中村文昭 清水正『ドストエフスキー論全集』の謎と神秘
一九九七年六月、ロシア・サンクトペテルブルク、ネヴァ川で夕焼けを眺めていた。
背後にはホテル・モスクワがあり、収容所のようだった。監獄のような一角で、カウンターの格子越しに疲れきった女性が 無表情で円をルーブルに交換してくれた。
ぼくが初めてロシア・ペテルブルクに来たのは言わずもがな、ドストエフスキーの墓を訪ねるためだった。ホテル・モスク ワの前にはネフスキー大通りが、果て見えなくなるまでつづいていた。その幅は、ジャンボジェット機が離着陸できるほどの スケールをもっていた。その朝、ネフスキー大通りをぼくは走り続けていた。なぜならプーシキン・エカテリーナ宮殿へ向か う観光バスの出発時間が迫っていたからだ。走って走って走って、高架橋の下をくぐりぬけると、そこには不良少年たちがた むろして、歌ったりゲームを楽しんだりしていた。そんなことは何ら気にならなかった。
観光を終えホテル・モスクワへ戻る道すがら、咽喉の渇きをおぼえてスーパー・マーケットに立ち寄った。ぼくはただ、 ファンタオレンジを飲みたかっただけだった。でも行列は長く時間がかかった。ぼくの目の前に四十代の痩せこけた婦人と娘 が立っていて、見るからに生活苦を感じさせる姿にぼくは胸を痛めた。ぼくが外へ出ると、午後の陽がぼくの目を刺した。ど のくらい歩いたことだろう、外国人であるぼくを見て、一人の品のいい老婆がぼくの前に進み出てきた。そしてぼくに両手を 組んで懇願するように、あるいは憂いを秘めて、ぼくに右手を出した。ぼくは両替したばかりのルーブル一枚を差し出した。すると彼女は天を仰ぎ、両手を捧げ、神よ!と言ったのか分からないが、感謝の気持ちをしめしてくれた。
想えば、その前の日、ぼくはホテル・モスクワの食事を取りたくなかったので外へ出た。あてもなくネフスキー大通りをさ 迷って横道に入った。小さなレストランがあった。なにはともあれ、ぼくはボルシチが好きだったので、その地下へつづく階 段を降りていった。外国人はぼくただ一人だった。ボーイが近づき、ほんとうに丁寧に挨拶し、「ボルシチ」という言葉を理 解してくれたのか分からないが「борщ」と言ってくれたのを覚えている。何の飾り気もない素朴な小さいレストランだっ た。でもぼくは腐っても鯛というロシアの文化の深さ豊かさをその時感じた。ボルシチとパンとウォッカをぼくは堪能した。 そして本当に優しい中年のボーイに1ルーブルのチップを渡した。彼は凛凛しくにこっと笑ってそれを受けとった。すると、 店内でピアノが鳴りバイオリンが響いた。こんな小さなレストランでも音楽家が演奏することにぼくは心打たれた。小さなロ シア体験にぼくは心震えた。そして、テーブルから立ちあがった時、卑屈な顔をした中年のバイオリン弾きがぼくに近づいて きて深々と頭を下げ膝を曲げ、そして顔を上げた。ぼくには分からないが、ロシア語で何かを言い、そして手を差しのべた。 握手かと想ったが瞬間、ぼくは想った。〝私の芸術にいくらかの〟ということだと。ぼくは即座に1ルーブルを彼の手に載せ 握手した。すると言葉は分からないが彼は慇懃無礼にこう言ったようだった。〝だんな、あなたは芸術の価値が分かる人だ〟。
ぼくはネヴァ川の土手に腰を下ろしていた。後ろにはホテル・モスクワがあり、右手奥にペテルブルクの芸術家文学者たち を讃える有名な墓地があった。ぼくはその墓地を訪ねたあと、このネヴァ川の岸辺でファンタオレンジ一本をもてあそんで ぼーっと空を雲を川を眺めていた。墓地を訪ね、入口近くのドストエフスキーの墓の前に立った。ぼくは花ももたず、その墓 に近づき礼を尽くそうとした。途端はっきり分かったことがあった。「ここにはドストエフスキーはいない」と。その他の墓 をぼくは漠然と歩きまわった。チャイコフスキーの墓だけは、はっきりと分かった。でも、その時もまたここにはチャイコフ スキーはいないなぁと直感した。では、どこにドストエフスキーはいるんだ?
そしてぼくは何か満たされない心でネヴァ川を見つめつづけていたのだ。すると、左手の土手のほうから、小さな二人の人 影が見えた。少年二人だ。十歳と六歳くらいだろうか。あきらかに一人は兄で、一人は弟だ。なぜか、弟は兄に泣きながらダ ダをこねているみたいで、兄は弟をなだめ慈しんでいるように見えた。二人はぼくの近くまでやってきた。弟は初めて東洋人 を見たかのようにして、兄の背中に隠れた。すると、感動したね、弟を傷つけるものは一切許さないぞと言わんばかりに、少年の体は凜とぼくの前に立った。ぼくはただ、虚しいだけだったんだ。そしてぼくは立ち上がった。ファンタオレンジ一本差 し出し、弟らしい子供に手渡そうとした。弟はファンタオレンジだけは見た。そしてそれが欲しかったんだろう、と想った。 すると兄は、ぼくの目を見てにこっと笑う。ぼくは少年にこう言いたかったんだ、〝弟に渡していいか?〟と。すると彼は弟 をぼくの前に引き出して胸を張れとでも言いたげに弟を励ましている。弟はぼくなんかには興味はなくてファンタオレンジに 夢中だった。何の躊躇もなく彼はボトルを受けとる。再び、ぼくと幼い兄は目を合わせた。彼は誇り高く胸を張った。そして ロシア少年の明るさに満ちた笑いをぼくになげかけてくれた。それは、ぼくにこう言っているようだった。〝ありがとう。ス パシーバСПАСИБО きっとそうなるよ 異国の人よ〟
「きっとそうなりますとも、カラマーゾフさん、あなたの言葉はよくわかります、カラマーゾフさん!」目をきらりとさ せて、コーリャが叫んだ。少年たちは感動して、やはり何か言いたそうにしたが、感激の目でじっと弁士(注・アリョー シャ)を見つめたまま、我慢していた。
「僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです」アリョーシャはつづけた。「でも、なぜわ るい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん? 僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それか ら正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえし ておきます。(中略)僕はたとえ三十年後にでも思いだすでしょう。さっきコーリャがカルタショフに、『彼がこの世にいる かどうか』を知りたいとも思わないみたいなことを言いましたね。でも、この世にカルタショフの存在していることや、彼 が今、かつてトロイの創設者を見つけたときのように顔を赤らめたりせず、すばらしい善良な、快活な目で僕を見つめてい ることを、はたして僕が忘れたりできるでしょうか? みなさん、かわいい諸君、僕たちはみんな、イリューシャのように 寛大で大胆な人間に(中略)(もっとも、コーリャは大人になれば、もっと賢くなるでしょうけど)、そしてカルタショフの ように羞恥心に富んだ、それでいて聡明な愛すべき人間に、なろうではありませんか。それにしても、どうして僕はこの二 人のことばかり言っているのだろう! みなさん、君たちはみんな今から僕にとって大切な人です。僕は君たちみんなを心 の中にしまっておきます。君たちも僕のことを心の中にしまっておいてください! ところで、これから一生の間いつも思 いだし、また思いだすつもりでいる、この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのは、いったいだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです!
決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らの心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生きつづけるので す!」
「そうです、そうです、永遠の思い出が」少年たちが感動の面持で、甲高い声を張りあげていっせいに叫んだ。
「あの子の顔も、服も、貧しい長靴も、柩も、不幸な罪深い父親も、そしてあの子が父親のためにクラス全体を敵にまわ して、たった一人で立ちあがったことも、おぼえていようではありませんか!」
「そうです、おぼえていますとも!」少年たちがまた叫んだ。「あの子は勇敢でしたね、気立てのいい子でしたね!」 「ああ、僕はあの子が大好きだった!」コーリャが叫んだ。
「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません! 何かしら正しい良いことをすれば、人生は 実にすばらしいのです!」
「そうです、そうです」感激して少年たちがくりかえした。「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」どうや らカルタショフらしい、一人の声がこらえきれずに叫んだ。
「僕たちはあなたが大好きです、あなたが好きです」みんなも相槌を打った。多くの少年の目に涙が光っていた。「カラマーゾフ万歳!」コーリャが感激して高らかに叫んだ。 「そして、亡くなった少年に永遠の思い出を!」感情をこめて、アリョーシャがまた言い添えた。「永遠の思い出を!」ふたたび少年たちが和した。
「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみ んなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」半ば笑い ながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。
「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」コーリャの口からこんな叫びがほとばしった。
「さ、それじゃ話はこれで終りにして、追善供養に行きましょう。ホットケーキを食べるからといって、気にすることは ないんですよ。だって昔からの古い習慣だし、良い面もあるんだから」アリョーシャは笑いだした。「さ、行きましょう!
今度は手をつないで行きましょうね」
「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう! カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』原卓也訳より)
ドストエフスキーは泣くだろう…。極東の異国の一青年が、五十年にわたってじぶんの文学について探求し、疑い、抗議 し、そしてまた讃えてきた全てにむかって。ドストエフスキーは言うだろう、批評家清水正さん、ありがとう。きっとそうな りますよ? 清水正のドストエフスキー探求はまだ途上にいる。その未来の果てにあるもの(死と復活の秘儀とは何か? そ れを彼はドストエフスキーとともに追求しつくすだろう。彼はドストエフスキー文学にまたがり日本の近代文学者そして西洋 の文学者たちを縦横無尽に駆け回ってきた もちろん鋭い毒舌と愛と厳しい批評の眼をもって。多情にして無一物のドス トエフスキーと、これまた無一物にして多情なる清水正の間にある溝は何か。それは神の問題だろう、いや、懐疑と不信の子 として神の問題が二人の前に立ちはだかっている。
清水正『ドストエフスキー論全集』、ここで書かれているものの中心たる謎と神秘は、誰が未来において解くことができる んだろうか。ただ一つだけ確かなことがある。この中心の闇をしめる虚無と愛の葛藤空間は、批評家清水正と小説家ドストエ フスキーの永遠の対話を隠している。きっとそうなるのか? そうならないのか?
(なかむら・ふみあき 詩人、日本大学芸術学部文芸学科講師)