どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載30)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載30)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


談志の天狗っぷり

 
 赤塚不二夫がいくら常識に引っ張られていては駄目なんだと力説しても、赤塚自身が常識外常識の領域にとどまり続けたように、漫画界にもお笑い界にも掟はあり秩序がある。談志は好き勝手に振る舞っているかのように見えるが、落語界から完全に逸脱するような言動はとっていない。
 談志を気にくわない落語家は少なくないだろう。なにしろ談志は自分以外の落語家を一皿盛りしてバカ扱いしている。名前までだされた落語家にしてみればたまったものではない。しかし談志は理屈っぽいし、自己主張も激しいから、正面切って喧嘩する落語家はいない。談志の落語論について、まっとうに論戦できる者はいない。強いてあげるなら談志の弟子たちが、談志の人柄や落語について発言しているのをあげることができる。彼らの書いているものは家元・談志に対する愛憎がこもっている一種の〈物語〉であるから、読者の好奇心をくすぐって一気に読ませる。が、落語論としては力不足は否めない。


 談志 (略)亡くなった林家正蔵師匠に「なんでこんな下手なときがあるんですかねぇ」って訊いたら、「いつも上手いと天狗になっていけねぇからな」って。「なるほど、そうかぁ」と思いました。(略)
 赤塚 いつも天狗だったからね。
 談志 そうそう、俺が天狗であることはね、天狗がなぜ悪いんだ、っていうことを論理的に肯定するために生きてきたところがあるから。世の中では利口な奴は、利口だと世間に嫌われるからって馬鹿を装う。事実、利口ぶってるけど、本当に馬鹿だったっていうのだらけだ。
  俺の場合は利口ぶって利口なんだから、始末が悪いんだよ。(笑)知識の量はあるし理解力はあるし。「利口ぶった利口っていう、最も恥ずべき状況に俺は自らを晒してるんだ」と。それで「さあ来い!」「さあ、どうにでも勝手にしやがれ」って居直ってる。
 赤塚 言い方は違うんだけど、家元と一緒なんだよね、俺も。
 談志 今は、すべからく常識で縛る世の中だから言わないだけでね。(笑)
 赤塚 みんなより利口だと思ってるんだよ。笑いに対して、俺は誰よりも理解度があると思う。だから、家元の落語だろうが映画だろうが、面白いっていうものに対する理解力ってあるじゃない。それは誰にも負けない。(183〜185)


 まさに談志は「利口ぶった利口」という落語界のピエロ役を自覚的に演じ続けたわけだが、そのピエロの本質を理解してもらえないことにいつもいらだちを感じていた。ピエロとは体制・権力・権威に不断に揺さぶりをかけながら、それらの領域内に飼われているような存在である。






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