「畑中純の世界」展を観て(連載6)

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。


畑中純の世界」展を観て
福山香温

私は畑中純さんの漫画作品を、雑誌研究の講義内で初めて読んだ。このとき、男性は平凡に、女性は何か特別に、美しく描かれているなぁと思ったことは印象に深い。私が読んだことのある少女漫画や少年漫画は、男の子も女の子も目がキラキラしているイメージが強かった。だから男女で目の描かれ方がこのように違うのは一つ興味を持った点でもあった。日常の中で、異性が見るのと同性が見るのとでは感じ方も人物の受け取り方も違うのはよく気づかされる。特に一番目に見えるのは、同性には嫌われるのに異性には好かれる、そのようなタイプの人間がどこにでもいるということである。男性から見る女性、女性から見る女性、そのような様々な見方について、畑中さんの漫画作品では男性から見る女性が描かれているような気がした。個々の「男」や「女」としてのやりとりのリアルさは、最初こそ驚いてしまうものであるが、それをきちんと描かなければ伝わらないものも多くあるのだろうと感じた。そのような点も含めて、更に畑中さんの作品を読んで味わっていきたいと思えたのは、講義内でお話しを伺った畑中さんの奥様や娘さん、そして畑中さんの作品のことは苦手だと仰っていた息子さんたちの様々な言葉が興味深かったおかげである。
畑中純の世界」の展示では、たくさんの作品を見ることができたが、その中でも版画の数々に大きな魅力を感じた。一つ一つの線の力の入りと、常に強く掘られていく曲線の中にも伸びやかな線が多く、作品のそれぞれにストーリーが豊かに描き出されている。私が特に好きだと感じた作品が「銀河鉄道の夜」の空に浮かぶ鉄道を描いたものである。4枚に及びこの作品は、一つずつ見てもとても奥深い。左から順に見てみたい。まず一枚目、煙がもくもくと車両を包み込んでいる。その奥を流れる星を描く線が、長くも少しのブレもなくスーッと通っている様子が、何とも心地よい。二枚目、車両には引き続きたくさんの煙が巻かれている。後方は車両の窓も隠れてしまうほどの煙の量である。窓の一つ一つに、ほとんど人影はないが、後方の3つの窓に少しだけ乗客がいることを確認することができる。そして星がキラキラとたくさん瞬いている様子が1枚目よりも更に豪華に描かれている。この2枚目の版画からは、鉄道に夢を乗せているようなワクワク感と、星が瞬く夜ならではの寂しさのようなものも秘めているように感じた。三枚目、視点は更に車両に近くなる。遠くから「モクモクしたもの」として認識されていた煙が、いくらか薄く感じるほどに視点が煙に近いのだ。その煙の曲線と同じように鳥も描かれており、自由に羽ばたくその姿が印象的だ。この鉄道は自由に飛んでいる。しかし鉄道はもともとレールの上を走るものだ。そのような矛盾も賢治の世界感を盛り上げているのだと感じるが、この1枚に羽ばたいている鳥たちの姿が、よりいっそうこの空気を盛り上げているように感じた。そしてこの1枚になって初めて、人の表情を確認することができる。ジョバンニとカンパネルラであろうか、2名だけの顔が描かれている。2人を取り巻く現実と幻想の世界が、1枚目や2枚目とは異なった世界感を作り上げていると思った。4枚目、この1枚には煙は描かれていない。ただ、夜空に浮かぶ車両の車輪を中心とした1枚だ。普段はレールの上をまっすぐに走っているはずの車輪が空に浮かんでいる様子と、その下に見ることができる翼は、3枚目にもあった矛盾を再び表現しているのだろうか。しかしながら今回は翼のみ描かれており、鳥の全体を見ることはできない。鳥の翼の向こうに伺うことの出来る山肌は、どこか銀河鉄道とは程遠く思われるような地上の緑を想像させる。しかしそのまわりに多くの星が瞬き、その中でも一際輝く1つの星が、希望や夢を強く訴えているようにも思える。このような4枚の作品を一歩後ずさった距離から見てみると、ただ美しく自由なだけでは決してない銀河鉄道の幻想的な不思議な世界感を、版画という方法で力強くも優しく、静かに描き出していると感じた。宮沢賢治ならではの独特の世界感が、版画によって更におもしろく、味わいある世界へとなって登場している。
 この他にも、私は少年と少女が魚をじっと見ている作品が気になった。様々な種類の魚や虫がまっすぐに必死に、それぞれの確かな目的地へと向かって飛んだり、泳いだりしている様は非常に美しい。そしてその様子を静かに、かたずを飲んで食い入るように見ている少年少女の姿が、背中からも感じられるのである。この1枚は二人の背中を描いたものと、二人を正面から伺った2枚がある。正面から二人を見た1枚では、女の子も男の子も驚いている様子が描かれている。特に男の子は、女の子よりも驚いているような、そして女の子は男の子よりも落ち着いているような空気を感じることができた。生き物の不思議について、二人は驚いているのであろうか。魚の1匹1匹の細やかさや、虫の羽根の細やかさに私は魅せられた。必死に生きる生き物は必ず美しいのだ。
 展示室に貼られた作品はどれも、リアルさが必ず含まれているものであった。幻想的な世界感であったり、シュールさを感じさせるものであっても、そこには必ず現実を見ることの出来る要素が入っていたように思う。これこそが我々に語りかけているものの何かであるのかもしれない。そして何より、我々はその不思議で身近な世界感に魅せられて止まないのだ。畑中さんの様々な魅力を体感できるひと時であった。