どうでもいいのだ──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載34)




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どうでもいいのだ
──赤塚不二夫から立川談志まで──(連載34)
まずは赤塚不二夫・対談集『これでいいのだ』から

清水正


脱会問題の顛末


 志ん朝が談志兄さんの落語を自分以上に高く評価していれば、談志会長でまとまったかもしれないが、志ん朝の落語を聞けば明確なように、彼の落語は若くしてすでに名人芸に達していた。後は長生きして古今亭志ん生の落語にどこまで迫れるかだけが課題であったようなサラブレット落語家である。しかも志ん朝は、兄貴の金原亭馬生が副会長を務めていた落語協会を脱会してまで新団体に加わったのだ。志ん朝にしてみれば自分こそが新しい落語界のリーダーとして活躍するのだという使命感さえ抱いていただろう。
 が、談志に志ん朝を説得する力量がなく、志ん朝に談志を屈服させる論理がなく、円生に彼ら癖のある落語家たちを統率する力がなかったのだから、新しい強力な、実力主義の落語家団体を組織し運営するのは当初から無理だっということになる。
 それにしても談志の首尾一貫性のない身の処し方をなんといったらいいのだろう。所詮、落語家なんぞは、ふだん生意気なことを言っていてもその程度のもんだと思え、ということか。談志は人間は大義なんぞで動きゃしない、みんな小義で動くんだ、と言っている。これは人間を冷静に観察していればその通りだと納得せざるを得ない。だが、談志ほど露骨だと、少しぐらいは江戸っ子らしくやせ我慢したらどうだい、とも言いたくなる。円生が会長にしてくれない、志ん朝が降りてくれない、じゃあ俺は戻る、これじゃ子供の喧嘩よりも情けない。

円生の意志を受け継いで、談志の欠けた新団体を引っ張っていかなければならなかった志ん朝も、結局は落語協会に出戻りしたのだから、談志と同罪と言われても仕方ない。落語協会もだらしない。談志と志ん朝を再び受け入れるにあたっては様々な意見がぶつかりあったに違いない。
 円生、円楽、談志、志ん朝、円鏡と実力と人気のある落語家の脱会で落語協会が衝撃を受けたのは確かで、円生、円楽以外の大物が出戻ってくれたことは不幸中の幸いだったのかもしれない。しかし、みっともない脱会・出戻り劇であったことは否めない。特に談志の師匠で落語協会会長小さんの面目が丸潰れになったことは確かで、表面上はともかく、内心は談志の度重なる無礼に腹が煮えくり返っていただろう。








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