清水正の『浮雲』放浪記(連載198)

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新著紹介
小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部

清水正の『浮雲』放浪記(連載198)
平成A年9月13日
富岡には彼が面倒をみなければならない両親がいる。おせいを殺害した向井清吉も抱えている。それよりなにより、大日向教の金庫から五十万の金を盗み出して富岡を追ってきたゆき子がいる。まさに文字通り、富岡の肩や足もとには運命の鎖がまつわりついている。この鎖を断ち切るためには、〈陽射しを受けた白い海上〉へと身を投げるほかはない。富岡がその誘惑にかられなかったとは言えまい。が、林芙美子は富岡を〈新生〉の光に融合させることもなかったし、白く輝く海上へと投身させることもなかった。
 さて、わたしが特に興味深いのは、比嘉医師と富岡が鹿児島港の桟橋と照国丸の甲板で〈緑のテープ〉で繋がっていた場面も、富岡が甲板で〈爽快な気持ち〉になったというその場面にもゆき子を登場させていないことである。ロジオン・ロマーノヴィチの〈復活〉にソーニャが果たした役割は大きい。ロジオンの要請に応えて「ラザロの復活」を朗読したのはソーニャであった。ロジオンはソーニャの前で殺人を打ち明けた。ロジオンに自首をすすめたのも、大地へ接吻して赦しを乞えと命じたのもソーニャであった。そして最後にはシベリアまでロジオンを追った。ロジオンに復活の決定的なきっかけを与えたのもソーニャであった。
 一家の犠牲になったとはいっても、ソーニャは淫売婦であったことに間違いはない。その淫売婦がなぜ殺人者に圧倒的な力で指示できるのか。その圧倒的な力は、ソーニャの揺るぎのない信仰から発している。ゆき子は伊庭と不倫の関係を結び、妻のある富岡と悦楽の日々を送り、パンパンとなって外国人兵士ジョオとも関係する。妊娠すれば堕胎し、伊庭の妾になったはいいが大金を盗み出して富岡を追ってくる。ロジオンは二人の女を殺した青年だが、ソーニャの父親マルメラードフに言わせれば「ものに感ずる心を持っている」青年である。ソーニャは〈淫売婦〉へと、ロジオンは〈殺人者〉へと踏み越えてしまったが、彼らはさらなる愛による〈踏み越え〉、つまり〈復活〉へと踏み越えていった。
 描かれた限りで見れば、ゆき子と富岡を繋ぐ一本の紐は動物的な〈性愛〉であって、その紐に精神的な要素、ましてや信仰的な要素を見いだすことはできない。