どうでもいいのだ─赤塚不二夫から立川談志まで──(連載29)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載29)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


師匠と弟子

 わたしは自分から誰かの弟子になろうなどと思ったことはない。夏目漱石の弟子だった森田草平がどこかで書いていたが、人間にはもともと師匠タイプの者と弟子タイプの者が存在する。漱石は師匠タイプで彼のもとに集まってきた若者たちを実によく面倒見ている。草平などは平塚明子(平塚らいてう)と塩原峠で心中事件を起こし、社会から抹殺されそうな窮地に追い込まれた時、漱石からその体験を小説にすることを奨められ、それ(『煤煙』)を朝日新聞に連載している。漱石は草平を社会的抹殺から救ったばかりではなく、小説家としてデビューさせているのだから、師匠としてもただものではない。
 弟子として修行を積み重ね、今度は自分が弟子をとって師匠となる。歌舞伎、能、落語といった伝統芸能の世界に限らず、美術、書道、文学、学問の世界においても師弟関係の掟はある。その掟を破って自由に振る舞えば、それなりの仕打ちは覚悟しなければならない。〈自由〉と思われている芸術や学問の世界ほど、厳しい師弟関係や上下関係に支配されていると言っても過言ではない。才能や実力を求められながら、それだけではのし上がれない側面を持っている世界なのである。
 







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