清水正の『浮雲』放浪記(連載187)


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清水正の『浮雲』放浪記(連載187)
平成A年8月15日
 大日向教に関してはすでにネタばらし済みなので、読者は教主の法話
宗教的な崇高さを微塵も抱くことはない。読者の大半は、ゆき子の冷ややかな眼差しで広間の光景を眺めることになる。三十人ほどの信者は成宗専造と伊庭杉夫の側から見れば、宗教ビジネスの犠牲者であり、巧妙な罠にかかったカモでしかない。大日向教が宗教ビジネスを否定せずに、そのままに徹底して宗教の本質に迫るものであるなら、生温き人物たちの間にも厳しい垂直軸が突き刺さっていったとも思うが、作者は『浮雲』という作品をそういう方向で展開して行こうという気はない。成宗専造は説教する「おのおの世界の境を一つにして、人間はまことのこころ交うが道なり。世界のひと、いずれの行も足りず、ただに迷い、ただにさすらうものなり。大日向さまは、地獄よりこの人をすくい給わんとて、娑婆の業を人間に与え給う。他力をたのみて、真実報土のこころなくば、この人々地獄への往生をとぐるものなり……」云々。大日向教の教義は法然親鸞浄土教に共通したものを含んでいるが、教義自体を俎上にあげてあれこれ議論することもない。教主成宗専造、会計担当伊庭杉夫、そして伊庭の妾になったゆき子にとっても大日向教は宗教ビジネス以外の何ものでもない。敗戦後、それまでの価値基準を根こそぎ瓦解させられた者たちにとって、宗教もまた新たな絶対価値と見なされることはなかった。三十人ばかりの信者は、藁をも掴む思いで大日向教に入信したかもしれないが、教主と伊庭の欺瞞を看破できない彼らの信仰をどのようにとらえたらいいのだろうか。マルメラードフは当てのない借金の話をした後で「だって、どんな人間にしたって、せめてどこかへ行き場がなくちゃいけませんものな。なぜって、人間、いやでもどこかへ行かなくちゃならんときだってあるんですから!」と。大日向教がビジネスだと分かっていても、それでも入信せずにはおれない、そういう場合もあると理解すればいいのだろうか。マルメラードフは後妻のカチェリーナが結婚を承諾したことに関しても同じようなことを語っている「おいおい泣きながら、両手をもみしだきながらでしたが、それでも私といっしょになった! というのも、どこへも行き場がなかったからなんで。おわかりですか、あなた、おわかりですか、この、もうどこへも行き場がないという意味が?」と。ゆき子が伊庭の妾にならざるをえなかったのも、三十人の信者が大日向教に入信せざるをえなかったのも、このマルメラードフの言葉に重ねればしっくりする。愛も尊敬もなくても、どこにも行き場がなければ伊庭にすがるしかなかったゆき子がいる。大日向教のインチキを分かっていても、そこに生活の糧を見いだすしかなかった大津しもがいる。作者は三十人の信者一人一人の内的事情に照明を与えることはなかったが、彼らもまたのっぴきならない事情を抱え込んでいたことだけは確かであろう。

信者とは何だろう。信者に理屈や教義はいらない。信仰に理屈や教義を求める者は学者や評論家になったらいい。知識が豊かになることで、信仰が深まるわけではない。むしろ知識は、信仰ではなく懐疑を深めることになりかねない。ソーニャは狂信者(юродивая)と言われるほどの信仰者だが、何ら神学的な知識があったわけではない。ポルフィーリイ予審判事に老婆アリョーナ殺しの嫌疑をかけられたペンキ職人のミコールカは、冤罪を自らの身に引き受けようとする。彼は故郷リャザンケン県ザライスクにいた頃、逃亡派の長老に師事していた。が、彼とて分離派の教義に通じていたわけではない。信仰は生まれたときから自然に体感的に身についているもので、先祖伝来の因習慣習と切り離して考えることはできない。本来、信仰に理屈はいらない。より正確に言えば、生活と一体化した信仰に理屈はいらない。神・仏を信心することで心の平安と家内安全を願う庶民にとって、宗教哲学や小難しい教義は必要としない。もっともらしくお経をあげてくれればそれでよいのである。成宗専造や伊庭杉夫は、まさに宗教ビジネスのマニュアル通りに、もっともらしく、仰々しく、儀式ばって、説教し、金を巻き上げる。信者は金を巻き上げられているとは思わず、教主・成宗専造の説教に充足するのであれば、ひとが傍からとにかく言うことはない。ゆき子の心境は、まあそんなところであろう。ゆき子は魂の平安を宗教、ましてや大日向教に求めることはまったくなかった。ゆき子は富岡兼吾との腐れ縁のドラマを生きつくそうという覚悟はあるが、伊庭杉夫や大日向教に魂を預ける気持ちは微塵もない。
 〈三面の祭壇〉〈紫の幕〉〈三日月型の鏡〉〈中国風な腰高の椅子〉〈法服のような黒い服〉〈金色の三日月と日向草を組み合わせた紋章を刻んだバッヂ〉……これら宗教ビジネスに必須の、見るからに威厳をもたせた小道具のすべてが、ゆき子の冷ややかな眼差しのもとでは、その偽物性を際だたせてしまう。しかしこの偽物教主・成宗専造の言葉が鋭くゆき子の行く末を予言していることも確かである。ゆき子は「いずれの行も足りず、ただに迷い、ただにさすらうもの」として、しかも他力をたのまず、真実報土のこころなく、結果として〈地獄への往生〉を遂げることになるのであるから。

  開いた硝子戸から、涼しい風が吹いた。庭師がゆっくり鋏を使っている音が長閑である。
 「人それぞれに、五十年の月日を稼がせ給うは、これみな犠牲の修行を積ませ給わんがためなり……」
  ゆき子は、板の間に坐っていることが苦しくなり、そっと膝を崩した。(344〈四十六〉)

 「地獄への往生をとぐるものなり」と宣告されたも同然のゆき子が、どのような思いで成宗専造の説教を耳にしていたのか。作者は成宗の言葉に呼応するゆき子の内心にいっさい照明を与えない。否、作者はここでドストエフスキーが主人公の内面を執拗に徹底的に描くような、そういった手法を採らないだけである。〈地獄への往生をとぐるもの〉ゆき子が、成宗の言葉を聞きながら、沈黙のうちに、開いた硝子戸から吹いてくる風を感じ、庭師が使っている鋏の音を聞いているということである。〈地獄への往生をとぐるもの〉が、吹きくる風にさわやかさを感じ、庭師の鋏の音に長閑さを感じていることを忘れてはならない。
 成宗専造の言葉自体が、大日向教のインチキ性を超えてゆき子の耳に響いてくる。ゆき子の幼少女期の生活は不明だが、十九歳で静岡の実家を離れ、東京の伊庭杉夫宅に下宿してからの生活はまさに波瀾万丈であった。伊庭杉夫との三年間の不倫関係、ダラットでの富岡兼吾との三年間の悦楽の日々、日本に引揚げてからの屈辱の日々(アメリカ兵相手の淫売稼業、富岡との未遂に終わった心中行、富岡とおせいの関係、堕胎、伊庭杉夫の妾……)を積み重ねて、息絶え絶えに生きているゆき子の耳に「人それぞれに、五十年の月日を稼がせ給うは、これみな犠牲の修行を積ませ給わんがためなり……」の言葉が重く響いてくる。が、ゆき子は大津しもとは違って、大日向教に帰依する心はまったくない。ゆき子は地獄への往生をとぐるものとして、冷ややかに、ニヒルに成宗専造の言葉を耳にしている。この耳に、庭師の鋏の音が長閑に聞こえていたということだ。作者は理屈は書かず、ただ「ゆき子は、板の間に坐っていることが苦しくなり、そっと膝を崩した。」と書いて〈四十六〉の幕を閉じた。