どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載40)
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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載40)
小さんと談志の関係
談志と弟子たちの師弟関係の確執、愛憎は面白いが、それ以上に面白いのは師匠小さんと談志の関係である。十六歳で小さんの弟子となった談志(当時は小よし)は、前座として辛い修行をそれなりに重ねて、落語家の前座時代の理不尽を体に刻印しただろうが、賢い子供だからとうぜん理不尽を理屈で解決せずにはおれない。理不尽を理不尽のままに受け入れることができない持って生まれた性格なのである。談志の人物、その性格をテレビ出演時の話、落語、著作などを通してみる限り、鼻っ柱の強い、負けず嫌いの、異様にプライドと自己評価の高い男ということになる。談志を謙虚な礼儀正しい男と見る者はいないだろう。こんな性格の男がよく落語家の前座を務まったものだと思う。これはやはり師匠小さんの懐の深さであり、女将さんの優しさによってであろう。談志の書いたものを読むと、彼は別に女将の愛情など特に感じてもいなかったようだが、テレビ出演時の女将のずけずけものを言う、がらっぱちの性格にわたしなどは親しみを覚えた。
談志は小さんの落語を高く評価している。弟子になったぐらいだからとうぜんである。はたして師匠小さんはどう思っていたのか。談志の前座、二つ目時代の落語の映像が残っていればぜひ聴きたいものだが、残念ながら未だその機会にめぐまれない。談志は二つ目になるとき、あいつは生意気だからという理由で一人だけはずされそうになった。この時、一緒に前座で苦労したのだからみんな同時に二つ目にしたほうがいい、と口添えしてくれた師匠がいた。
この時、師匠小さんは談志をどう思っていたのか。こんな生意気なやつは二つ目にするのはまだ早いと思っていたのか。いずれにしても、二つ目昇進時に小さんが積極的だったとは思えない。まあ、しかたねえか、しぶしぶ昇進を認めたそんな感じである。
決定的だったのは、後輩の志ん朝が先輩の談志や円楽を抜いて真打に昇進したことである。志ん朝は談志より歳も若く、入門も遅い。にもかかわらず志ん朝は先輩十二人を抜いて真打になる。確かに志ん朝の落語はうまいと自他ともに認めていた。が、当時、若手のうちで落語は一番うまいと自負していた談志にしてみれば、自分を追い抜いて志ん朝が真打に昇進したこと自体が屈辱であった。
志ん朝の真打昇進は、彼自身の実力もあっただろうが、それ以上に父親古今亭志ん生の力が働いていた。志ん生は次男坊の志ん朝が落語家になることを誰よりも望んでいた。志ん生の直観が働いたのだろう。志ん朝の落語はスピードがあって軽快、声も様子もよく、たちまち人気者となる。落語界の神様のような立場にあった志ん生が推薦すれば、鶴の一声、志ん朝の真打はすんなり決定した。談志にしてみれば、なぜこの時、志ん朝の昇進を止めることはできなくても、せめて同時昇進ぐらいは決めてくれてもいいだろう、と思ってもとうぜんである。
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