どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載38)
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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載38)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から
清水正
談志の一人芝居
『これでいいのだ』の対談で、赤塚不二夫も立川談志も等しく〈受け手〉のバカさ加減について発言していた。赤塚不二夫にいたってはくどいほどそれを口にしていた。
談志は寄席の観客や演芸評論家たちが、彼の落語を理解していると思っていない。観客の理解度などまずは脇において、彼の実現したい落語を演じ尽くせばいいようなものの、彼の性格はそれを許さない。
談志は観客に理解を求める。が、観客は絶対に彼を理解しないだろうという絶望がある。絶望して高座を降りる、落語家をやめてしまう、という解決策もあるが、落語を誰よりも愛好している談志にはそれもできない。結果として、談志は観客を眼前にしながら、彼と観客の間に透明な鏡を置いて、そこに映っている〈もう一人の談志〉に向かって言葉を投げかけることになる。
談志の批評的言辞の基本は、観客に向けて言葉を発しているかのように見せかけて、実は鏡像としての〈もう一人の談志〉との会話、すなわち内的対話の構造を持っている。実在する(バカな)観客を説得し理解してもらう手間暇をかけちゃいられねえ、ええい、面倒くせえ、こうなったら鏡を相手の一人芝居でもするしかねえ、とまあこういった次第である。
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