どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載23)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載23)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


 談志と小さんの確執

 ところで、落語協会の最高責任者で名人と言われている小さんはどう思っていたのだろうか。談志の弟子となれば孫弟子である。
 談志が推薦してきた弟子を二人ともに落とすことを落語協会の最高責任者が承認したということはどういうことなのだろうか。小さん師匠ともあろうひとが、談志の弟子を落とせば一悶着起きることは容易に想像できたろう。この昇格試験の時に、志ん朝の弟子も落ちている。談志も志ん朝も落語界を背負っていく実力を備えた落語家である。その二人の弟子を落とすとは、いったい落語協会の真打審査はどうなっているんだ、と常々疑問に思っていた。
 後から知ったことだが、なんとこの真打試験に談志も志ん朝も欠席していた。弟子の大事な試験当日に何の用事があったか知らないが、欠席するというのは非常識すぎる。というより、ほかの審査にあたった理事たちを甘く見過ぎている。
 談志にしてみれば、弟子の二人が試験に合格するのは当たり前、試験なんぞするまでもないくらいの意識を持っていたのだろう。出席した審査員にしてみれば、談志と志ん朝の欠席はまさに侮辱的な行為であり、落語協会に対する反逆的な意思の表れと受け止めたに違いない。この奢り高ぶりに、鉄拳を食らわせるということで、談志と志ん朝の弟子は真打ち試験に落とされた可能性が大きい。
 会長で師匠の小さんも談志の常日頃の生意気な態度を決して好ましく思ってはいなかったろう。ましてや、大事な真打試験に談志は欠席した。これを小さんが許すほうがおかしいということになる。
 談志は自分の弟子たちには厳しく接した。が、彼自身は小さんにわがまま放題に接した。これは一種の甘えであり、いくら師匠と弟子は父と子の関係だと言っても、小さんにしてみればずいぶんとやりきれない思いを味わっていたに違いない。
 小さんの女将さんが元気な頃、何回かテレビに出ていたのを見たことがある。がらっぱちの、ひとのいい下町の女将さんといった感じで、この女将あってこその談志と思った。小さんは穏やかな太っ腹のおやじさんといった感じで、大いなる包容力も感じたが、おそらくこの人だけでは、談志のような天の邪鬼の面倒は見切れまいと感じた。
 小さんと談志のあいだにあけっぴろげで、なんでもずけずけものを言う、物怖じしない女将がいてこそ、談志も小さんの弟子になれたと感じた。事実、談志が小さんの弟子になるにあたっては女将の勧めがあったということだ。小さん一人だったら、談志を弟子にとることはなかったであろう。





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