清水正の『浮雲』放浪記(連載203)

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。




新著紹介


小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部

清水正の『浮雲』放浪記(連載203)
平成A年9月22日
眼を覚ましたゆき子と富岡の会話を見てみよう。

  「ねえ、どこかへ着いたの?」
   ゆき子が、枕の音をさせながら聞いた。富岡は、窓に頬杖をついたまま、
  「種子島へ着いたンだよ」と言った。
  「いい港ですか?」
  「ああ、こぢんまりしたところだ。起きて見るかい?」
  「見なくてもいいわ。……どうせ、どこの港だって、同じことなンでしょう?」
  「案外、賑やかな港だよ。小さい船がたくさんいるよ。仏印のどこだったかな、これによく似た部落があった」
  「仏印に似てるの?」
  「いや、似ちゃアいないが、こんな、部落があったような気がしたンだ。日本人のつくった港というものは、どこへ行ったって、陰気で淋しいもンだな……」
   がらがらと、激しい音をさせて、錨をおろす音がした。船が少しずつ港の小さい桟橋に寄って行った。
   迎えの人たちででもあろうか、明るい桟橋には、蟻のかたまりのように、たくさんの人たちが船を迎えに出ていた。(394〈六十〉)

 わたしのイメージの中では、富岡が船室の窓から眺める〈平べったい島〉、その〈寝そべったような、淋しげな島〉は白い海上を背景にして十字架刑に処せられた富岡兼吾の死体にすら見えている。ドローン(飛行カメラ)を空中高く飛ばして、この〈淋しげな島〉を真上から眺めれば、まさに両手を大きく広げて安息の死を受け入れた富岡の死体が見える。この光景にドヴォルザーク交響曲第九番『新世界』を響かせてもいい。が、林芙美子の作品は天と地を貫く垂直軸上に展開されることはない。富岡とゆき子の精神世界に神聖な光が射し込んでくることはない。ましてや、ゆき子は富岡の〈新生〉的な場面に立ち会っていない。ゆき子は、富岡と作者だけが知っているその光景から疎外されていた。従って、ここに引用した二人の会話場面は、富岡の水平的な眼差しで写し取られた〈平べったい島〉と同様に、文字通り平べったく日常的で、何ら精神の高揚をかき立てるものではない。富岡はゆき子によって垂直的な精神の高まりを促されたことは一度もない。富岡がゆき子に求められているのはフィジカルの次元のことであって、それ以外のものを見いだすことは甚だ困難である。

 富岡とゆき子は、種子島に夜の九時まで照国丸の船室にとどまる。翌日の朝八時頃には屋久島が見え始める。種子島は平べったい、寝そべったような島であったが、屋久島は〈黒々とした円い島〉で、〈海の上に立っている島〉である。今、二人は海に寝そべっている水平的な島から、海に発立っている垂直的な島へとたどりついたのである。。

 船は宮の浦ではしけを離すと、再びエンヂンの音をせわしくたて始める。はしけは荒い波の上を木の葉のように揉まれながら、宮の浦の淋しい岸壁へ漕ぎつけようとしている。林芙美子が取材で屋久島を訪れた時に、船の上から見た光景がそのまま描き出されている。
 「富岡は甲板に出て、寒い海の風に吹かれながら、いま眼の前遙に立っている島を、飽きもせずに眺めていた」ーー富岡は〈黒々とした円い島〉の〈濃緑な色〉を眺めて〈爽快な気〉を感じている。作者は「少しも、孤島へ流れて来た感じはなく、かえって、身も心も洗われたような、樹林の招ぎを感じるのだ」とまで書いている。が、同時に「薄昏い夜明けの海上で、ふっと、こんな島に出くわしたら、さだめし気味の悪いものであろうと思えた」とも書いている。海上に立っている黒々とした円い島は、富岡に爽快と不気味のアンビヴァレントな感情を起こさせている。
 さて、富岡がこういった気持ちで屋久島に魅入られていた時、ゆき子は何をしていただろうか。

  ゆき子も、ゆっくり起きあがって、髪をかきつけている。あきらめきった表情で、毛布の皺の中に、コンパクトを挟みこんで、ゆき子は乱れた髪をなおしていた。油気のない髪を邪魔くさそうに一束にたばねて、ハンカチで結んだ。いかにも大儀そうに、クリームを顔にこすりこんでいる。白いペンキ塗りの板壁に、海からの反射が、窓硝子を越して、かげろうのように、ゆらゆら動いていた。
  ゆき子は、がんこに、窓から外界を見ようとはしなかった。種子島も見ないずくだったし、いま、眼の前に屹立している屋久島さえも見ようとはしない。ゆき子にとっては、どんな陸上でもよかったのかもしれない。着いた様子だから、身支度をするという、ものぐさな態度である。富岡は、ゆき子のそのものぐさな様子を、躯の悪さから来ているものと思っていた。(395〜396〈五十四〉)