断想・幸徳秋水とドストエフスキー(連載2)

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断想・幸徳秋水ドストエフスキー(連載2)

幸徳秋水訳「悪魔」の謎を解く

清水正

 

 幸徳秋水に興味を持った一つの理由は『基督抹殺論』を読んだからである。これは岩波文庫で二〇二二年一月二十一日に読み終えた。基督抹殺論とは題名からして大胆で物騒だが、一読して納得するところ多かった。この際、代表的な著作だけでも読んでおこうと、スマホで検索すると、ヤフオク幸徳秋水全集が出品されていたので、早速入札して落札した。目次を見ていると第六巻に「悪魔 ドストエフスキー (翻訳)……年月不詳……510」とある。ドストエフスキーに「悪魔」などというタイトルの作品はない、これはいったいどういうことか、いぶかりながらその頁を開くことにした。確かにタイトルに「悪魔」とあり、「ドストエフスキー 幸徳秋水訳」とある。これだけを見れば、「悪魔」はドストエフスキーの作品であり、幸徳秋水がそれを訳したことになる。この巻の解説を書いている森長英三郎は【もう一つの翻訳であるドストエフスキー「悪魔」は、「文芸戦線」第六巻第二号(昭和四年)にはじめて発表されたものであるが、ゴルキー「同志よ」と同時代の訳であると推定してこの巻に収めた】とだけしか書いていない。

 まずは〈訳者〉による〈但し書き〉を見てみよう。

 

   本篇は面白い由緒を有つて居る、夫れは露都で有名な彼得保羅監獄中の教誨所の壁上に、此全文が鉛筆で記るされてあつたことである、同監獄の寺院、即ち教誨所は、多数の狭くるしい陰気な監房に仕切られて、其れが孰れも祭壇の方に向つた一方口で、前に金網が張てある、囚人は僅に此金網を透して、教誨所を仰ぎ視、且つ其説教を聴き得るのみで、左右の房の囚人同志とは相見ることが出来ぬやうになつて居る、そして獄吏が房内に這入ることは極めて稀れなので、此の奇なる手記のあることも数十年間知られずに過ぎたのである。然るに或時の修繕に際して偶然発見され、其筆蹟と末尾の日付けとに依つて、愈々ドストエフスキー氏が一千八百四十九年の入獄中に書き残したものなることが明白となり、上官は命じて其上に硝子を掩はせ、保存させることゝなつたさうである、而も近頃まで獄吏の外は此を見たものは無つたのであるが、遂にエフ・ナロドニー(F Narodny)なる一政治犯人の手に依つて、世界に弘布せらるゝに至った、此人も亦多年同じ監獄に禁錮せらるゝ中、本篇を一読して、長く之を埋没するに忍びず、種々苦心の末、窃かに全文を自分のシヤツの袖に写し取り、放免の後ち世に公けにしたものである、斯くて半世紀以上も監房の暗黒裡に埋められて居た文豪の片身は、今や世界文壇の珍品の一と数へらるゝを得たのである、芸術としての価値如何は、門外漢たる僕には分らぬが、此由緒だけでも訳出の理由があらうと思ふ。

                         訳者

 

 全集に掲載されたものだけを読むと、作品「悪魔」成立に関する端書きを誰が書いたのか分からない。うっかり読んでいると〈訳者〉幸徳秋水が書いたのではないかと思えてしまう。が、幸徳秋水がアレクセーエフ半月堡に拘留されていたドストエフスキーについて詳しい事情を知っていたとは思えない。直感的に思うのは、この〈端書き〉は幸徳秋水とは別の人が記したということ、つまり「悪魔」はドストエフスキーの作ではなく、この作をドストエフスキーの作であるかのように偽装した本当の作者がいたということである。

 もし、「悪魔」が実際にドストエフスキーが書いたものであるなら、それが発見された時点で世界中のドストエフスキー研究者や愛好者に衝撃を与えたはずである。日本はドストエフスキー文学の翻訳紹介においては世界で最も盛んであり、研究者も多い。日本の代表的なドストエフスキー翻訳者の米川正夫、小沼文彦、江川卓の著作にも獄中で書かれた「悪魔」に関する記事はない。ドストエフスキーがペトラシェフスキー事件に連座した廉で逮捕、監禁、取り調べを受けた事柄に関しては原卓也・小泉猛編訳『ドストエフスキーとペトラシェフスキー事件』(一九七一年十一月 集英社)とN・F・ベリチコフ編・中村健之介編訳『ドストエフスキー裁判』(一九九三年 北海道大学図書刊行会)が刊行されているが、その中にも「悪魔」に関する記事はない。従って、作品「悪魔」と〈端書き〉は幸徳秋水以外の誰かが書いたものを、幸徳秋水が翻訳して「文芸戦線」(第六巻第二号)に発表したものと推測できる【全集の解説には初出誌が「文芸戦録」となっているがこれは誤植である】。

 

 ネットで「幸徳秋水ドストエフスキー」を検索すると、山泉進(明治大学名誉教授)の「幸徳秋水ドストエフスキー」(高知県立文学館ニュース「藤並の森」vol.95  二〇二一年十一月)が出てきた。山泉氏は幸徳秋水の「悪魔」をとりあげ、端書きと内容を簡潔に紹介した後【不思議なことに、現在、小説「悪魔」は研究者たちによってドストエフスキーの作品であるとは認められていない。ということは、秋水による「贋作」ということになるが、この謎を解ける人がどこかにいないだろうか】と結んでいる。

 わたしは今回、はじめて幸徳秋水に「悪魔」の翻訳があることを知り、興味を持ったのでいろいろ文献を漁ることにしたが、その中に黒川創の『暗殺者たち』(二〇一三年 新潮社)があった。これは小説の形を採っているが、最初の見出しにゴチック体で【演題は「ドストエフスキー大逆事件」だが、この作家は、夏目漱石、そして安重根について話し出す】とある。わたしはまさか小説『暗殺者たち』がドストエフスキー大逆事件について触れているとは思わなかったので、さっそく読み始めた。

 するとまったく予期しなかったが、ドストエフスキーの「悪魔」に関して実に詳細に考察している箇所にでくわした。不勉強と言われればそれまでの話だが、今まで〈幸徳秋水ドストエフスキー〉という視点がなかったので、発見が遅れてしまったということである。

 

 黒川創がまず第一に取り上げるの幸徳秋水訳「悪魔」ではなく、大石誠之助訳「僧侶と悪魔」である。大石は大逆事件で逮捕、処刑された人物であるが、一九一〇年二月から「サンセット」という八頁だての月刊雑誌を刊行し、その三月号にドストエフスキーの作と言われる「僧侶と悪魔」を訳している。因みに、この翻訳は大石誠之助全集2(一九八二年八月 弘隆社)に収録されている。

 黒川創は「僧侶と悪魔」を次のように要領よくまとめている。

 

  題名通り、正教教会の僧侶と悪魔、両者のあいだの対話によって成るものです。

  教会の豪華な祭壇の上に立ち、きらびやかな法衣をまとった僧侶が、貧しげな労働者や農民を前に語ります。

  ――もっと献物を教会に納めよ。強権に服従せよ。地上の権門に反抗するなかれ。神の言葉にそむくことが、どれほど罪であるを知っているか? そう、悪魔が汝らを迷わせて、霊魂を試そうとしているのだ……。

  こんな説教を僧侶が教会の壇上でしているとき、悪魔が、近くの路上を通りかかる。そして、自分の名前を僧侶が語るのを聞きとがめ、教会の窓から、その様子を覗くのです。やがて、僧侶がそこから出てくるのを悪魔は引っ捕らえ、つるし上げます。

 

 《こりゃ、小さい肥った教父! 汝は何故恐ろしい地獄の苦しみなどを描き出して、こんな憐れな迷うた人々を誑すのか? 汝は彼等がこの世の生活で既に地獄の呵責を受けている事を知らないか? 現に汝だの国家の強権というものは、地上に於けるこの己れの――即ち悪魔の――代表者だという事を知らないか? 汝が彼等を脅す道具にする地獄の苦痛は、実際汝が作ったものではないか? 何? わからない? それじゃあ己れが知らしてやるから、己れについて来い!」》

 

  そう言って、悪魔は僧侶の襟首をつかんで、労働者が炎熱のなかで働く鋳鉄所へ、農民が飢えと鞭に追い使われる畑へ、寒さと悪臭にみちている彼らの住かへと、連れまわしていくのです。

 

 《「そうさ、これが真実の地獄だ。……」》

 

  そうやって終わるのですが、この小説は、末尾に、んな但し書きを加えます。

 

 《この話は、自分が教誨師の説教を聞いている間に、ふと心に浮んで来たので、今これを監房の壁に書きつける。

   一八四九年十二月十三日

                            一囚徒 》

 

 幸徳秋水訳には先に引用したように、小説の前に〈端書き〉を書いている。大石誠之助訳ではどうなっているのか。まずは全集で確認してみることにする。そこには次のような〈端書き〉が小説の前に書かれている。

 

  此スケ〔ツ〕チは「貧しき民」と「罪と罰」の二著によつて文名を揚げたドストエウスキーが、政事犯のために要塞の禁獄に投れられた時、監房の壁に書きつけたものである。(249)

 

 明らかに幸徳秋水訳のそれとは異なっている。いったい〈端書き〉は誰が書いたのか。

 

 黒川創は先に引用した箇所の前に次のように書いている。

 

  一九一〇年に入ると、その二月から、紀州・新宮の大石誠之助は「サンセット」という月刊の文芸雑誌を地元の親しい牧師と二人で出しはじめます。タブロイド版で、八ページだて、つまり、新聞のような形式です。大石が特に力を注いだのは、ロシア語、ドイツ語、また、ユダヤ人作家によってイディッシュ語で書かれたとされる海外短編文学の翻訳です。いずれも、英語版からの重訳ということでしょう。

  四月発行の「サンセット」第三号で、彼は、ドストエフスキー「僧侶と悪魔」という作品を訳しています。(101)

 

  大石誠之介訳の「僧侶と悪魔」が、彼の出していた「サンセット」第三号に掲載されていたことは分かった。問題は原文である。黒川創は次のように書いている。

 

  米国のアナキズム活動家エマ・ゴールドマンらが出していた「マザー・アース」という雑誌があります。この「マザー・アース」一九一〇年一月号に、ドストエフスキー作“The Priest and the Devil”が載っています。つまり、大石誠之助は、これを英語から日本語に翻訳し、「僧侶と悪魔」という表題で「サンセット」第三号に掲載したんでしょう。大石は、この雑誌を船便で米国から取り寄せ、定期購読していました。(104~105)

 

 これで「僧侶と悪魔」の原文と掲載誌が判明したことになる。次に問題となるのは“The Priest and the Devil”を誰が書いたかのかということである。黒川創は次のように書いている。

 

  手がかりは、どうやら「マザー・アース」編集の中心人物、エマ・ゴールドマンその人の著作のなかにありました。彼女は、この翌年、一九一一年初めに Anarchism and Other Essays という著書を刊行しています。そして、この自著のなかに、先の“The Priest and the Devil”のあらましを収めて、こんなふうに述べています。――この物語は、半世紀前の暗黒ロシアで、もっとも恐れられた牢獄の壁に書かれた。とはいえ、現在も、とりわけ米国の刑務所においては、事は変わっていないのだ――。  ふと、気づきました。ひょつとしたら、まさに彼女こそが、ここでのドストエフスキーなのではないか、ということに。つまり、彼女がドストエフスキーの名をかたって“The Priest and the Devil”を創作したのではないかということです。エマ・ゴールドマン自身も、暗殺未遂事件の共犯者として捕らえられ、獄中生活を送ったことがありました。(中略)だとすれば、ドストエフスキー作とされる“The Priest and the Devil”は、この英語のヴァージョンこそがオリジナルなのであって、ロシア語の原文などはどこにも存在していない、ということになるでしょう。つまり、これは、言うならば、彼女によるドストエフスキーの代作なのだ、ということです。そして、これを実行に移す資格、というより権利、いや、むしろ、やりとげる務めが自分にはあると、堅く彼女は自負してきたようなふしがあるのでした。(105~106)

 

 『暗殺者たち』は創作の形を採っているが、読む限りかなり実証的事実をおさえており、説得力がある。大石誠之介も幸徳秋水も“The Priest and the Devil”をドストエフスキーの作品として疑わずに訳していたが、本当の作者は掲載誌「マザー・アース」の有力編集者エマ・ゴールドマンその人だという指摘は説得性が高い。

 「僧侶と悪魔」を収録した『大石誠之助全集2』にも、「悪魔」を収録した『幸徳秋水全集』第六巻にも、原文や作者に関する解説はまったくない。「悪魔」を載せた「文藝戦線」(一九二九年二月)には編集部から「本稿は、堺利彦氏の所蔵されてゐたものを本誌へ発表のはこびになつたものである。/本誌がこれを掲載するに致つたのは、単なる懐古的な……骨唐を愛するやうな興味からではなく、これを読むに際して、種々教へられるところの多いことを思つてである」云々と書かれているが、原文や作者に関する言及はない。ということで、大石誠之助訳「僧侶と悪魔」、幸徳秋水訳「悪魔」の原文と作者に関する説得力ある指摘は黒川創の小説『暗殺者たち』が最初ということになる。

 

 黒川創が“The Priest and the Devil”を掲載した「マザー・アース」(一九一〇年一月号)をどこでどのように入手したかは分からないが、今は便利な世の中になったものでネットで検索するとすぐに「マザー・アース→volume4,number11→THE PRIEST AND THE DEVIL by FEDOR DOSTOEVSKY.」が出てくる。これを見るとタイトルは「THE PRIEST AND THE DEVIL By FEDOR DOSTOYEVSKY.」で、大石誠之助が文頭に置いた〈端書き〉は、作品「僧侶と悪魔」の文中にあることが分かる。大石は「**** Fedor Dostoyevsky achieved fame as the author of two of the most powerful psychical studies ever penned: "Poor Folk" and "Crime and Punishment," both of which have been translated into most European languages. During his incarceration, for political reasons, in the terrible fortress of SS. Peter and Paul—an imprisonment which ruined his constitution and caused his early death—he wrote the following sketch upon the wall of his cell.」をかなり簡略化して訳している。また幸徳秋水が作品「悪魔」の前に置いた〈端書き〉は原文を元に彼自身の注釈を加えていることが分かる。

 以上で、大石誠之介訳「僧侶と悪魔」、幸徳秋水訳「悪魔」に関する実証的な側面は解明されたということになる。黒川創の『暗殺者たち』は小説ということで、ドストエフスキー研究家の注目をひかなかったのかも知れないが、幸徳秋水研究において重要な発見と考察があったことは特記しておく必要があろう。

 

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表紙

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目次

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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韓国語訳『ウラ読みドストエフスキー』はイーウンジュの翻訳である。イーウンジュはわたしの教え子で拙著『宮崎駿を読む』の翻訳者でもある。現在、ソウルで著作活動に励んでいる。

 

「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
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https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館での「松原寛と日藝百年」の展示会は無事に終了致しました。 

 

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