此経啓助「理念(テクスト)と現実(コンテクスト) 」 連載2

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日野日出志のマンガ「蔵六の奇病」に関する授業の一部。 

https://www.youtube.com/watch?v=a67lpJ72kK8

 

 

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清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅──松原寛とドストエフスキー──』D文学研究会星雲社発売)は来年二月には刊行する予定だが、各執筆者の掲載原稿の一部を何回かにわたって本ブログで紹介することにした。興味と関心を持った方はぜひ購読してください。

理念(テクスト)と現実(コンテクスト)

――松原寛著『親鸞の哲学』を読む―― 連載2

此経啓助(元日大芸術学部文芸学科教授)

 

 鎌倉時代の代表的な仏教者の一人である親鸞は、現代日本人にもよく親しまれた存在です。しかしながら、私たちが親鸞についてよく知っているかと問えば、ノーでしょう。仏教にまつわる諺に、「知らぬが仏、知るが煩悩」というものがあります。ものごとの真実を知らないほうが苦しまず、平安な心でいられる、といった意味の諺です。とくに親鸞の哲学的な言葉には、そうした傾向が見られます。

 大澤絢子著『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩選書)で、著者は私たちが親鸞に何かしらのイメージを抱いている理由についてこう説明しています。

 「私たちは親鸞のことをよく知らなくても、彼について何かしらイメージすることができる。例えばそれは、浄土真宗を開いた祖としての親鸞であったり、僧侶でありながら妻帯した親鸞であったり、『歎異抄』の親鸞であったり、民衆とともに歩んだ親鸞であったりすることだろう。これらは歴史上の親鸞とは別の、人々にイメージされた親鸞である。そうした親鸞にまつわるイメージの総体(親鸞像)を作り上げたのは、浄土信仰を信仰する者だけでなく、歴史家や文学者、思想家、哲学者、研究者そしてその他多くの日本人である」

 とりわけ大正時代の親鸞ブームが「イメージの総体(親鸞像)」作りに貢献したといっていいでしょう。松原先生はこうした時代を背景にして先生自身の親鸞像を育んで行かれたと想像します。とくに親鸞の哲学的な言葉(思想)に強い関心を抱いて、後年それを松原哲学の核心に据えた『親鸞の哲学』を書いたのだと思います。この松原著を含めて、知識人たちの数多くの親鸞論があります。前出の大澤著は、彼らが「なぜ親鸞のことが気になるのか」について、以下のように述べています。

 「まず考えられるのが、その思想の独自性である。親鸞の思想は念仏すれば誰でも極楽浄土へ行くことができるという、シンプルなものである。しかし念仏しようという気持ちは自発的に起こるものではなく、阿弥陀仏によってもたらされるものとされる。念仏を称えれば称えるほどいいのではなく、極楽浄土へ行くことが阿弥陀仏によって既に誓われているからこそ、念仏が称えられるのだという。信じる気持ちが起こった時に、極楽に往生することも決まるのだともいう。こうした思想の複雑さが、多くの知識人を惹きつけてきたのではないか」

 多くの親鸞論がこうした親鸞の思想のシンプルさと複雑さをどのように織り込んでいくかに、論の工夫や苦心を尽くしているようです。