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清水正・画
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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)
随想 空即空(連載202)
精神の自由を尊重する者にとって神に帰依する事は自由からの排斥を意味する。自由人にとって神に帰依することは、神に隷属する事と同じである。しかもその神は矛盾に充ちている。矛盾に充ちた神に対して無批判に隷属する事は自由人にとって耐え難い屈辱である。自由人は自らの精神世界を何ものにもとらわれず、文字通り自由に探検し尽くしたいと思っている。自由な思索人はその過程において思索の限界を感じるであろう。だが、だからといって神の前に跪拝するわけにはいかない。
ここでロジオン・ラスコーリニコフを想起したらいい。ロジオンの弁証法は本来限りなく続くのであって、弁証法が神に収斂されることはない。が、『罪と罰』の作者ドストエフスキーはロジオンの弁証法を神の前に無力化した。作者はエピローグで「弁証法の代わりに生活が到来した」と書いた。〈生活〉とは〈жизнь〉、すなわちキリストの言う〈命〉である。『罪と罰』において、思弁・弁証法(диалектика)は命(жизнь)に取って代わったが、読者のうちにはこれを断固として拒否する者もある。そのうちの一人がわたしだが、わたしは『罪と罰』を初めて読んでから今日まで、ロジオンの弁証法は生き続けていると思っている。ロジオンのдиалектикаは作者のキリスト教的意図によってさえ、そうそう簡単には瓦解しない強靱さを備えている。わたしはソーニャとロジオンの新生活を具体的にイメージすることができない。ロジオンの弁証法は二人の女の頭上に斧を振り下ろすという〈試み〉(犯罪=преступление)だけによって乗り越えられるものではない。ロジオンは八年後、新たなる〈試み〉に出合うことになるはずである。それはシベリアで弁証法の代わりに〈命〉を獲得したはずのロジオンの、新しい物語である。この〈新しい物語〉を『白痴』や『悪霊』や『未成年』や『カラマーゾフの兄弟』に当てはめる事はできない。
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