どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載31)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載31)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


落語界のピエロ

 
  談志は政治家に立候補したり落語協会から脱会しても、落語界から身を引いたわけではない。談志は落語界に身を置きながら、落語界にいつも爆弾を仕掛けていたピエロであり、ピエロである限り自爆しない。
本来、ピエロは体制側の人間であり、体制に反逆する者ではない。後者は革命家であり、失敗すれば破滅するしかない。ピエロが打ち首になったり、首を吊ったという話はきかない。体制に揺さぶりをかけても体制を壊滅に陥れることはない。
 談志が落語協会を脱会しても、落語協会自体は破綻しない。当時、談志の師匠小さんは落語協会の会長であったが、小さんが談志を破門しても、それでもって談志の落語家としての生命線を切ったということにはならない。
 談志が落語協会を脱会して、それ以上の組織体を作り上げるというのであれば、スリリングな抗争となったであろうが、談志にそこまでの覚悟があったわけではない。傍から見れば、単なる内輪もめである。小さんと談志の関係も親子喧嘩の次元で片づけた方が納得がいく。
 談志は自分の弟子二人が真打ち試験に合格しなかったことに腹を立てているが、小さんにしてみれば、真打ち試験に談志が出席しなかったことに腹を立てたに違いない。落ちた二人の弟子にしても談志の欠席には不満であったろう。談志が出席していれば、まず不合格ということにはならなかったに違いないのであるから。






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