清水正の『浮雲』放浪記(連載196)

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清水正の『浮雲』放浪記(連載196)
平成A年9月11日
富岡のポケットのメモには、屋久島の簡単な説明が記してあった。種子島とはひかくにならない、黒々とした円い島である。久しぶりに、島の濃緑な色を眺めて、富岡は、爽快な気がした。少しも、孤島へ流れて来た感じはなく、かえって、身も心も洗われたような、樹林の招ぎを感じるのだ。富岡は甲板に出て、寒い海の風に吹かれながら、いま眼の前遙に立っている島を、飽きもせずに眺めていた。種子島は、寝そべった島であったけれども、屋久島は、海の上に立っている島のようだ。薄昏い夜明けの海上で、ふっと、こんな島に出くわしたら、さだめし気味の悪いものであろうと思えた。
  明るい紺碧の海上に、密林の十が浮いているというだけでも、自然の不思議さである。(〈六十〉395)

なぜ、『浮雲』の最後の舞台が屋久島なのか。当時、敗戦国日本の最南端の島であった屋久島はこの作品でどのような象徴性を賦与されていたのか。まず、最初に注目したいのは、屋久島の中央に聳える宮の浦岳である。標高一九三五メートルの宮の浦岳を林芙美子はノートにスケッチしている。その絵には、なんと「神」という文字が書かれている。わたしはそれを初めて眼にしたとき、背筋がゾッとした。『浮雲』はユダヤキリスト教の信仰とはまったく無縁の作品に見える。ゆき子にあってはキリスト教ばかりではなく、大日向教の教義にも何ら特別の関心を示すことはなかった。富岡兼吾はドストエフスキーの愛読者ではあっても、ドストエフスキーがその存在をめぐって生涯を苦しんだような苦しみを表に出すことはなかった。しかし、よくよく読み込んでいくと、『浮雲』は信仰の問題を深く押さえ込んだ作品にも見えてくる。ゆき子と富岡の腐れ縁の泥沼の奥に、神や信仰を問題にしなければならない地層が隠れているようにも見える。
 ドストエフスキーの作品には象徴的な地名や数字や色彩が頻出しているが、『浮雲』もまた同じことが言える。宮の浦岳の標高〈一九三五〉を数秘術的減算すれば〈九〉となる。〈九〉という数字は宮沢賢治の作品にも頻出する数字であるが、要するにこれはイエス・キリストが十字架上で息を引きとった時間(午後三時だが、古代ユダヤ人は九時と言っていた)を意味する。作者は屋久島を〈黒々とした円い島〉と表現しているが、この〈黒々〉は〈濃緑〉を意味している。〈緑〉は聖性を象徴する色彩で、『罪と罰』ではロジオン・ロマーノヴィチが復活の曙光に輝く前に、ソーニャが緑色のショールを被って登場している。
 二人が〈九州〉の鹿児島についてすぐに、ゆき子は体調を崩し、医者に診てもらうことになる。若い医者は二日ほど静養すればよくなるだろうと言う。翌日、宿の女中は屋久島行きの照国丸は朝〈九時〉に出航すると知らせるが、ゆき子の病状は良くならず、富岡は〈四日〉ほど出発を遅らせることにする。富岡は波止場の果物店でゆき子のために〈林檎〉を一貫目ばかり、〈緑に染めた籠〉に詰めてもらう。富岡は郵便局に寄った後、時計店で〈三千六百円〉(九)の正札のついた時計を購入する。宿に帰ると、富岡とゆき子は二人して〈林檎〉をかじる。ゆき子は「今度の発病が、何となく、命取りの病気のような胸苦しさ」を感じているが、二人にとって耐えがたい旅空の〈四日〉の間に、親密なよき知人になってくれたのが比嘉という若い医者で、彼はラジオから流れてくる音楽をゆき子に訊かれて〈ドヴォルザアークの『新世界』〉と教える。ゆき子は比嘉に好意と尊敬の念を抱き、富岡は比嘉の思いやりのある優しい言葉に『罪と罰』の中の「人間たるものは、誰しも、同情なくしては、とうてい生き得られるものではない」という言葉を思い出す。〈四日目〉、富岡とゆき子は照国丸へ乗船する。比嘉はゆき子の腕に栄養剤を注射する。作者は「ゆき子は、その冷い医者の手の感触をいつまでも忘れなかった。最初の恋のような仄々した気持ちであった」と書いている。ここまで来ても、ゆき子の思いが富岡兼吾一筋ではないところが面白いところだ。林芙美子は女心の一筋縄ではくくれない複雑さをさりげなく記している。
 比嘉との別れの場面を見てみよう。

 一等甲板の富岡は、比嘉から投げられた緑色のテープを、いつまでも握っていた。ごみごみした、玩具箱をひっくり返したような、桟橋が、遠くなるまで、切れたテープを、富岡は頭の上で振っていた。比嘉は桟橋のはずれに立って、白いハンカチを振っていたが、ちょっと、小腰をかがめて、大股に桟橋を去って行った。鞄を振るようにして歩いて行く、医者の後姿が富岡には頼もしく見えた。(392〈五十九〉)

 比嘉医師の投げた〈緑色のテープ〉と、桟橋から振る〈白いハンカチ〉は復活の聖性を力強く象徴している。

  海上は凪ぎであった。
  ひかげの風は、外套を刺すように冷めたかったが、日向へ出ると、陽射しがほかほかと暖かであった。すぐ眼の上の大きい煙突から、汚れた煙が西へなびいていた。陽射しを受けた白い海上へ、富岡は、手に残っている緑のテープを風に散らした。この数カ月をすり減らされたような心の痛みが、広い海上に出ると、足もとや肩にまつわりついていた、運命の鎖を、吹飛ばしてくれるような、爽快な気持ちだった。(392〜393〈五十九〉)