どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載19)





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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載19)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正



  売れることを目指す落語家


さて、現代落語界において談志はどうだったであろうか。
 日本人の多くが、落語および落語家の存在を知るようになったのは談志が司会を務めた「笑点」のテレビ放映であったと言われる。昭和24年生まれのわたしですら、テレビ番組「おトラさん」(1956年 - 1959年、ラジオ東京テレビ / 1959年 - 1960年、NET)で有名だった柳家金五楼や「アフタヌーンショー」の司会で活躍した桂小金治(1926年10月6日 - 2014年11月3日))が落語家あがりのタレントであったことを知らなかった。ましてや寄席に行ったこともなかった。ところが今や、日本の古典芸能と言えば能や歌舞伎に次いで挙げられるのが落語である。その一つのきっかけを作ったのが談志の「笑点」であり、林家三平の漫談風落語(落語風漫談)であった。
 ラジオが全盛の頃は、浪曲、講談、流行歌、落語など、耳で聞いてその真価が問われたが、テレビがお茶の間に入り込んでからは、見せることに重点が移った。聴くことには、聴く者の想像力が求められる。落語を聴いて人物や情景が鮮明に浮かんでこなければはなしにならない。ところがテレビは、人物や情景をひと目でわからせてしまう。別に想像力など働かせなくてもよくなった。林家三平はまさにテレビ向けの漫談落語家であった。否、彼の場合は漫談にもなっていなかった。彼の観客をくすぐる程度の低いギャグに失笑はしても、そこに落語の笑いはない。
 理知的で聡明な談志と、そうではない三平とは真逆の落語家と言えるが、伝統を忠実に伝承しようとする落語界にすれば二人ともに異端的な存在であったことに間違いはない。落語家としての方向性は異なるが共通しているのは、二人ともに人気、すなわち売れることに敏感であったということだ。
 芸人は売れなければ、犬のクソほどの価値もない。観客の誰一人いない寄席で、孤高の落語家を気取ってもしようがない。それは便所の独り言と同じで、どんなに高尚な咄をしても無駄だ、ということになる。で、わたしなどは、もしそういう落語家がいれば、ぜひとも拝聴したいものだと思っている。聴いて駄目ならそれまでのことだ。







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