清水正の『浮雲』放浪記(連載104)

清水正への原稿・講演依頼、D文学研究会発行の本購読希望者はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。 ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。




清水正の著作・購読希望者は日藝江古田購買部マルゼンへお問い合わせください。
連絡先電話番号は03-5966-3850です。
FAX 03-5966-3855
E-mail mcs-nichigei@maruzen.co.jp


 清水正の『浮雲』放浪記(連載104)
平成□年6月9日

 伊庭の印象があまりよくないのは、伊庭に心の底から惚れていないゆき子の内面を通して描かれていることによる。どんなに打算的な男でも、どんなに女たらしの男でも、そういった男に惚れる女はいる。現に富岡兼吾はそういつた男の一人であるが、ゆき子はこの男にのぼせ上がった。ゆき子は伊庭に対しては冷静さを失うことはなかったが、富岡に対しては激しく感情が揺らいだ。要するに性的次元のことも含めて相性の問題である。おそらく加野や伊庭のような男に作者林芙美子もまたあまりいい感情は持てなかったのかもしれない。少なくともゆき子は、誠実で実直で一途な男よりも、見た目、ダンディで知的雰囲気を漂わせているような男に惹かれる傾向を持っていた。もはや良いとか悪いの問題ではなく、好みの問題である。
 焦れて家まで迎えに来た伊庭がゆき子にかけた言葉は「どうした? ばかに弱っちまっているじゃないか……。元気を出しなさい。精神力だよ。死ぬも生きるも精神力だ。どうも、お前さんは仏印から戻って、人が変ったね。もっと愉快になって、おしゃれでもして、元気を出さなくちゃいけない」である。この言葉自体はかなり優しい思いやりに充ちた言葉である。宗教ビジネスに成功した〈実直な男〉の、余裕のある優しさが奇しくもにじみ出ている言葉と言ってもいい。もしゆき子が伊庭に好意を持っていれば、この伊庭の言葉は心に染みたであろう。伊庭は、元気で、愉快で、おしゃれなゆき子が好きなのである。なにしろ読者は、伊庭とゆき子の〈三年間〉のディティールを知らされていないのであるから、彼ら二人の描かれざる関係の諸場面を想像力の限りを尽くしてみる必要がある。