どうでもいいのだ

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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載47)


清水正



好生と円生

 好生という落語家について興味を持ったのは柳澤睦郎(やなぎさわ・むつろう)の記事によってであった。柳沢は『落語つれづれぐさ』(1994年7月 鳥影社)の第一部の十「好生鎮魂曲」(初出は「江古田文学」No.20 1991年6月)で次のように書いている。

  寄席で聞いてみると、人物描写は的確で、間(マ)もよく、くすぐりの呼吸も悪いとは思えないのですが、寄席の笑いは薄く、あまり受けないのです。
  その原因を分析してみると、ひとつには、風貌が、落語に向いていなかったというところがあるように思えます。
  例えば、冗談を云ってるのに、ある人が云うと、聞く方は、真面目な話にとってしまうというタイプの人がいると思います。好生はこのタイプでした。
  また、彼は、白皙明眸、背は高く、痩せて貴公子然たるとろがあり、落語家としては整い過ぎていたというところがあるように思います。
  それと、もっと本質的な問題としては、声柄から細かな仕草まで、芸が師匠の円生に似過ぎていたところがあました。仲間うちからも、円生の影っ法師(かげっぽうし)と、蔑まされていたと自分で云っておりました。
  後に、最も敬愛し師事した円生と、まさに悲劇的な訣別を遂げますが、師匠の円生も自分に余りにも似ている好生を、はじめは可愛く思っていたのが、痰を切る仕草のような、細かなところまで似る、というより真似されると、好ましさより、だんだん、うとましさの方が強くなって行ったのではないか。私は円生とは口を利いたことこともないので、これはあくまでも推測ですが、そんな風に思うのです。(124〜125)

 わたしは好生が大量真打問題の当事者としてテレビの番組で談志と対談しているのを観たことがある。痩身で神経質そうな印象が強かった。直感的にお笑いの芸人には向かないなと思った。本人は落語をお笑い芸と見なしていなかったかもしれないが、いずれにしても存在感の薄い感じがした。
 好生は学生時代から円生の落語に惚れ込み、寄席通いしているうちに円生の眼に止まり、家にまで招かれている。円生と好生の関係は最初は良かったが後には決裂している。好生が円生のコピーの次元を越えられなかったことが、その第一の原因である。師匠の芸に惚れて弟子になったのであるから、その芸を真似ることは当然である。が、その真似の次元から自分独自の世界を切り開いていかなければ、所詮、師匠の亜流にとどまる。円生のような芸に厳しい落語家が、自分の真似ばかりされていたのでは生理的にも嫌気がさしたのであろう。

 



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