随想 空即空(連載202)

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com

 

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

 

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 #ドストエフスキー清水正ブログ# 

 

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

随想 空即空(連載202)

清水正  

 

 精神の自由を尊重する者にとって神に帰依する事は自由からの排斥を意味する。自由人にとって神に帰依することは、神に隷属する事と同じである。しかもその神は矛盾に充ちている。矛盾に充ちた神に対して無批判に隷属する事は自由人にとって耐え難い屈辱である。自由人は自らの精神世界を何ものにもとらわれず、文字通り自由に探検し尽くしたいと思っている。自由な思索人はその過程において思索の限界を感じるであろう。だが、だからといって神の前に跪拝するわけにはいかない。

 ここでロジオン・ラスコーリニコフを想起したらいい。ロジオンの弁証法は本来限りなく続くのであって、弁証法が神に収斂されることはない。が、『罪と罰』の作者ドストエフスキーはロジオンの弁証法を神の前に無力化した。作者はエピローグで「弁証法の代わりに生活が到来した」と書いた。〈生活〉とは〈жизнь〉、すなわちキリストの言う〈命〉である。『罪と罰』において、思弁・弁証法(диалектика)は命(жизнь)に取って代わったが、読者のうちにはこれを断固として拒否する者もある。そのうちの一人がわたしだが、わたしは『罪と罰』を初めて読んでから今日まで、ロジオンの弁証法は生き続けていると思っている。ロジオンのдиалектикаは作者のキリスト教的意図によってさえ、そうそう簡単には瓦解しない強靱さを備えている。わたしはソーニャとロジオンの新生活を具体的にイメージすることができない。ロジオンの弁証法は二人の女の頭上に斧を振り下ろすという〈試み〉(犯罪=преступление)だけによって乗り越えられるものではない。ロジオンは八年後、新たなる〈試み〉に出合うことになるはずである。それはシベリアで弁証法の代わりに〈命〉を獲得したはずのロジオンの、新しい物語である。この〈新しい物語〉を『白痴』や『悪霊』や『未成年』や『カラマーゾフの兄弟』に当てはめる事はできない。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。