「文学の交差点」と題して、井原西鶴、ドストエフスキー、紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。
最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。
「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」
動画「清水正チャンネル」で観ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc
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清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
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https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk
これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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文学の交差点(連載2)
何年か前、大学院の女子学生で井原西鶴を研究対象にしたものがあった。たまたまわたしが彼女を指導することになった。せっかくの機会なので本格的に西鶴を読み込もうと思ったのだが、ドストエフスキーや林芙美子の作品批評を継続していたので、なかなか思うように時間がとれなかった。
わたしはドストエフスキーの作品を読み続けながら、日本的なるものに心引かれていた。落語、浪曲、歌謡曲、そして映画では小津安二郎や成瀬巳喜男の映画作品などに関していずれ批評したいと思い続けていた。しかし、なにしろ時間がない。ドストエフスキーと林芙美子だけで、批評の時間は埋め尽くされてしまう。
西鶴は今から三百年前に活躍した俳人、小説家(浮世草子作家)である。三百年の時を経ても生き延びてきた作品であるから、時間だけで言えばドストエフスキーよりも古い作家ということになる。わたしが西鶴の作品を読んで批評すれば、やはりドストエフスキー文学との関連性においてということになる。ドストエフスキーは〈人間とは何か〉、その謎を解くために満五十九年の生涯を費やした。彼は処女作『貧しき人々』から最晩年の作『カラマーゾフの兄弟』に至るまで、徹底して人間を描き続けた。彼にとって人間を描くことは、人間と神との関係を描くことでもあった。
ドストエフスキーの文学を理解しようと思えばユダヤ・キリスト教における神の問題を度外視することはできない。彼の人物たちはキリスト者も反キリスト者も含め、すべて彼らの眼差しは神に向けられている。神に対する反逆者ほど、神と真剣に向き合っている。神を否定することは、同時に自らの破綻を引き受けなければならないほどに、彼らにとって神の存在は実存に食い入っている。