上田 薫『罪と罰』を読んでいた頃 

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

罪と罰』を読んでいた頃 

上田 薫


 雨降り続きの自宅の部屋でぼんやり古い記憶を辿ってみる。
 もう30年ほど前のことになる。私達は清水正研究室で毎週『罪と罰』を読んでいた。受講生は常に2、3人で、私自身2回に1回位しか顔を出さなかった。昔のことだし、先生も信じないと思うが、毎回授業で背負いこんだ課題を自分なりに整理するのに1週間ではとても無理だったのだ。授業の課題は、その頃の私にとって人生の問題そのものだったから。先生は良く、私のことを雨の日は欠席したと笑い話にしておられるが、本当は雨だけが欠席の理由ではなかった。私はいつも到底解くことのできない問題を引っさげて、重苦しく研究室の扉を開けたのだった。
 30年前と今と何が変わったのか、正直わからない。というのも、30年前に既にドストエフスキーを読んでいる者はごく少数だったし、むしろ時代はいわゆるバブル期で、陰気にドストエフスキーなど語っている者は余程変わり者だった。しかし、私たち数名の受講生は『罪と罰』を殆どバイブルのように隅から隅まで真剣に読んでいたし、あのような読書を知らなかったら今の自分も絶対にないとはっきり言える。
 私はまだ人生を知らないガキで、ラスコーリニコフの苦悩の中を彷徨っていた。先生はポルフィーリイやスヴィドリガイロフの立場で論じておられた。先生が発する「おしまいになった人間」というポルフィーリイの言葉が耳に今でも焼きついている。丁度そのころ先生はご長男を亡くされて大変辛い経験をされた。自分自身が子供の私には先生の悲しみは想像もできなかったと思う。しかし、先生はそんな時でも、授業を一度も休んだことがなかった。私はまだ「おしまいになる」どころではなかった。むしろ何も始まっていなかった。そして、何も始まる前に人生を終わらせたいという甘ったれた考えに浸っていた。私はラスコーリニコフのように、不可解な人生を捨てたいと思っていた。ラスコーリニコフは殺人を犯すことで捨てようとし、私は人間に対する謂れのない怒りと憎しみの中で溺れようとしていた。私はランボーの訣別の詩をいつまでも抱き続けていた。どこか人生の砂漠を彷徨い、無意味な時間を辿ることしか考えていなかった。私はまったく感傷に溺れた青春時代の只中にあったのだ。
 『罪と罰』の最も大きなテーマは、少なくとも私たちにとっては「踏み越え」ということだった。ラスコーリニコフの踏み越え、ソーニャの踏み越え、マルメラードフの踏み越え、カチェリーナの踏み越え、ドゥーニャの踏み越え、スヴィドリガイロフの踏み越え。登場人物それぞれの踏み越えがある。現代の計算高い人間とは大違いだ。生きることが避け難く〈人間〉や〈幸福〉を踏み越え、握りつぶすことになる人生など今の多くの人間は想像もできまい。余りにも精神的な19世紀ロシアの人間たちは、やたらと人生と自分を捨てたがった。精神とかプライドとかの対極にある存在とか幸福ということの意味を誰も知らないかのように、小説の登場人物たちは人生を捨てたがった。
 現代人は反対に人生とか幸福とかいうもののために、精神もプライドも捨ててしまっているようにさえ思える。何という違いだろうか。教育、学歴、就職、蓄財、何もかもが人より有利な立場に立てるように計算されている。自分を捨てるなんてことは、もうまるでお話にならない。そんな時代の若者が、『罪と罰』を読んで何を考えるのか全く覚束ない話だ。現代には、いやそれは私の青年時代でも既に同じだったのだが、自分を捨てることや、人生を捨てることなんて話にならない。私がやがて、紆余曲折を経て〈捨聖〉と呼ばれる鎌倉時代の僧一遍に辿り着いたのも、考えてみればただの偶然ではないのかもしれない。捨てるということは、密かに私の大きなテーマであり続けているのかもしれない。但し、その後私は決して人生を捨てはしなかった。私はむしろ無意味な人生の中に飛び込んでいった。いや、いまでも未知の人生に身を投じているといっても良い。それは、恐らく『罪と罰』を10年くらい読んだ末に辿り着いた一つの結論だった。ラスコーリニコフを追い詰めたポルフィーリイがこんなことを言う。有名な場面だから記憶している人も多いだろう。「何も考えずにいきなり生活へ飛び込んでお行きなさい。心配する事はありません。ちゃんと岸へ打ち上げて、しっかり立たせてくれますよ。」私はこの言葉をいつしか信じ始めていたのだと思う。そして、私はもう30才に手が届こうという頃になって、ようやく人生を受け入れられる感情を抱くようになっていた。
 ドストエフスキーキリスト教はこの意味でも、近現代の西洋思想が批判したキリスト教ヒューマニズムとは異質なものだった。ドストエフスキーが作家の道を歩み始めた時、西洋近代の問題は全て先取りされ、言って見ればスピノザ的な存在肯定の渦中に人間の問題が投げ込まれたのである。踏み越えとは、その全肯定への一つのステップなのだ。だから、この踏み越えにおいて、国家も、社会も、モラルも霧消する。数百年かけて西洋社会が整頓した人間的問題がひっくり返されて、振り出しに戻る。この新しい人生は決して国家社会には裁けない。裁くのは、だからドストエフスキーにおいては、国家権力や教会から切り離されたキリストの神だけという事になる。既存の倫理はまさに「踏み越え」られた。その地点で人間は存在の無意味と向き合う事が要求される。もう存在の意味を誰も与えてはくれない。だから、真に存在はその時点では無意味なのであり、存在の意味はポルフィーリイの言うように「生活」の中からしか引き出せないものとなったのである。
 私はこういう思想を、その後アランの中に見出した。いやもっと分かりやすく言うなら森有正の「経験」の思想の中に見出した。森有正の「経験」という思想はアランから学び取ったものだ。人生をより困難で、より豊かなものとする「経験」という思想は、アランの中にそのルーツがある。しかし、それは同時にドストエフスキーの中にある思想だと言うこともできる。言うまでもなく森有正の思想は、若い頃のドストエフスキー体験によって培われたものである。それは、国家とか倫理とかいう価値観を「踏み越え」て、「経験」=「生活」の中に「神の言葉」=「真の倫理」を見出そうとするものなのである。
 「罪」はそれを犯さない者には真に知り得ないものだ。しかし「罪」は犯せば「罰」せられる。社会は「罪」を犯した者に烙印を押す。人間の安っぽいドラマは、安易に人間の「罪と罰」を描いてみせる。巷に溢れている物語はこの「罪と罰」のドラマである。しかし、ドストエフスキーの神は最後まで人間の「罪と罰」の前で沈黙する。神の裁きは人間には測り難い。沈黙し、審判を下さない神の前で、人間は真に精神の深さを知り、身体の倫理に達する。「生活へ飛び込んでお行きなさい」そうするしかないのだ。ラスコーリニコフにしても、ソーニャにしても、マルメラードフにしても、カチェリーナにしても、皆身を切り刻むような痛みと苦しみと後悔に苛まれて始めて、人生の真実を知る。ソーニャを売春婦にさせたカチェリーナが死の間際に語る言葉がふと記憶に蘇ってくる「わたしには罪障なんかありません……でなくたって神様は赦してくださる……わたしがどんなに苦しんだか神様はちゃんとご存じでいらっしゃる……でも赦して下さらなけりゃ、それも構わない」こういうところまで追い詰められた時しか、人は「神の言葉」=「真の倫理」に到達しない。私の人生も『罪と罰』によって、そういう底なしの闇に開かれた。しかし、それ以外に人生の深奥を知る方法があるはずがない。生を存在に開くとはそういうことだ。「踏み越え」の先に社会はない。ただ、神=存在の沈黙があるだけなのだ。
 30年前の出発点を振り返っていると、自ずからそんな考えが今日の雨のように激しく降り注ぐのであった。
(八巻栞より)

新著紹介


小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部