畑中純の魅力(連載1)

畑中純の魅力日大芸術学部文芸学科「雑誌研究」・2015.7.10)

講演者・畑中眞由美(畑中純事務所代表)
司会進行・清水正(日芸図書館長・文芸学科教授)

参加者・日野日出志(実存ホラー漫画家・文芸学科講師)/犬木加奈子(ホラー漫画家・文芸学科講師)/畑中元(長男)/畑中沙代(次女)/秋山江梨(三女)/「雑誌研究」「マンガ実習」受講者


清水 今日は、畑中純さんの「永遠の伴侶」眞由美さんにお越しいただいて、特別講座ということで、畑中純の魅力を語ってもらいます。また、日野日出志先生と犬木加奈子先生もお越しいただいておりますので、話の途中で参加していただくということになるかも知れません。よろしくお願いします。それでは、ご紹介します、畑中眞由美さんです。
畑中 みなさん、こんにちは。畑中眞由美と申します。今日はみなさんにお会いできて嬉しいです。よろしくお願いします。
清水 「雑誌研究」の学生さんたちには、前もって『まんだら屋の良太』を何巻か読んでもらっています。畑中純さんは一九五〇年にお生まれになっているんですね。僕は一年先輩にあたる一九四九年に生まれております。ですから同じような時代を生きてきたわけですね。畑中純さんの作品に「1970年代記」という本がありますけれども、これを参考にしながら話を進めていきたいと思います。今年度の「雑誌研究」では「愛の様々なかたち」というのをテーマにしているので、畑中純さんと眞由美さんの馴れ初めとか、どういうところに惹かれたのかとか、そういうお話も聞けるのではないかと思っております。それでは初めに、畑中純さんと出会ったきっかけからお話しいただけますでしょうか。
畑中 きっかけは高校の先輩後輩だということです。だけど四学年離れていて、一緒に高校に通ったわけではありません。私が高校一年の、夏休みですね。彼はその頃もう東京にいたんですけど、地元に帰って来た折に美術部の活動を覗きに来ていて、そのときに会いました。だから、私が十五歳、純さんが十九歳、が最初です。そのときは、地元を離れて遠く離れた東京で漫画家になりたいって頑張っている先輩にみんなで手紙を書きましょう、みたいな感じで手紙を書き始めました。みんなでね。そのうちになんとなく個人的に文通するようになって、年に一回か二回帰ってくる先輩に遊んでもらうというような感じでずっといたんです。高校三年ぐらいのときかな、たまたま二人でデートする機会があって、高校を卒業するくらいからいわゆる付き合う、みたいなかたちになりました。だけど私は小倉で純さんは東京だったので、遠距離恋愛でした。その頃は携帯電話もないので、もっぱら手紙のやり取りをしましたね。電話は家電(いえでん)ですね。それで四年半ぐらい付き合って、私が二十二歳、純さんが二十四歳のときに結婚しました。そのとき彼は無職で、当然、家族の反対はあったんですけれど、私がまだ二十二歳という全然怖くない年齢だったということもあって、付いていきたい! みたいな感じで東京にぽんっと付いて来ちゃったんです。純さんがデビューするまで、三年ぐらいは苦労しました。ご飯が食べられないってこういうことなんだって。二人ともがりがりに痩せていましたね。「まんだら屋の良太」でいきなり週刊連載が始まるんですけど、それが純さんが二十九歳のときでした。そこからは漫画家の生活に入っていきます。
清水 今の話、わかりましたか? 十五歳のときに小倉の高校の美術部に入ったわけですよ、眞由美さんがね。それで、純さんはそこを卒業しているんだけれども、遊びにきたときに美術部に寄ったんでしょうね。そうしたらそこに美しい方がいらっしゃった。今日は眞由美さんのお子様も来ていらっしゃっているので、多分こういう方がいたと思いますよね(江梨さんの方を向きながら)。



畑中 もっと可愛かった!(笑)
清水 え、もっと可愛かった?(笑)この方は眞由美さんの三女江梨さんです。それで純さんが一目惚れしたかなんかで、それからお付き合いが始まったというわけですよね。遠距離恋愛ということですからなかなか会うのも大変なわけですが、年に二回か三回は会っていたわけですよね? それに加えて文通が行われていたと。この間僕が聞いたところによると、五百通ぐらいあるっていうんですよ、手紙がね。それをなんとか公開できないんでしょうかって言ったら、嫌だとか言っていましたけどね(笑)。根強く交渉して、いずれ差し障りのないものは見せていただけるときが来るかも知れません。
畑中 全部、差し障りはないんですよ。 「愛してる」とか「好きだ」とかそういうお手紙はもらったことがなくて、「今日はどこどこに行った」「どんな本を読んだ」とか、もっぱら行動の記録みたいなことばかりでしたね。
清水 だったら差し障りないじゃない。
畑中 でもやっぱり私の大事な思い出なので。私が死んだとき、お棺にぎゅうぎゅう詰めに入れてもらいたいと思っています。ふふふ。
清水 畑中純さんと眞由美さんのそういう恋愛関係、体験を少しお話ししてもらったんですけれども、いま若い人が「別れた」とか言ったときに、どのぐらい付き合っていたの? って聞くと一ヶ月だとか二ヶ月だとか、平気で言いますよね。純さんと眞由美さんの場合は、最初に会ったのが十九歳と十五歳で、それから現在に至るまでずうっとですよね。残念ながら純さんは六十二歳で亡くなったわけですけれども、生きていらっしゃれば現在六十五歳。さっき僕は眞由美さんを「永遠の伴侶」と紹介させてもらいましたけれど、純さんがお亡くなりになったいまも二人の関係はずうっと続いている。五十年近く、ずうっと一途に純さんを想い続けている。純さんにはそうさせる魅力があったわけですよね。金を稼ぐために肉体労働もされていたけれど、漫画家になるという夢もあった。きちっと愛している人に自分の夢を語ることのできた人だったんだろうね、純さんは。だから明確に自分の夢を好きな人に語れれば、付いてきてくれるんだよね。実現しない夢は妄想だけど、純さんは着実に夢を実現していく方なんだよ。そこに魅力を感じたわけですよね?
畑中 さあ、どうだろうな(笑)。そう言われると何が魅力なのかわからなくなるんですけど。というのは、やっぱり五十年近くずっと一緒にいるっていうのは、いつもいつもラブラブだったっていうわけではないんですね。気持ちのすれ違いもあったし、いつもいつもハッピーだったわけじゃないんだけど、全体的に見ると良い方がちょっと多かったから続いていたのかな、っていう感じはありますよね。わりと穏やかな。
清水 たとえば女性がある一人の男性と結婚の決意をするときに……、純さんは「どんな反対があってもその場合には駆け落ちする」と眞由美さんに言った。その言葉に「わあ、かっこいいな」「素敵だな」っていう部分があったわけでしょう(畑中眞由美「まんだら屋の女房日記」 平成27年2月22日参照)。眞由美さんは高校を卒業して働いていたから預金もあった。その後二人で上京されてきて、純さんはずっと漫画を描いていた。なかなか採用してもらえない。貧乏生活が続く。だからその預金を切り崩しながら支えていった。ということはやっぱり不安ながら畑中純の未来っていうのを信じたわけですよね。どうでしょうか?
畑中 そうですね。一緒にいたいっていうのが、やっぱり一番大きな理由で一緒にいたとは思うんだけど。漫画家になってほしいとはすごく思いました。だけど、そうじゃなくてもいいと思いました。たとえば違う仕事をやっても一緒にいたいなって。
清水 (学生に向かって)聞きましたか? 今の眞由美さんのお話。僕は漫画家を目指していた畑中純のエネルギー、旺盛な創造力にまず第一に惹かれていたんじゃないかなってずっと思っていましたけれども、「ずっと一緒にいたかった」と。これが愛の原点ですね。でもこれが、いつもいつもぐうたらで仕事もしないでっていうと、それは嫌でしょ。
畑中 そうですね。だけどね、仕事にならなかったんだけど、すごく自信に満ち溢れていましたね。「自分はやれるんだ」って言葉でも言っていたし。売れていないときの方が自信たっぷりでしたね。「俺は天才だ」って言っていました。それがもう亡くなる前ぐらいになると、「俺はもう駄目だ」「俺は終わった」とかって、だんだん自信がなくなっていきましたけどね。




清水 お話を聞いても書かれたものを読んでも、二人が一つの目標に向かって頑張っていたということを感じますね。純さんは創作活動をすること。そしてそれを精神的にも経済的にも、いろんな面で支えていたのは眞由美さんだという感じはしますよね。やっぱり一つの夢を一途に追っていて貧乏なのは許せても、夢もない、ビジョンもない、たまにいい男だと思ったとしても、大丈夫ですかそれで? 好きになれますか? 一緒にいたいと思いますかね? だから僕は、畑中純さんっていうのがそういう男性(夢追い人)だったからこそ一緒にいたいと思ったと思うんですけど。どうでしょうか?
畑中 そうですね。一つ、一番魅力だと思ったのは、文章が書けるところでしたね。どういう漫画を描いているかっていうことは、付き合っている頃、最初の頃はあんまりよく知らなかったので。手紙の文章が好きでしたね。
清水 僕が『1970年代記』(2007年4月 朝日新聞社)読んでいてちょっと泣けてきたのは、「ガロ」で採用してもらいたいと青林堂に原稿を持っていったときに、当時編集長をやっていた南信坊さんに「これは他に持っていった方がいいよ、これは商業向きだよ」と言われて、純さんがちょっとショックを受けて戻ってきたという話です。僕は初め一人で行って一人で戻ってきたのかと思っていたけれど、そうじゃなくて、青林堂の前に眞由美さんがちゃんと待っていたわけですよね。
畑中 材木屋さんだったんですね、下が。その前で待っていました。
清水 そこが素晴らしいところですよね。喜びも悲しみもいろんなものを共有されてきたってこと。そのときは眞由美さんも一緒に付いて行って、その結果をずっとハラハラしながら待っていたんだろうなって。そういうのも感じて目頭が熱くなりました。今日は日野日出志さんもいらっしゃっていますけれども、やっぱりつげ義春に影響されたり、「ガロ」で発表されている漫画家さんたちに共通したものはありますよね。畑中純さんの漫画は大きく分ければ、いわば「ガロ系」かなという感じはずっとしています。しかし「ガロ系」漫画家でありながら商業誌で描くことによって、この『まんだら屋の良太』に代表されるような傑作が生まれてきたというようなところがあると思うんですよね。では、ここで話を元にもどしまして、仕事が初めて決まったときの様子から聞かせていただけますか?
畑中 純さんは私が結婚に憧れているっていうのを知っていたと思うので、それまで「結婚しょうやの」「結婚しょうやの」ってずうっと言われていたんですね。だから洗脳されたっていうか(笑)、「私はこの人と結婚するんだ」って思い込んだ部分もあったかも知れないですね。「結婚しょうやの」って言いながらも「いつ」っていうのは言わないんですけれどね。
清水 「結婚しょうやの」っていうのは申し込みとは違うんですか?
畑中 同意を求める「結婚しましょうね」みたいなものです。
清水 返事はされたんですか?
畑中 私は「うん、いいよ」とかは多分言ったと思うんですけど。
清水 それもちょっと小倉弁で言ってもらってもいいですか?
畑中 「うん、いいよお」ですよね。
清水 あんまり変わりませんね。
畑中 変わらないですね(笑)。それで私も結婚するつもりだったから、貯金もできるだけしておいた方がいいと思ってしておいたんですけれど、「結婚しょうやの」とは言っても「いつしよう」っていうことにはなっていかない。もう四年半ぐらい付き合っていたから、このまま待っていても結婚しないかも知れないとか、そんな不安もあったんですよね。そうしたら話の特集が原稿を預かってくれた。あのペン画の月夜の一枚画のやつですけど。それで、本人がすごく「やった!」と思ったみたいで小倉に帰って来るんですよね、「結婚式をしよう!」とかって。それが九月ぐらいでそこから家に来たりしたんだけど、家はすぐOKとは言わないですね、やっぱり。まず彼が無職だっていうことと、私が結婚したらすぐ東京に行くということで、もう親は反対。それでちょっとだけ揉めたんです。でも最後は許してくれて結婚することになるんですけど、なにせ結婚を決めて結婚式までの日にちがないんで式場がないんですよね。仏滅しか空いていなくって(笑)。それで、昭和五十一年、一九七六年十一月二十八日の仏滅の日曜日に結婚式をする。
清水 眞由美さんは何人兄弟なんですか?
畑中 私、三人兄弟の長女。
清水 じゃ、親にしてみれば、
畑中 うん。初めてですからね。
清水 わけのわからない男がやって来て娘をかっさらっていくような感じだったんですかね。
畑中 純さんと付き合っているのはわかっていたんですけど、実際に結婚っていう話になると「ちょっと待ってくれ」って。
清水 でもそれも自分が親の立場になればね。
畑中 そうですよ。自分が親になってみると、やっぱり自分の娘が仕事のない人と結婚して遠くに行くって言うと、今だったら小倉と東京って大した距離じゃないけど、たとえばアメリカに行くとかってなると、「ちょっと待って」ってやっぱり言うかなと思いますね。
清水 僕は初めて畑中純さんと会ったときに感じましたが、気迫というか、オーラが出ていますよね。だから若いときに金がなくても、やっぱりそのオーラは出ているんですよね。きちんと夢も持っている。今ちゃんと名前が通用して仕事をしている人は、若い頃からそういうものを持っているんですよ。だから僕は、いくら金を持っていても就職していてもそれがない人より、金がなくてもオーラを出している人の方がいいと思いますよ。親としてもそうなんじゃないですか? 自分の娘さんをお嫁に送り出すときはそういう気持ちで送り出すんじゃないですか?
畑中 そうですね。でもそのときあと二人プロポーズしてくれる人がいて、一人は呉服屋の若旦那で一人はスーパーの、
清水 (学生に向かって)聞いた? これ初めて聞く話だよ(笑)。
畑中 ふふふ。それで一人はスーパーで働いている人だったんだけど二人ともすごくいい人で、特にスーパーで働いていた人なんかは「これからはコンピューターの時代だから、いまはスーパーで働いているけれどコンピューターの勉強をしに行っている」って給料明細かなんか見せてくれて「いまはこれだけしか稼げないけれど」とか言ってくれる人もいたんだけど、「ごめんなさい」って。
清水 だから関係ないんでしょ。給料とかはね。
畑中 なかったですね。
清水 純さんの持っている「何か」に惹かれたわけですよね。
畑中 そうですね。
清水 いま展示会をやっていますけれども、まだ観ていない人いるでしょう? ぜひ三階の芸術資料館で観てくださいよ。資料館に入ったすぐのところに美しいひと肖像画が飾られていますけれども、僕が最初に畑中純さん宅を訪れたときに仕事場の壁にその肖像画が飾られていたんですよ。そのとき眼鏡を掛けていなくてあまり見えなくて、でもすごく美しい人が飾られていたんでよーく見たら、眞由美さんの若かりし頃だなっていうのがわかった。あれは純さんがいくつのときに描いたものですか?



畑中 私が二十歳ぐらいだったから、純さんは二十三、四歳ですね。
清水 二十三、四歳のときに描かれたんですか、十九歳の眞由美さんを。(眞由美さんのお嬢さん二人に向かって)すごく綺麗だよね? 思わない? 私の方が綺麗だと思っている? 親と娘で「私の方が綺麗、綺麗」って言っていたら面白いよな(笑)。あの肖像画は憂いを含んだ、でも意志が強いというか、そういう美しい女性が描かれていましたよね。今の眞由美さんも美しいけれどね。ただ美しいだけじゃない、芯が通っていて凛とした美しさがありましたよ。だからそこに純さんも惹かれたんだろうし、逆に眞由美さんも惹かれていったんだと思っているわけですけれどね。では、純さんとの出会いと内容に関してはまた次の授業でお話を聞くとしまして、この『まんだら屋の良太』の連載が決まったときの純さんのご様子というか喜びというか、そういうものを語っていただけますか?
畑中 そうですね。最初に実業之日本社に持ち込みに行ったんですが、なんでそこに行ったかっていうと、「漫画サンデー」でつげ義春さんが描かれていて、そこがいいって思ったらしいんですね。それで行ったんですけどやっぱりなかなか、ミミズクの出てくる「ミミズク通信」みたいなやつを持って行ったんで、「人間の出るやつを描いておいで」って言われたんです。それで「熊五郎の青春」ってやつを持って行くんですね。そうしたら「これなかなか面白いから」って。ちょうどその当時、『じゃりン子チエ』だとか『博多っ子純情』それから『土佐の一本釣り』といった地方ものがウケていたんですね。それで「小倉弁で漫画を描いたら?」っていうような感じになって、『まんだら屋の良太』。最初は『湯けむり情話』とかそんなタイトルで六回だけ連載というかたちで原稿を預けるんです。そうしたら編集長が変わって、その編集長がすごく気に入ってくれて売れていないのに巻頭カラーとかどんどんどんどん出してくれて。それで六回だった予定が十年間の連載になったんですよ。

清水 それは(畑中純『1970年代記』の本文を見せながら)ここら辺に詳しく描かれていますけれども、編集長が交代するということで一回白紙状態になるんですよね。
畑中 そうです。一回は「なかったことにしてくれ」って言われました。
清水 それでショックを受けていたら、新しく「漫画サンデー」の編集長になった山本和夫さんが連載を決めてくれた。で、タイトルをどうするかっていうね。純さんは、八回ぐらいだったら『湯けむり情話』がいい。長くなるようだったら『良太』『まんだら屋の良太』あるいは『九鬼谷温泉』とかいろいろ考えた。結果的にはこの『まんだら屋の良太』になるわけですね。




この間、僕が眞由美さんに「『まんだら屋の良太』の第一話の最初の絵を見てどうですか?」と尋ねたときのお答えをちょっと。
畑中 もともと純さんが目指していた漫画っていうのは、一枚漫画っていう漫画なんですね。どっちかというと芸術っぽい。トミー・ウンゲラーだとか、日本で言うと久里洋二だとか、そういう感じの一枚絵を目指していたんですね。だけどそういうのは発表する場所がないんです。だからやっぱりストーリー漫画が良いんじゃないかって。ストーリー漫画は、純さん最初「描きたくない」って言っていたんですけど、つげ義春山上たつひこに影響されて、こういうふうな感じでならストーリー漫画も描けるかも知れないって描き始めたんですよね。それまでは「俺は人間は描かない」とか言っていましたからね。でも『まんだら屋の良太』はコテコテの人間ですよね。趣味は読書。本当に本が大好きで、朝から晩まで本を読んでいたし、あとお笑いも好きで、吉本新喜劇が心の底にあるんですよね。そういうのがごちゃまぜになって、映画もすごく観ていたし、そういうので描きたいものはもう山のようにあったと思います。
清水 ちょっと聞きたいなと思ったのは、最初に見た感じ「汚い」と感じるところもあるじゃないですか。それが『まんだら屋の良太』の一般的な評判として出てきたと思いますけど、眞由美さんも最初そう思ったのですか?
畑中 思いましたね。「こんな絵で描くの?」みたいな。やっぱり「少年サンデー」とか「少年マガジン」みたいなのは見たことがあったけど大人の漫画っていうのはあんまり見たことがなかったので。「うわあ、汚い絵だなあ」って思いました。特に印刷されると余計ガサッとして見えるんですよね。原画はそうでもないのに印刷されるとガサガサガサガサしていて「なんか純ちゃんの絵だけ汚いよねえ」って(笑)。
清水 そういうとき純さんはどう答えていたんですか?
畑中 別に何も。「こんなもんだ」みたいなことを言っていましたね。