うちには魔女がいる(連載1)


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矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。当ブログで掲載し、多くの方々に読んでいただきたいと思います。

友人とガッツポーズの羽衣子さん(右)


矢代羽衣子

うちには魔女がいる(連載1)



 魔女はハローキティとほぼ同い年で、七月十一日生まれの蟹座。
A型。
右利き。
猫派か犬派かでいったら、断然犬派。
右手の中指の付け根に、双子のほくろがある。
私のお母さんの、五つ歳が離れた妹。

 


 私のごはんを作るのは、昔から魔女の役目だった。
 
母は、当時幼稚園児だった私のお弁当に、平然とピスタチオを入れるような奔放なタチであった。(私は子どもの頃から酒呑みの食べ物が大好きだったので、それはそれで構わなかったのだけれど。)
その大雑把さに「子どものお弁当に入れるものじゃない!」と意を唱えてくれたのは、我が家でいちばんの常識人の魔女だけである。そして彼女が、母特製の呑べえ弁当に見かねて、子どもがよろこぶようなカラフルでかわいらしいお弁当を作ってくれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
妹に自分の娘の弁当を作らせているのにも関わらず、母は嬉々として「半永久お弁当券」を勝手に作り、その瞬間から私のお弁当制作責任は、完全に魔女へと移行したのだった。

幼稚園でともだちができない私のために話のキッカケになるようサンドウィッチを色とりどりのワックスペーパーで包んでくれた。
母さんが脳溢血で倒れて病院に運ばれて、真夜中の家に取り残されて泣きじゃくる私に、夜食を作ってくれた。
運動会は毎年毎年、誰にも負けないほど豪華な重箱の弁当を四時起きでこさえてくれた。
インフルエンザで熱を出した時に鍋焼きうどんを出してくれた。
 私にはお母さんはいなかったけれど、家に帰ればいつだって魔女のおいしい料理が待っている。


私が思い出す限り、魔女はいつも何かを作っていて、それでいてそれは大体が私の大好きなおいしい何かであるので、魔女がキッチンに立つと途端にそわそわするクセは昔から変わらない。
 二十年と少しばかしの私の短い人生の中、嬉しいことも悲しいこともしあわせなことも痛いことも、それなりに、人並みに、たくさんあったけれど、そこにはいつだって、魔女のあたたかい料理があった。
 私の描く物語には、必ずと言っていいほど何かしらの食べ物が出てくるが、それはきっと私の感性が、価値観が、人生が、おいしい料理なしでは成り立たないからだ。
 食べ物を文字に起こすとき、私は目を閉じて、瞼の裏に魔女の料理を思い浮かべる。ほかほかと美味しそうな湯気をたてているそれはゆるりとほどけて、私の体を血液と一緒に巡ってゆき、指先から物語を構成する一本の糸となるのだ。


 食べることは、生きることだ。

私の体は、魔女の料理で出来ている。



※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。