どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載46)
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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載46)
ドストエフスキーと落語
わたしは団塊世代に属する。生まれた時から熾烈な競争を強いられている。はたして連帯は可能なのか。わたしは中学時代に連帯の不可能と、その根拠のなさを痛感していた。
ドストエフスキーの『地下生活者の手記』に没頭した青年に革命幻想はなく、ニーチェの永劫回帰説に体感的に共鳴する青年にあらゆる善悪観念もない。こういった青年はニコライ・スタヴローギンの破廉恥きわまる実験に恐れを抱くこともない。
死ぬまでドストエフスキーの魔力に支配される者も稀ではないが、わたしはドストエフスキーの魔力から解放されたところでドストエフスキーの文学と関わっている。『悪霊』の人物たちを暗黒舞踏の領域で生かせる舞踏家はひとり大野一雄だけであったと思うが、わたしのヴィジョンのなかでは、『悪霊』の人物たちを落語のうちに生かすことが最も肝要だと思っている。
立川談志が十九世紀ロシア文学、特にドストエフスキーを読んでいたら、彼の落語もずいぶん違っていたと思う。どういうわけか談志はドストエフスキーを読まず、日本の私小説も読んでいない。
談志が尊敬していた小室直樹もまた、キリスト教やイスラム教に関して明晰でわかりやすい著作を何冊も上梓しているが、その中でドストエフスキーに触れることはない。ドストエフスキー文学に触れない社会科学者の明晰さは、なんか途方もない深淵と闇を見落としているように思える。
晩年の小室直樹と談志の親密な関係には微笑ましさを感じるが、そこには何かを断念した者のやけっぱちも感じる。
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