「同時代音頭」創刊号の紹介

 

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近況報告

「同時代音頭」創刊号の紹介

今年四月から日芸の専任教授職を離れ、非常勤講師として週二回ほど江古田校舎に通っている。一年ほどかけて研究室の本を片付けたが、未だに終わっていない。本を整理しているとすっかり忘れていたような本や雑誌が書棚の奥から出てくる。今回はそのうちの一冊を紹介したい。昭和56年6月に刊行された「同時代音頭」創刊号である。この年はドストエフスキーの没後100年にあたる。この号に小柳安夫氏が「同時代文学としての『分身』」を載せている。この論文はわたしの「意識空間内分裂者による『分身』解釈」についての先鋭的な論文でもある。未だこれを超えるものはないと言ってもいいだろう。わたしが助手の頃、小柳氏はまだ学生であったが、彼は江古田文学の学生編集者としても活躍していた。研究室の本を整理していて、この雑誌がひょっこり顔を出したので段ボール箱には詰めず、カバンに入れて持ち帰った。再来年の2021年はドストエフスキーの生誕200年である。今執筆しているものなどをまとめ、「清水正ドストエフスキー論全集」第11巻を刊行しようと考えている。

 

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「同時代音頭」創刊号奥付

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この本はわたしが25歳の時に私家版で刊行したもの。カバー表紙絵はわたしが描いたもの。限定一部。石油ショックで紙代が高騰。当時100万円もかけて刊行したものだけに、この本に対する思いはいろいろある。大学3年4年時にかけて書いたものを収録。『分身』解釈は半年ほど何も書けない状態を挟んで書き上げた。電車の中でノートをひろげ、書き続けることでスランプを脱した。ゴリャートンの狂気を最も身近に感じていた二年間であった。この当時、江古田にこんなに多くのカラスが生息しているのかと思うほど、いつもカラスの鳴き声が聞こえていた。サブタイトルの「狂気と正気の狭間で」はハッタリではない。若いころにドストエフスキーを読むということは精神の危険な領域に呑み込まれかねないのである。「地下生活者の手記」を読んでから53年の歳月が過ぎ去った。今『罪と罰』について書き進めているが、こんなに面白い作品はない。日々発見がある。恐るべき作品である。19世紀ロシア文学は人類の宝である。わたしはかねてより「ドストエフスキーを読まずして文学をかたることなかれ」と言ってきたが、ちかごろの政治・経済分野での評論家には「ドストエフスキーを読まずして政治・経済を語るなかれ」と言いたい。文学、哲学を置き去りにした国家はやがて滅びる。人間の抱え込んでいる闇の深さを凝視することなく、浅薄な正義論を振りまいても詮方ない。人間探求──特に若い人たちには、妥協なき人間研究をすすめてもらいたい。自分の頭と心を使って考え抜くこと。その先に明るい未来が待っている、などという浅薄なことを〈文学〉や〈芸術〉は言わない。

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清水正の「意識空間内分裂者による『分身』解釈」は丸二年間をかけて執筆。1973年12月に書き終えた。『清水正ドストエフスキー論全集』第9巻に収録してある。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

https://youtu.be/RXJl-fpeoUQ

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

動物で読み解く『罪と罰』 の深層の執筆を続けている。

近況報告

動物で読み解く『罪と罰』 の深層の執筆を続けている。

今年中に書き終えるかどうか。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

わたしはヒカルの実業家としての才能と男気に惚れている。

24日に「中田敦彦You Tube大学」について書いたが、今回はヒカルについて。昨日ヒカルの動画『「はい、ミニトマト100万円ね!」とノリで言う八百屋のおっちゃんにガチで100万円渡したら面白すぎたww』を観た。内容も面白かったが、八百屋の若い二人が「yao TUBE」を開設していて、ヒカルにコラボをお願い、その条件が3万の登録者越えということであった。それまで「yao TUBE」の登録者は180人であった。はたしてどこまでのびるのか、楽しみにしていたが、あっという間に3万を越え、本日午後五時の時点で5万8千人を越えている。人気ユーチューバー・ヒカルの影響力の大きさを改めて感じた。ヒカルのチャンネル登録者は340万人、「ミニトマト100万円ね」の動画視聴回数は205万を突破している。立花孝志参議院議員の動画もそうだが、まさに現代はユーチューブ革命の時代に突入していると言える。

https://www.youtube.com/watch?v=1IGKGY5TN7s&t=183s

 「yao TUBE」も観たが、ヒカルと同世代の若い二人の野菜動画もさわやかな印象を持った。日本の農業に従事する人々を訪ね、その現場を取材することは、若い人たちに農業の面白さとやりがいを発見させることになるだろう。こういった動画は真に日本に革命をもたらす力となる。言葉だけで、大きな声で、改革を叫ぶよりは、こういった一見地味な、地に足の着いた活動が説得力を持つ。わたしは「yao TUBE」のふたりを心から応援したく思う。またヒカルはまれにみる頭の切れる男で、きっぷもいいし、男気のある青年で、金の有効な使い方を知っている。金を貯めるだけ貯めて、有効に回すことのできない愚かな金持ちは単なる愚か者である。わたしはヒカルの実業家としての才能と男気に惚れている。「yao TUBE」とのコラボは現代の日本に一筋の光明を差し込む一つの大いなるきっかけとなるに違いない。

https://www.youtube.com/watch?v=fOUBY3uAdtg

「中田敦彦のYou Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

中田敦彦You Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

https://www.youtube.com/watch?v=vi784xrdH5w

本日、「中田敦彦You Tube大学」を発見した。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の解説前編後編を観たが、なかなか面白かった。前期「雑誌研究」では賢治の「オツベルと象」「どんぐりと山猫」などを講義したが、夏休み明けではすぐに「銀河鉄道の夜」を取り上げる予定である。受講生はぜひこの中田氏の解説を観ておいてほしい。

文学の交差点(連載41)■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載41)

清水正

■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する 

    わたしは今回、『源氏物語』における〈描かれざる場面〉(「輝く日の宮」)に注目し、ドストエフスキーの文学作品、特に『罪と罰』における〈描かれざる場面〉に改めて照明を当てようと思った。すでに『罪と罰』に関しては膨大な批評を展開しているので重複するのを承知の上で考察を進めている。今まで指摘したことを簡単にまとめれば、『罪と罰』において〈描かれざる場面〉は非常に多い。 題名の〈преступление и наказание)の〈преступление〉(内田魯庵は英訳〈crime〉を〈罪〉と日本語訳した)は本来〈犯罪〉(踏み越え)を意味する。ドストエフスキーは主人公ロジオンの〈踏み越え〉(高利貸しアリョーナ及びリザヴェータ殺し)に関しては、実に丁寧にリアルに描いた。が、ソーニャの〈踏み越え〉に関しては、まさに分かる人にしか分からないような巧妙な暗示的象徴的な描法を駆使している。このドストエフスキーの描法が理解できなければ、読者はマルメラードフの告白の表層をそのままなぞるほかはない。イワン閣下は慈悲深い〈生神様〉として受け入れられ、イワン閣下の名と父称をひっくり返しただけの商人アファナーシイもまたプリヘーリヤが書いたように〈いい人〉として理解されてしまう。

 ソーニャの〈踏み越え〉は直接的にリアルに描かれることはなかったので、百年以上にわたってその実態は闇のなかに据え置かれたままであった。しかしソーニャの〈踏み越え〉の実態が分かれば、マルメラードフの告白の中に潜められたロジオンの母親プリヘーリヤの〈踏み越え〉(プリヘーリヤとアファナーシイの肉体関係)の実態も浮かびあがってくることになる。すでに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないマルメラードフのプロポーズを受けたこと)ていたカチェリーナがソーニャに〈踏み越え〉を強要していたように、すでに〈踏み越え〉ていたプリヘーリヤが娘ドゥーニャに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないルージンとの結婚)を要請したということになる。

 母からの長い手紙を読んだロジオンが、はたしてブリヘーリヤの〈踏み越え〉の秘密を覚ることができたかどうか。表層テキストを読む限り、こういった微妙な点に関してはロジオンは知らん振りを決め込んでいる。作者が秘密にしていることを人物がばらすことはない。これは別にドストエフスキーに限ったことではない。 

文学の交差点(連載40)■描かないことで描く手法

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載40)

清水正

■描かないことで描く手法

 小説を読むという行為は、もちろん読む対象であるテキストが存在しなければならないが、テキストが存在していても読む者がいなければ存在しないも同然である。さらにテキストは読者の数だけの感想や解釈によって作品化される。またわたしのように何度も何十回も同じ小説(たとえば『罪と罰』)を読む読者にとっては、その〈解釈〉も多様であり、常に変容していく。

 二十歳の頃、わたしは『罪と罰』を読んでソーニャの淫売稼業の実態になぞまったく関心がなかった。ソーニャはあくまでも信仰者、ロジオンに圧倒的な影響力を備えた純潔無垢な聖女として存在していた。ロジオンは実際に二人の女性を斧で叩き殺した残虐非情な殺人者であるにも関わらず、人類の全苦悩の前にひれ伏す純粋な求道者的青年と見なしていた。二十歳のわたしはロジオンを冷静に客観的に見て、彼の卑劣漢の側面を徹底的に暴くような視点は持ち合わせていなかった。当時のわたしはロジオンに親近性を感じていた、というより「ロジオンはわたしだ」ぐらいの一体感を持っていた。ところが、それから半世紀、今のわたしはロジオンにそれほど親近性を抱かなくなった。というよりか、ロジオンとの異質性をますます強く感じるようになった。

文学の交差点(連載39)○描かれないこと

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

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文学の交差点(連載39)

清水正

○描かれないこと──実生活の細部

罪と罰』を何十年にわたって読み続けていても、分からないことが多い。余りにも形而上学的次元で読んでしまうので、ロジオンの犯罪哲学や非凡人思想、思弁と信仰の問題などについて考えてしまう。ところが、ロジオンやソーニャの実生活の細部についてはほとんどなにも知らないことに気づいて唖然とする。

 ドストエフスキーは『罪と罰』においてロジオンの十三日間に関してかなり詳しく現在進行形でカメラを作動させている。読者はロジオンの住んでいる場所、行動および心理状態に関して逐一報告される。どのようにして老婆アリョーナとリザヴェータを斧で殺害したか。盗んだ金品をどこに隠したか。主要人物であるアリョーナ婆さん、マルメラードフ、ラズミーヒン、ソーニャ、スヴィドリガイロフ、ポルフィーリイ予審判事、ザメートフ、女中ナターシャ、イリヤ・ペトローヴィチ警察副所長、ニコジム・フォミッチ警察所長、ルージン、レベジャートニコフなどと、どこでどのような会話を交わしたか。読者はこれらを読んでたいていのことは描かれていると思いこんでしまう。

 わたしが最もショックを感じたのは、娼婦ソーニャはいったいどのような下着を身につけていたのだろうか、と考えた時であった。ドストエフスキーはロジオンやソーニャの身につけている服装に関してかなり丁寧に記しているといってもいい。が、下着に関してはいっさい触れていない。ソーニャの淫売稼業の実態に関してと同様に、当時の女性が身につけていた(あるいは、身につけていなかった)下着に関しては想像するしかない。

 ロジオンの食事に関しては多少記されているが、洗面、トイレに関しては全く記されていない。ロジオンは起きて顔を洗ったり歯を磨いたりしたのか。トイレはどうだったのか。描かれた限りで読めば、ロジオンは一回も顔を洗っていないし、トイレにも行っていない。十三日間、ロジオンは大小便の一回もしていないことになる。ふつうに考えればこんなことはあり得ないので、あえて作者はそういったことを記さなかったということになろう。が、人間を総体的に理解しようとすれば、一見些末に思われるかもしれない洗面、トイレを軽視することはできないだろう。

 わたしはドストエフスキーを憑かれるように読んでいた二十歳前後の頃、食事はほとんどできなかったし、神経性の慢性下痢症状に悩まされていた。朝昼晩しっかりご飯を食べ、七、八時間ぐっすり眠り、心身ともに健康状態でドストエフスキーを読むなどということはまったく考えられなかった。だからロジオンが食事に関して特別の関心を示していないことはよく理解できる。が、便秘なのか下痢なのか、作者が触れていないので分かりようがない。

 そもそもロジオンはプラスコーヴィヤの屋根裏部屋に下宿していたわけだが、このアパートの何処に、どのようなトイレがあったのかが分からない。わたしは四十年前、初めて『罪と罰』の舞台となったペテルブルクを訪ねたが、駅近くの公衆トイレに入って驚いた。大便するところに扉はなく、尻をふく紙など置いてなかった。空港のトイレに紙は置いてあったが、それは藁半紙のように堅くてとうていデリケートな尻の持ち主に使えるものではなかった。

 いずれにしても、読者は淫売婦ソーニャが身につけていた下着も分からない、買春の値段も分からない、避妊や病気対策も分からない、妊娠した場合の処置(堕胎)も分からない。ついでに言えば、しょっちゅう孕んでいたというリザヴェータに堕胎や流産の経験があったのかなかったのか、いったい何人の子供がいて、その子供たちはどこでどのように育てられていたのか、まったく分からない。作者はロジオンの妹ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家の家庭教師として雇われていたことを記しているが、肝心の子供たちに関してはいっさい報告しない。作者が、子供たちの肖像が読者に分かるように描いているのはカチェリーナの連れ子三人だけである。カペルナウモフ夫妻の子供も人数が記されているだけで、その具体的な肖像は描かれていない。