話題になっていますが、こういった人類を危機的状況に追いやる感染症の問題に関しては、アルベール・カミュが「ペスト」という作品で徹底的に追及しています。カミュが最も影響を受けた作家がドストエフスキーであり、「罪と罰」の中には、ラスコーリニコフの悪夢として「理性と意志を賦与された施毛虫」によって人類が破滅することが描かれています。

地上メディアでは連日新型コロナのことが取り上げられていますが、残念ながらドストエフスキーカミュの文学の次元には達していません。ドストエフスキーの文学は政治・経済・社会・心理・精神病理・哲学・宗教の問題がすべて含まれていると言っても過言ではない。青春期にドストエフスキーカミュの文学に触れることは、一過性ではない永遠の次元で「人間とは何か」を深く考える一契機、否、決定的な契機となるでしょう。ドストエフスキーは17歳の時に兄ミハイル宛の手紙で「人間は謎である。この謎を解くために一生を費やしても悔いはない」といった趣旨のことを書いています。

文芸学科に入学してきた者たちの使命は、言葉を通して人間の、世界の神秘に立ち向かっていくことです。神秘とは謂わば神が秘め隠したということで、単なる被造物である人間に神秘の謎が解けるものではありません。謎という言葉は、それを解こうとすれば言葉が迷うということで、時に天才的な数学者や芸術家を狂気の淵へと連れ込んでしまいます。しかし、わたしはいつも言っています。永遠に解けぬ「神秘」を眼前にして一歩も退かず、言葉によって表現し続ける者、それが文学者・詩人・作家である、と。

こういった厳しい、孤独な道を死ぬまで歩み続けること、それが文学者の使命である。

 

下記の動画は2016年の5月31日の「文芸批評論」の授業です。わたしは2015年の暮れに日大病院に入院、難病指定の水疱性類天疱瘡と診断され三か月ほど入院生活を余儀なくされました。治療中に帯状疱疹にかかり、今も帯状疱疹後神経痛に襲われ続けています。左腹部に電流のような痛みが数秒ごとに襲ってくるという実に厄介なものです。動画でもわかると思いますが、講義中ずっと痛みに襲われているので、声もよく出ず、思うような授業展開にはなっていません。聞きづらい点も多々あると思いますが、ご容赦のほどお願いします。「罪と罰」を読み終えた段階で観てもらってもいいし、途中の段階で観てもらってもけっこうです。興味のあるひとは「「罪と罰」の出だしを読む

」の2も観てください。

「「罪と罰」の出だしを読む」1

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また授業や講演などを動画で観る場合は下記のわたしの肖像写真の箇所をクリックしてください。

 

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「文芸批評論」と「マンガ論」の受講生はまず第一に「罪と罰」を読み通してください。テキストはできるだけ江川卓岩波文庫を選んでください。一か月か二か月かけてじっくり味わいながら読んむこと、筋や人物名、足取りなどきちんとノートしながら読むのがよい。読み終えたら自分でテーマを探して感想や批評を書くこと。自分なりの考えをまとめたうえで、次に内外の思想家、小説家、批評家などが「罪と罰」をどのように読んだのかを確かめるのがよい。こういった読みと批評の作業は長い年月を要するのが当たり前で、二、三か月でできるものではない。文芸学科に入ったからには徹底して本を読み、その深遠なる世界に参入しなければならない。

「文芸批評論」は「罪と罰」の他に林芙美子の「浮雲」を読んでもらいますが、この作品は「罪と罰」を読んでからにしてください。やる気のある学生はさらにドストエフスキーの「悪霊」を読んでください。林芙美子の「浮雲」は「悪霊」の影響を受けています。

「マンガ論」は例年、つげ義春の「チーコ」から講義を開始しますが、本年はドストエフスキーの「罪と罰」と手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に絞ります。とりあえずこの二作品を読了してください。課題に関しては後に指示します。

「雑誌研究」宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」から始めます。まずこの作品を読んで20ほど疑問点を見つけ、そのうちの3点に関して自分なりの意見を各々2000字でまとめてください。提出日や場所はいずれ指示しますのでそれに従ってください。

「文芸特殊研究Ⅱ」宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでください。テキストは特にこだわりません。読むだけでそうとう時間がかかりますが、とにかく挑戦してください。

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第3巻4巻5巻は「罪と罰」論、特に第4巻は手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に関して徹底して検証してあります。ただしこの巻は品切れ状態にあり、アマゾンなどでは高額になっていますので、定価3500円前後のものを入手するようにしてください。余談ですがこの第4巻はアマゾンで百万円で出品されたこともあります。

 

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わたしの著作で読んでもらいたいのは「文芸批評論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、「マンガ論」は「清水正ドストエフスキー論全集」第3巻、第4巻、第5巻、「文芸特殊研究Ⅱ」は「清水正ドストエフスキー論全集」第10巻です。

第3巻4巻5巻は「罪と罰」論、特に第4巻は手塚治虫のマンガ版「罪と罰」に関して徹底して検証してあります。ただしこの巻は品切れ状態にあり、アマゾンなどでは高額になっていますので、定価3500円前後のものを入手するようにしてください。余談ですがこの第4巻はアマゾンで百万円で出品されたこともあります。

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

「動物で読み解く「罪と罰」の深層」は江古田文学103号で連載7回完結。

 

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近況報告

江古田文学」103号が3月25日に刊行された。わたしの「動物で読み解く「罪と罰」の深層」は連載7回目。今号で連載を打ち切った。前にも書いたがこの連載原稿の続きの60枚をポメラ操作ミスで失い、少なからずガックリきている。少し時間をおいてからまた書きだそうと思っている。

本ブログでは103号に掲載した100枚のうち、最後の箇所を載せておく。今流行りの新型コロナを、ドストエフスキーが「罪と罰」でロジオン・ラスコーリニコフの悪夢の中で描いた「理性と意志を賦与された施毛虫」に重ね合わせると意義深い。この「施毛虫」は「精霊」とも言われており、これに感染したものは自分が絶対的に正しいと信じ、お互いに闘争し始める。やがて感染者は全世界に及び、人類は滅びてしまうという悪夢である。

ドストエフスキーは、それでも絶望的な幕引きを避けて、何人かの選ばれた者がこの厄から逃れたと記している。はたして人類は破滅しきってしまうのか、それともまだ希望はあるのか。ドストエフスキーは次のように書いている。

「火災が起こり、飢饉が始まった。何もかも、ありとあらゆるものが滅びていった。疾病はしだいに猖獗を加え、ますます蔓延していった。世界じゅうでこの厄をのがれたのはようやく四五人にすぎなかった。それは新しい人の族と新しい生活を創造し、地上を更新し、浄化すべき使命をおびた、選ばれたる純なる人々であった。しかし、だれひとりとして、どこにもそれらの人を見たものもなければ、彼らの言葉や声を聞いたものもなかった。」米川正夫訳。

ここで詳しいことは語らないが、ここに引用した箇所だけ読んでもドストエフスキーがいかに予言者的な恐るべき小説家であるかがわかるだろう。この際、特に若い人たちは真剣にドストエフスキーを読んだらいいと思う。ヒカルが「罪と罰」をどう読むか、たいへん興味がある。ヒカルが動画で「罪と罰」を取り上げたら、まさに奇跡的に読まれると思うのだが。

 

江古田文学」103号に掲載した論文の一部を再録。

なお「江古田文学」購読希望者は下記の江古田文学会にお申込みください。

〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1 日本大学芸術学部文芸学科内

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 ソーニャの部屋を俯瞰する
 ――二人の〈神〉の現出とペテルブルク――

清水正


 さて、ここでもう一度〈ソーニャの部屋〉を俯瞰的に見ることにしよう。
 ソーニャの部屋の壁を取り払ってしまえば、左側にカペルナウモフ夫妻と七人の子供たちが、そして右側に立ち聞きしていたスヴィドリガイロフが現れることになる。妻マルファを毒殺したのではないかと噂される淫蕩漢スヴィドリガイロフもまた間違いなく〈奇妙な人〉(странный человек)である。まさにソーニャの部屋は奇妙な人々の集合場所である。緑色に塗られた掘割に面した三階建ての建物の一室は一挙に意味ありげな神秘的な部屋に変貌する。ここでスヴィドリガイロフが〈ラザロの復活〉という前後未曾有の一大〈奇跡〉(чудо)の〈立会人〉(свидетель)であり、〈実際に奇跡を起こした人〉(чудотворец)であり、ラズミーヒンと同じく〈現世的な意味での神・善行を施す人〉(провидение)で、亡き妻マルファの〈幽霊〉(привидение)を観ることのできる男であったことを確認しておこう。まさにスヴィドリガイロフは際だって奇妙奇怪な男であり、〈怪物〉(чудо)である。はたしてこの男に並ぶような〈奇妙な人〉が存在するであろうか。わたしの脳裡にすぐに浮かんできたのは、ソーニャの傍らに顕れる〈幻=видение〉、すなわち〈キリスト〉である。
 ソーニャの信じている〈神〉(бог)は、彼女の傍らに顕れることはあっても、現実的な救済の手を差し伸べることはなかった。ヨハネ福音書に描かれたイエスは様々な奇跡を起こしているが、ソーニャの信じる神は沈黙し続ける神であり、ロジオンに言わせれば「何もしてくれない神」である。つまり、壁を取り払ったソーニャの部屋には、顕れるだけで何もしてくれない〈神〉(бог)とスヴィドリガイロフという〈現実的な奇跡を起こす人・神〉が居合わせていたことになる。スヴィドリガイロフが単なる奇跡の〈立会人〉にとどまらず、ソーニャを淫売稼業の泥沼から救い出し、カチェリーナの子供たちに救いの手を差し伸べたことは、まさに彼こそが望まれるべき〈神〉(провидение)に思える。
 二千年前には死者をも甦らせた神のひとり子イエス、しかしソーニャの傍らに〈幻=видение〉として顕れる〈キリスト〉は〈何もしてくれない神〉にとどまっている。福音書に描かれたイエスは、彼を信じる者にとっても、彼を迫害する者にとっても、きわめて〈奇妙な人〉であったことにかわりはないが、〈ラザロの復活〉朗読の場面においては、〈幻=キリスト〉よりもスヴィドリガイロフのほうがはるかに〈奇妙な人〉に見える。
 〈奇妙な人〉関連で付け加えておけば、スヴィドリガイロフはロジオンとの最後の会見の場で「ペテルブルグでは、歩きながらひとり言をいう人がたくさんあります。こりゃ半気ちがいの町ですよ。もしわが国にほんとうの科学があったら、医者も、法律家も、哲学者も、それぞれ自分の専門に従って、ペテルブルグを対象にきわめて貴重な研究をすることができたでしょうよ。ペテルブルグほど人間の心に陰うつ険峻な、奇怪な影響をあたえるところは、まずあまりありますまいよ」(533)と言っている。
 十八世紀、ロシアの近代化を促進するために、ピョートル大帝フィンランドの湿地帯に全ロシアから石を運んで建築した人工都市ペテルブルクは、ヨーロッパの諸学問を受け入れる窓であると同時に軍事要塞の役割も果たしていた。ピョートルのまさに西欧的な理性と意志によって建築された都市ペテルブルクは世界一美しい幻想的な都市であると同時に、官僚的な、人間性を疎外する人工都市でもあった。それは悠久の歴史を刻むロシアの自然性から乖離した、いびつな、不具的な近代都市であり、そこに生きる者の精神性を歪めずにはおれなかった。ドストエフスキーが初期作品で描き出した小役人――『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキン、『分身』のゴリャートキン、『プロハルチン氏』のプロハルチン、『弱い心』のワーシャ・シュムコフなど、精神の危機に陥らざるをえなかった人物たちの悲劇的運命がそのことを明確に示している。弱い心の持ち主や、空想癖のある人間にとって、ペテルブルクは実に危険な町だったということになる。
 つまりソーニャの部屋にだけ〈奇妙な人〉が集まっていたのではなく、ペテルブルクという都市に住むあらゆる人間が、程度の差はあれ奇妙、奇怪な側面を備えていたということである。それはロジオンがシベリアの監獄で見た悪夢の中にあらわれる〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉とも深く繋がっている。つまりペテルブルク全域に、この旋毛虫、すなわち感染するとただちに自分だけが正しいと思ってしまう微細な〈旋毛虫〉が蔓延していたということである。注意すべきは、この顕微鏡を覗かなければ見えない〈旋毛虫〉(трихина)が〈精霊〉(дух)であったことだろう。まさにペテルブルクはピョートル大帝にとり憑いた〈理性と意志を賦与された精霊〉(духи, одаренные умом и волей)によって建築され、十九世紀中葉にあってもペテルブルク全域にこの〈精霊〉が蔓延していたのである。

 

 

 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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 清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクで購読してください。https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

 清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

Youtuberヒカルに大いなる期待

近況報告

Youtuberヒカルに大いなる期待

前にYouTube革命について書いたが、新型コロナ蔓延で外出自粛が国家から要請されている今、ますますこの革命は加速度的に進むだろう。大学も教室に大勢の学生を集めての授業ができないので、オンライン授業が当たり前となっている。中田敦彦Youtube大学などは見本とすべき一つの授業スタイルと言えるだろう。現在注目すべきYoutuber

は少なからずいるが、わたしは中でもヒカルに最も大きな期待をかけている。ヒカルの斬新な企画力、実践力はすさまじいものがある。この度のロコンドとの連携でヒカルブランドのシューズ販売という企画は二日間で二億円を売り上げ、さらに二度目の企画では六時間で二億円を売り上げるという快挙である。頭のキレがよく、企画を的確に実践化していくそのスピード感がたまらない魅力となっている。今や相棒的な存在となっている大スター宮迫やロコンドの社長を巻き込んでの靴販売というエンターティンメントを奇跡的な規模で大成功に導いている。ヒカルは金の稼ぎ方と使い方をよく知っている。義理人情にもあつく、彼がアップする動画は観ていて気持ちがいい。ビジョン、企画力、実践力を伴ったヒカルのような政治家はこの国にはいないのか。のろのろ、ぐずぐず、まったく先の見通しをかいたアホみたいなころころ変わる政策を口にし、失敗に何らの責任も取らずに、政局時局を泳いでいるのが今の政治家の大半である。ヒカルのような有能な青年が政治経済に影響を与えるような存在になってほしいと思うのはわたしだけではあるまい。ヒカルの動画のとうてい読み切れないコメントを読めば、彼に期待するものが百万以上いることは間違いない。明確な国家ビジョンを持った政治家や財界人が出現しなければ、この日本に明るい未来が到来することはないだろう。

 池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

中田敦彦のYouTube大学「罪と罰」に一言。

近況報告

7日は行きつけの医院に出かけ、薬をもらってきた。午後四時前、患者は診察中の一人のみ。すぐに診察を終え、50日分の薬をもらってきた。非常事態宣言もあって街にひとは少ない。大学は五月一日からオンライン授業を開始するという。年配の非常勤講師も多く、戸惑ったひとも少なくないだろう。学科研究室の助手や助教の援助なくしては成り立たないかもしれない。

新型コロナに関しては多くの異なった情報が入り乱れていて、わたしのように二十時間以上も動画を観ている者にとっては、逆に真実が見えてこない。ニーチェの言う「事実はなく解釈あるのみ」である。新型コロナをチャイナの生物兵器と見る解釈があれば、日本とアメリカが仕掛けたのだという解釈もある。どちらも自分の主張が正しいという立場にたって動画を発信している。新型コロナは風邪の一種で大げさに騒ぎ立てることはないという者があり、政府の非常事態宣言自体が後手後手で甘すぎるという者がいる。動画をほとんど観ずにテレビ、新聞だけで情報を得ている者たちは、多様な情報に混乱することもなく、政府の自粛要請に素直に従っているのかもしれない。それにしても今日の日本がこれほどチャイナの影響下にあったのかと驚く。田中角栄の日中国交回復にまで遡れば、少しは今日の政治・経済状況が浮き彫りになるかも。日本は天安門事件のチャイナと国交を回復し、親日国の台湾を切り捨てたことを決して忘れてはなるまい。それにしても現安倍政権を批判する保守陣営のまとまりのなさもどうしようもない。お互いに罵詈雑言を発したり、同じような政策を提示しながらまったく歩み寄ろうとする姿勢がない。まさにこういう状況下にあっては女子の力が存分に発揮されなければなるまい。

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオク

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日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

先日、中田敦彦YouTube大学で「罪と罰」を取り上げていたのでさっそく観ることにした。中田氏の動画に関しては当ブログでも紹介しておいたが、とにかく人気のある評判のいい動画である。「罪と罰」動画は3月23日に公開され本日4月9日現在で視聴者数が75万を軽く突破している。この動画も中田氏のエンターティナーとしての才能を存分に発揮したものとなっている。ストーリイや人物たちを分かりやすく説明しているので、今までタイトルぐらいは知っていても読む機会のなかった者に読む気を起させることまちがいない。大長編小説を一時間で熱く語れるのはなかなかのものである。コメント欄を見ても好意的なものが多い。ところで、中田氏の語る「罪と罰」は原作と異なる箇所が少なからずある。彼は参考文献に「罪と罰 まんがで読破」を一冊のみあげている。日本で「罪と罰」を漫画化したマンガ家は手塚治虫をはじめとして汐見朝子、大島弓子岩下博美、峰岸ひろみ、落合尚之、漫F画太郎などがいる。それぞれ独自の解釈で再構築しているが、「まんがで読破」もまた大長編をコンパクトにまとめあげている。わたしはマンガ家たちの再構築をそれなりに楽しんで読んでいるが、手塚治虫のマンガ「罪と罰」に関していっさいの妥協なく1500枚を費やして批評した。興味のある方は「清水正ドストエフスキー論全集」第4巻と第5巻をお読みください。

中田氏の動画でまず気になったのは、彼は原作をどのテキストで読んだのかといった点であった。理由は「罪と罰」の重要人物の一人であるスヴィドリガイロフをスビドリガイノフと表記しまたそのように発音していたからである。「罪と罰」の愛読者でスヴィドリガイロフの名前を間違える者はいない。「まんがで読破」では「スビドリガイロフ」でヴィがビとなっているが、これはまあ間違いとは言えない。ドストエフスキーは名前一つに様々な象徴的意味を潜めた小説家であり、ささいな間違いとしてすますわけにはいかない。

もう一つ気になったのは、動画の最後のほうで「口伝えでしゃべった」と重ねて強調していたことである。「罪と罰」全編をすべて口伝えでしゃべることができたら、そりゃあ間違いなく大天才ということになろう。中田氏はこういった作家に関する情報をどこで得たのであろうか。わたしは最初聞き間違いかと思って繰り返し観たが、中田氏は確かに「罪と罰」全編が口伝えでしゃべったものと思い込んでいるらしい。ドストエフスキーが後に第二の妻となる速記者に口述したものをもとに書き上げたのは「賭博者」であって「罪と罰」ではない。詳しいことを知りたければアンナの日記や、ドストエフスキー研究家として定評のあるグロスマンの著作「ドストエフスキイ」北垣信行訳・筑摩書房を読めばいい。

それにしても中田氏の動画は百万単位の視聴者があり、わたしのブログの読者は百人そこそこである。わらうしかない差であるが、べつに気にもしていない。ついでに大川隆法氏の「ドストエフスキーの霊言」についても一言書いておこう。霊言とはおそれいった、おわらいにもならない。ドストエフスキーの霊魂と大川氏のそれになんの共通項も見いだせない。ドストエフスキーの大いなるディオニュソス的精神世界、イヴァン・カラマーゾフに体現されたわが魂の震えをもって神に抗議するヨブ的悲憤、人類の全苦悩の前にひれ伏すことのできる殺人者ラスコーリニコフの分裂と苦悶など、「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」に魂を慄かせた読者には、大川氏の霊言は全く異質のものを感じるだけである。